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2011年9月20日 (火)

13.故説般若波羅蜜多咒。即説咒曰。羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。/般若心経

最後の一文、般若心経の結びは、サンスクリット語をそのまま音写したもので、訳し方、解釈は様々なものがあてられていますが、「往ける者よ、往ける者よ。彼岸に往ける者よ。彼岸に完全に往ける者よ。悟りあり。幸あらんことを」といった訳が一般的であるようです。

特にこの最後の一文はこのお経の中身が凝縮されたようなことば、咒、真言です。

先ほど述べたように、真言は想うだけ、読むだけで無明を除くものであり、「一字に千理」を含んでおり、あえてこの部分は日本語に訳さず、梵語のままのほうが功徳があるとされています。

原文のままの音の響きも、真言の大切な要素なのです。

ことさらに翻訳し、上辺の意味を頭で理解しようとするより、真言そのものの持つ力を、そのままに体内に取り入れることに効果があるという考えから、特にこの部分は梵語のまま読まれています。

言葉自体に力があるのであり、訳す必要がないとも言われます。

「薩婆訶」は梵語で「スヴァーハー」で、願いの成就を祈って真言の最後に唱える秘語です。

この最後の一文に、般若心経の教えを凝縮したものが表されています。

あらゆるものが空であるという智慧を説き、その智慧すらも空なるものだという教えですから、このお経を唱えるとき、書くとき、心に思うときもまた、空の中に心身を置かねばならないことになります。

経の文言と自身とを一体とするほどに心を込めて観誦することで、迷い、苦しみからとき放たれる、般若心経はそういったありがたいお経なのです。

~般若心経~

2011年9月19日 (月)

12.故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒。是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。真実不虚。/般若心経

「ゆえに知るべし。この智慧とは、大いなることば、明らかなることば、この上なき言葉、並ぶもののない言葉であり、全ての苦しみを取り除く。真実であり、嘘ではない」となります。

「咒」は、サンスクリット語でいう「マントラ」です。

日本では「真言」として知られています。

真実のことば、ということで、不思議な効力があるとされています。

般若心経も、この不思議な効力のあることば、真言であるというわけです。

弘法大師の著した『般若心経秘鍵』には、「真言は不思議なり、観誦すれば無明を除く、一字に千理を含み、即身に法如を証す」と記されています。

観想したり誦んだりすれば、苦しみの元である無明、おろかさも除かれる。

一字ごとに千理、つまり計り知れない理法を含んでいる。

この身体そのものに響いて、真理の法を示す。ということが説かれています。

あらゆる囚われを離れ、文字を想念に浮かべたり、または声に出して読み、心身と経とが一体となるとき、一切の苦厄は取り除かれる。

普段話すようなありふれた言葉とは別の、そういう不思議な力が秘められているのです。

~般若心経~

2011年9月18日 (日)

11.三世諸仏依般若波羅蜜多。故得阿耨多羅三藐三菩提。/般若心経

「過去、現在、未来の仏さまは、この智慧へ到ったことにより、この上ない真実の悟りに達するを得た」と読むことができます。

阿耨多羅とは、この上ない、最高のという意味です。

三藐三菩提とは、正しい自覚、囚われのない心でもって、物事の真実の姿を正しく見られることを言います。

三世の諸仏は物事のありようをありのままにとらえる智慧により、無上の悟りを得られました。

私たちは過去の仏さまの教えを、今こうして学んでいますが、未来の仏についてはどのようにとらえればよいでしょうか。

弥勒菩薩は五十六億七千万年後に兜率天からこの地上に現れ、多くの人々を救済すると言われる仏さまです。

未来仏としては、この弥勒菩薩だけがそうだということではなく、現在から未来に向かう中で生まれる仏があるはずで、

今は仏の姿をしていないがその資質を持つ者とは、他ならない私たち人間全てです。

人はみなその中に仏性を秘めていると言われ、般若の智慧へ到達することでその仏性は開かれることになります。

囚われや恐れを取り除いた先に、本質の奥底に潜む仏性が現れるということです。

~般若心経~

2011年9月17日 (土)

10.菩提薩埵依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。/般若心経

「菩薩は智慧へ到ったがゆえに、心に妨げるものが無くなり、心に妨げが無いから、一切のおそれや誤り、妄想などが無く、あらゆる囚われから解き放たれた境地の深くにある」。

「菩提薩埵」とは菩薩のことで、悟りを開き自覚に至った上で、人々を助ける行いをする存在です。

菩薩が囚われのない智慧にたどり着いたことで、心の中の妨げが無くなりました。

罣礙とは邪魔するもの、覆うもののことで、心の自由を邪魔し、光を覆ってしまうものですが、それが取り払われたと述べています。

心に妨げが無いことで、恐れること、怖いということがなくなり、恐怖がなく不安が無くなれば、物事を歪んだ視点で見たり、妄念を抱いたりすることも無くなります。

心に妨げがあり、囚われている状態では、物事をありのままの姿でとらえることができておらず、身勝手な判断でもって物事を感じ取り、判別してしまいます。

恐怖は、怯えにつながります。

怯えが生まれると不安になり、それを埋め合わせようとして不自然な力が入ります。

それはかりそめのものであり、本来の自分の姿ではありません。

本来の姿でないところから出るものは、たとえ一時は上手くいったとしても、どこかでほころびが出てしまうものです。

顛倒、夢想も、恐れや怖さを原因とする自分の誤魔化しから生まれるものです。

涅槃の境地には、誤魔化しがありません。

誤魔化しの原因である恐怖からも解き放たれているからです。

ニールバーナーとはサンスクリット語で、煩悩の焔を全て消し去って、一切の苦しみから抜け出した境地のことです。

そこには囚われもなく、誤魔化しもないところから、自身の本質にピッタリと重なった世界であると言えます。

~般若心経~

2011年9月16日 (金)

8.無智亦無得。以無所得故。/般若心経

「智もなく、また得ることもない。なぜならばそもそも得るという実体がないからである。」となります。

ここまでのところで、五蘊は空だとか、六根も、四諦も、みな空だ、と説かれてきました。

あらゆるものがみな空である、そのことを悟ることこそが仏さまの叡智であり、般若の智慧というべきところですが、般若心経はさらに、「無智」つまり「智慧すらも無い」と重ねて述べるのです。

全てが空だと悟ることが般若の智慧である、そう言い切ってしまうと、とたんにその言葉に囚われてしまう。

そこでひとつの枠を作り出してしまう。

仏さまの叡智にさえも囚われることなく、心を空の中に置け、という教えが表れています。

『涅槃経』は涅槃、ニールバーナー、無の境地について書かれたお経ですが、その中にも、「何か得たな」と思うことは無明だ、おろかなことだと説かれています。

受ける側の私たちも実体は無く空であり、般若の智慧も実体無く空であるのだから、「得る」ということがあるという思いは、思い込みに過ぎないのです。

~般若心経~

2011年9月14日 (水)

8.無苦集滅道。/般若心経

「苦集滅道も無い」という一節です。苦、集、滅、道、をまとめて「四諦(したい)」といいます。

まず「苦諦」です。この世は思いのままにはならないという苦しみがあり、そのことをありのままに受け容れることです。諦、とはあきらめ、諦めとは明らかにすることです。この世界は苦しみの中にあるのだということを明らかに受けとめることが苦諦です。

次に「集諦」です。苦しみはどのように成り立っているかというと、煩悩による業、行いや考えなどが集まることによって苦しみが出来上がっているということになります。

「滅諦」は、煩悩や迷いを断ち切り、安らかな世界へ向かおうとすることです。「滅」は涅槃、梵語でいうところのニールバーナーという、苦しみから解き放たれた境地のことです。

最後の「道諦」は、その苦しみから解放されるための道、具体的な方法のことです。

般若心経では、以上のような四諦も全て無いと説きます。苦しみ、苦しみの元、苦しみに解き放たれた世界、そこへ向かう方法は、ことごとく無いのです。

全てが空であるから、苦そのものは無く、苦しみがあると思う必要もない。もともと苦しみは無いのだから、そこから解き放たれる必要も、手段も存在しない。四諦にもこだわることはないのだ、ということです。

~般若心経~

2011年9月13日 (火)

雅之郷・満月の祈り

11日、観音寺市は雅之郷にて行われたイベント『満月の祈り~神々の宴~』に、太鼓の演奏で参加させていただきました。

ベリーダンサー・Leilaaさんの舞いに、和太鼓で演奏するというお役目。

前半は屋外での演目、後半は能楽堂にて、主催のPLCさんによる瞑想、

再びレイラさんが登場し、最後の演目で太鼓の演奏をお手伝いしました。

雲が払われた深い夜空に、鏡のように浮かぶ月。

3.11から半年、9.11から10年の日。

浜風に松籟が心地よく吹き抜け、庭園のかがり火、鯉の上げる飛沫、大杉には注連縄。

最古の楽器、太鼓。まだ音を奏でる道具を持たなかった人間が、はじめて作り出した楽器。

最古の舞踊、ベリーダンス。身体を使って表現する術をまだ知らなかった人間が、はじめて作り出したおどり。

太古の昔、舞楽を生み出し、いのちの喜びを共有した。

そして巡り来た今秋の月下、いまもにんげんは、おんなじようなことをして喜びを共有していました。

ご縁をいただいたPLCの皆様、Leilaaさん、雅之郷のみなさま、森さま、お越しくださった方々、お月さん、庭の動物たち、ほんとうにありがとうございました。

7.無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。―2/般若心経

老死とは、老い、死ぬことへの恐れで、未来への執着のことを指します。

無明によって生じた心の囚われは、存在しようという現在への執着を引き起こし、未来への期待や取り越し苦労を生じさせます。

全ては空であり、変転しているのであり、執着した瞬間にも万物は新しい因縁によって姿を変えているため、この執着した自分の心と世の中との間には対立が生まれてしまいます。

そのことが苦しみに繋がります。

無明や老死に囚われることなく、今現在、この瞬間に生きていることを大切にせよ、という教えです。

囚われの元である無明も存在しないし、また無明が尽きることもない。未来への執着の元である老死も、存在しないしまた尽きることがない。

過去や未来への囚われを断ち切って、過去と未来の転換点、連続する刹那の「今」を、正面から受け止めよということです。

~般若心経~

2011年9月12日 (月)

7.無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。―1/般若心経

「無明もなく、無明の尽きることもない。また老死もなく老死の尽きることもない」という部分です。

仏教で、物事の成り立ちを理論立てたものに十二因縁というものがあります。

お釈迦さまは、物事はなぜ、どのように存在するのかを追求し、十二因縁をについて深く考えられました。

「無明」はその十二因縁の最初のもので、「老死」は最後のものです。

般若心経のこの部分には十二因縁の最初と最後が象徴的に挙げられているのみですが、その間の因縁については省略されています。

無明とは、「明らかでない」と読むように、物の道理を理解していないこと、つまり「おろかさ」のことです。

その「おろかさ」が十二因縁の初めに挙げられているのは、おろかさが「囚われ」の根源となるからです。

私たちが生来持っている本質の部分に、わずかにおろかさの影が差す。

その影は次第に広がって、私たち本来の性質は煩悩、心の囚われによって見えなくなってしまう。

これが迷い、苦しみの始まりです。

~般若心経~

2011年9月11日 (日)

6.是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界乃至無意識界。―2/般若心経

石鎚神宮の仏事の際にも「六根清浄大祓(ろっこんしょうじょうおおはらい)」を読誦しますが、その中でも「六根に諸々の不浄を受け、真の六根に諸々の不浄を受けず」と説かれています。

六根で不浄なものを受けない、というのは、目で何も見てはならない、耳で何も聞いてはならない、ということではなく、生きていく中で受け止めるものごとを、心に囚われを起こすことなく、ありのままに受け容れよということです。

「六根清浄大祓」では、続いて「六根清浄なれば身体が安らぎ、身体が安らかであれば天地とつながる、天地とつながれば万物のたましい一体となる。万物のたましいと一体であれば、願いの叶わぬことはない」と説きます。

これは、六根を空の中に置き、心に囚われを起こすことをしなければ、全てのものとつながっていることを実感し、苦しみから解き放たれるということになります。

般若心経でも、六根は実存しないもので、したがって知覚する様々な物事も実体がない、それを「ある」と思い込むことこそが苦しみの素であると説いているのです。

~般若心経~

«6.是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界乃至無意識界。―1/般若心経

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