ひみ

おとといyoutubeで立川談志さんのをいろいろ見てて、「森繁のじいさんは・・・」って言ってるのがあった。昨日森繁さんが亡くなった。

「ゴホウラ貝」っていう沖縄産の貝があって、その貝を加工した弥生時代の装飾具が本土からもたくさん出てる。古代から琉球とヤマトには交流があって、思想や信仰や統治の面で互いに大きな影響を与え合っていた。そういう本をいま読んでる。邪馬台国の成立と滅亡、どこでどうやって存在したのかを、「ゴホウラ貝」をキーワードに考察している本である。じゃあ、今日の新聞の一面に「遺跡発掘!卑弥呼の宮殿跡か!」なんていう、その本に密接した記事が出てた。

カレーが食いたいと思ったら、夜カレーだった。

おでん最近食ってないな、そろそろ、と思ってたらおでんが出た。

そういう偶然がこのごろ多い。けど特に何の得もない。何の得もない、ってのがいい。そんなので得したって優雅にも洒落にもならない。

そりゃあバシバシ的中できれば便利だろうし、利益があるかもしれないけれど、無理だ。だいいちこうやって「最近当たるんです」と、図に乗って書いたことで、もうそれ以上当たらなくなるだろう。つまりはその程度の偶然なんだ。

死なない限り、1日後、3日後、10年後、と未来はある。ぼくはその出来事に、会いに行くだけだ。ある時点の未来にその都度追いついて、つかまえるだけなんだ。

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びこ

11月8日、日曜日、滋賀県竜王町は晴天。やまびこ作業所による“第11回やまびこまつり”。上質なウールのように整然と刈り込まれた芝生がにおう、妹背の里。

その日、まつりが終了しスタッフの撤収作業が完了するまで、秋にしてはやや興奮気味なおてんとさんが、会場にあたたかな陽気を供給し続けていた。

特設ステージでは、ゴスペルグループ“SPIRITUAL  VOICES”の歌声がまつりを締めくくる。神を賛美し、生命を悦ぶ歌。男女6つの声が重なって、ステンドグラスを編んでいく。丁寧に丁寧に磨かれた色鮮やかな歌声が、まつりに訪れたひとびとの間を縫って、駆けめぐり、ほどいてはつむいで、その場、そのときが、ひとつの事実になっていく。

ショーガイのひとが、手ぇあげてやみくもな踊りを踊ってる。ステージのいちばん前の3人掛けのイスに、大きく舌ぁ出して寝っ転がってる子がいる。メガネかけた子連れのパパがじっと歌を聴いている。野球のユニフォームの小学生とボーダーTの小学生が並んで観てる。男がいる女がいるジジババが子どもがいる。フツーもショーガイも一緒んなって、神をたたえるゴスペルに包み込まれている。

「Make a joyful noise~」ステージから歌声が広がる。ステージ裏の芝生では、おかあさんと女の子がてんつくとボール投げをしている。女の子が投げたボールは芝生を2度3度打って、力なくお母さんの手に届く。「夢は~今も~巡りて~忘れ難き故郷~」ボールはおかあさんと女の子の間を、何度も行ったりきたりする。あたたかい秋の木漏れ日を浴びて。

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ぞう

90歳のおじいさんから「石鎚大権現の御仏像をまつりたい」とのお話があり、先日高知県は足摺岬まで届けに行ってきた。

四国の南西の先の先、高速も途中までしか通ってなくて、4時間半ほどの道のりだった。

「釣りの街」がうたい文句のその町でも、僕が届けに行ったおじいさんの家は半島の内陸部で、乗用車一台で目一杯の細いつづら折りの林道をくぐり、何度も進退を繰り返してようやく見つけ出すことができた。

納屋の前に積んであった、太マジックで名字が書かれたコンテナに気がつかなかったら、もっと時間がかかっていたろう。農作業着を身にまとったおじいさんは目も耳も悪けれどかくしゃくとしていて、手に枝切りハサミを持ったまま手招きしてくれた。

11月といえど、南国土佐のお陽さまの照射は分厚く、林の隙間に建つおじいさんちの屋根に降り、眼下に広がる太平洋の波を細かくひらめかせては、静かなおひるの下地をつくる。

四国の端の、林の中の、その気だるい空間に、一軒の家と、何種類かの鳥の声と、僕とおじいさん。同じく農作業姿の無口な息子さんと、鼻歌まじりの孫さん。

猫が横切って、じっと振り返る。3つ置かれた木箱の周りをミツバチが行き来する。

大事におまつりしてくださいねと、権現さんをお渡しする。帰りに巨大なしいたけと、瓶詰めの自家製はちみつをいただいた。

権現さんは、家のうわてに建てられたお堂に納められる。太平洋の水平線が、毎日見える場所だ。

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さつ

千円札が野口英世に替わったころ、夏目漱石の札がなくなるというのが寂しくって、一枚だけよけといた。

よけた一枚を小さく折って、財布の片隅にしまっていた。緊急の場合はこの漱石さんの千円札が、御守のように危機から救ってくれるのさ、としまいこんで、何年かずっとそのままだった。

買い物をしてレジに立ったときに「あと千円あれば!」という状況とか、タクシーに乗ったものの意外と料金が上がって「あと千円あれば!」という状況とか、そんなことが起こったときのために虎の子の御守漱石お札を忍ばせていたのだが、なかなかそんな間の抜けた落とし穴には出くわさずに過ごしていた。

そんな漱石先生の千円札が僕の財布から出てったのは、つい数日前。

とあるお店の事務所にて、仕事の支払いをしていた。個人経営の、相手はおじいさん。僕は7万4千円の支払いに8万円持っていった。

仕事用の財布から8万円差し出すと、「祝日で両替ができなくて釣りがない。千円札4枚ないか?」とおじいさん。僕は自分の財布を見た。英世札は3枚しかなかったが、漱石札を合わせれば4枚になる。

かくして僕の財布で長いこと挟まっていた夏目漱石の千円札は、おじいさんの手に渡る。危機でもなんでもなく、おじいさんが釣りを持ってなくてお支払いを建て替えるという、平凡な平凡なお別れであった。

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かま

カマキリを見た。

石ころの上で神妙に伏していた。

スニーカーでつついてみたが、動きゃあしない。

逃げもしない。

カマも振り上げない。

草色の背を蒼き蒼き天空にかざして、深い黙想にひたってる。

何の見返りも求めていない。

いついつ終えるつもりもない。

じっと見ていても仕方がないので、用事を済ませにそこを離れた。

少し後、さっきの場所のすぐ近くでカマキリを見た。

砂利の上に、滅裂になって死んでいた。

足とか羽根とかが、胴から放り出されて、散らばって。

さっきのカマキリとおんなじやつかどうかはわからない。

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おれ

このごろのおれの主成分。

ブルガリアン・ボイス。

蘇州夜曲。

オスマン・トルコ。

高杉晋作。

水菜。

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いね

こないだカカシのことを書いた。

それから2日後くらいに、ヤフーでカカシの特集が組まれていた。

皆々様、皆々summer、カカシ業界には注目されていらっしゃったようだ。

ただただ田を見張って突き立っていたカカシらが、論評の的になる。

カカシ躍進のチャンスが訪れたと言えましょう。

田によってはもう刈り入れをしている。

まだ青々と穂を伸ばす田の群れに、すっかり刈られてた田が、歯抜けのように薄い土色の地表を見せる。

刈られた田には、当然ながらカカシの姿はない。

数多の鳥の来襲を防がしめた英雄は、実り切った稲の刈りいれに紛れて、水が蒸発するように、ただ静かに持ち場を去る。

最後まで無言である。

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てつ

いもを栽培しようと思って、境内の空き地を耕した。大根や豆やらも植えるつもりで、さらに耕した。

ユンボを使えば楽なんだけども、やっぱりクワを使う。腰が痛い。

鉄って素晴らしい。鉄が伝来するまでは、木製の農機を使って土を耕していたそうである。「鉄器の伝来によって生産高が飛躍的に上がった」というようなことは教科書で習うけど、そりゃあ当然だと身に染みて感じる。

どこかからもらってきて納屋で眠っていた古いものとはいえ、僕が耕す道具は鉄製のクワである。三本の鉄の歯をもってしても、固まった土を耕すのは一苦労であった。なのに、木なんぞであの亀の甲羅のように硬い地面をほぐすなんて並大抵じゃない。鉄バンザイ。

クワとかカマとかアナログな道具たちは、現代のような機械化された農機の、いわばご先祖さんにあたる。生物みたく、いろんな分野での進化系図があったら面白いのになと思う。クワが何千年も前からあって、エンジンが近代に誕生して、車が生まれて、そいつらが融合して耕運機ができちゃった、みたいな。

パソコンのご先祖さんはなんでしょう。近いとこではワープロか。ちょっと前に電卓なんかも生まれた。コンピューターの一番最初は、アメリカのなんとかいう企業が、戦艦の砲門の適切な角度を算出するために生み出されたものらしい。そういうの同士が掛け合って、新しい型が生まれる。進化の系図が、なんにだってある。

とにかく僕は野菜を植える。ゆがんだっていいから大根を植える。鉄バンザイ鉄バンザイ。土を耕した日は、ビールがうめい。

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めも

森博嗣さんがだいたいこんなこと言ってはりました。メモっといたほうがええかなと思い、メモります。解釈まちがってたらすいません。

テレビ好きな人たちがテレビ業界に入って、業界を作ってる。

本好きな人たちが本業界に入って、業界を作ってる。

それらにとても興味があって好き、という人たちが集まって、その業界の中心になってるから、「それを嫌いな人たち」の気持ちがわからない。

だから衰退すんだ、というようなこと。

例えば「テレビが好きな人たち」は、それまでのテレビが好きで入ってきてるので、その理想的モデルを元に制作してるから、どうしても創造性に欠ける。

「理想的なテレビ像」を追いかけるあまり、欠点を埋めるようなことに執着しがちなんだけど、ともすればいわばマニアックになりがちで、少し冷静な視点で見られたときには大して差がないように思われてしまう。

「このごろのテレビ、みんな代わり映えしなくて退屈だあ」と言われるのはそういうことから起こる。本でも音楽でもファッションでも同じなのかもしれない。

テレビが無かった時代に、なにも無いところからテレビというものを作り上げ育て上げて行った人々には、理想的モデルにすべきものからして無かったから、だから独創性の強いものを産み落とすことができた。何をも踏襲する必要がなかったんだ。

もちろん不完全な点はいくらでもあったんだけど、欠点であると同時にそれが面白さのひとつでもあった。完全なものはキレイだけど退屈しちゃうんだ。

理想的モデルに引きずられた先に、キレイに仕上げたところで、それは「好きな人たち」だけの価値観ではすごいことなのかもしれないけど、一般的に見れば些細なこだわりでしかないのかもしれない。

それをしているうちは、過去のパイオニアが残した印象を凌ぐことはできない。こんなのを、第二世代のジレンマという。

作ってる人たちのこだわりの先に、受け手の人たちがホントに求めてるもがあるのか?

受け手としても、呆然と受けているだけじゃなくて、しっかり自分の身に合ったものを選別しねえといけん。

ぶちやぶろうぜー。やーやー。

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とい

最近の疑問を並べます。

1.かかし

車を走らせていると、あっちこっちの田んぼが緑で綺麗な季節。今日は早くも刈り込みしてる早稲田があった。雨が多かったけど、今年の稲のデキはどんな具合なんだろう。

疑問は、田んぼの鳥よけなんだけど、結局どのスタイルが効果的なのかということ。ロープに縛られた大きなCDとか、でかい目のような模様の風船など。またはカカシ。どっちが効くんだろう。

今どきのカカシには、マネキンが使われているのをこのごろよく見る。近所のマネキンカカシに至っては毎年左手にピストルを握っている。鳥や不審者が近寄れば即座に射殺、といわんばかりのスーパーセキュリティーカカシである。

マネキンがカカシとして使えるのはまだわかるけど、人形の顔の部分だけを棒に突き刺したスタイルもちょくちょく見る。一画に何本もの顔が挿されているのは、さらし首にしか思えない。地獄の黙示録のマーロン・ブランドばりのホロコースト的害鳥対策だと言える。

ともあれ、鳥にほんとに有効なのは「ディスク」なのか「カカシ」なのか、ということ。

2.にくしょく

火をまだ使いこなしていない時代に、肉食はあったのか?それとも火が使えるようになってから、肉を食いだしたのか?

ごくごく乱暴に分けると、東洋人は農耕、西洋人は狩猟、というイメージがある。火は確か北京原人からだと言うし、ではそれ以前に、例えば西洋の先人類が肉食をしていたとすれば、生で食ってたのか?

それとも、辛うじて干してたのかなあ、なんてことも思った。

ギャートルズなんかに出てくるでっかいマンモスの骨付き肉のようなものは、生だったかなあ。焼いてたんじゃないかなあ。

3.むし

虫って何なのか。太古、生物の全てが海にいたとき、虫の先祖もすべからく海中にいた。それからどういういきさつで陸に上がったんだろう。

喰って排泄するよなあ。息もしてるのか。虫にはセキツイ動物と同じような内臓があるの?心臓とか、胃なのか?血は流れているの?

足を断面図で見ると、パイプ状だと聞いたことがあるけど、筋肉はあるの?でもイナゴとか喰うのはたんぱく質があるからですよね。

パイプのようにスカスカ、乾燥した体はいつもカリカリ。なのにあれだけ跳躍したり、高速で飛んだり、でかい鳴き声を出したり、大きなものを運んだりする。このエネルギー効率は、これからの時代の大きなヒントになるんではないのか。

以上、ヒマがあったら調べてみます。

もし何かご存知の方は、教えてください。お願いします。

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