感覚の違い
昔の人と現代の人とでは味覚が随分違うであろうという話を聞きました。昔の人は100%国産無農薬の作物を常に食べていたわけですが、今は化学調味料や、清涼飲料水に含まれる保存料などを口にする機会が多いことも理由の一つです。また、おいしいものは手の届くところに溢れています。例えば、昔の人が米を食べたときと、僕が米を食べたときとでは、感動という点でまったく度合いが違うんだろうなと思います。僕の場合でも、空腹のときに食べるご飯と、なんとなく食べるごはんとでは全然味が違いますが、生きるか死ぬかという問題とは程遠い部分での差ですから、昔の食事とは全く性質の違うものでしょう。
それに、昔は食事が快楽の大きな部分を占めていたであろうけれど、今は他にも楽しいことがたくさんあって、一食に注ぐ喜びには大きな差があると思います。感覚器官の味の感じ方、そして感動という両方の意味を踏まえたものとして、今と昔の味覚は随分と違うでしょう。
何を感じ取るにしてもそうで、例えば僕は今日お茶席でお点前する方の姿をきれいだと感じました。部屋全体から茶道具とその前でお点前している和装の人とだけを切り取って眺めてみました。その風景は昔の茶室に見られたものとそう変わりはないはずでしたが、受け止める僕の感性が昔の人とは随分違います。日常で見る景色がまるで違います。西洋のものが当たり前のように溢れている中で、日本の伝統文化としての美をその限られたひとときに持った「きれいだ」という感覚と、独自の風土と文化でのみ周まれた環境の中で、さらにそれら純正の文化を凝縮し、抽出して練り上げた世界を一室に作り上げ、その範囲での行き来でのみ生活している中で感じるものとでは、全く違うものと言っていいでしょう。
同じ風景を見ても、同じものを食べても、同じ歌を聴いても、その時代ごとに、その人ごとに、感じ方には大きな差がありそうだなと思うのです。感覚においてさえそうであるならば、究極に普遍的なものというのは、どういう形で存在するのでしょうか。
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