本多静六という人は日本の林学博士で、「公園の父」の異名を持っていました。埼玉県に生まれ、東京の明治神宮や日比谷公園をはじめ、明治期以降の大型公園の設計・改良に、全国にわたって多数携わりました。多大な財産をなした資産家としても有名で、その信条は勤倹貯蓄の文字通り、真面目に働いて倹約することで堅実に蓄えを得るということにありました。
本多氏の蓄財術には一種独特の決まりごとがあって、それはどんなに貧しくても定期収入の四分の一と臨時収入の全額を貯蓄するということを必ず守り続ける、ということです。「四分の一天引き貯金」と呼ばれるその方法に加え、氏の専門性を活かした投資、つまり山林や山地や株への投資によって、大きな財を築き上げました。
しかし、本多氏の勤倹貯蓄の信条には続きがあります。それは築いた富に執着しないということです。手にした巨額の財のほとんど全てを、いとも簡単に、そして何度も寄付してしまいます。例えば1930年には、所有していた山林約2,700haを埼玉県に寄贈しています。財産はほとんど公共のために寄付されました。氏にとって蓄財は自身の満足だけを念頭に置いたものではなく、築いた富を世の中にとってさらにどれだけ効果的に使うことができるのか、という強烈な公共理念によって成り立っていたものということがわかります。
謹直に職務に従事し、倹約を守り財を成し、広く公共の手に委ねるという本多氏の一連の行動を、今度は寄付を受けた公共の側が発展させます。「本多静六博士奨学金制度」は、先に紹介した山村の寄付を受けた埼玉県が、育英事業として実施しているものです。自らの少年期における苦学の経験を元に、次世代の教育環境の向上を助けています。本多氏、県、そして奨学金を受けた学生と、慈善の連鎖は続いていきます。
本多氏の常からの心がけを表すものに、次のような言葉があります。「人生の最大幸福は職業の道楽化にある。富も、名誉も、美衣美食も、職業道楽の愉快さには遠く及ばない。職業を道楽化する方法はただ一つ、努力(「努力」と書いて「べんきょう」と読ませました)することである。」自分の職業を、すなわち人生において自分が与えられた役割だと心得て、その役割と真正面から向き合ってとことん「べんきょう」することが何よりも大切だということでしょう。
本多氏はこのような心がけのもとに、巨大な財を成さしめたわけですが、それでも富や名誉や美衣美食を求めることをせず、寄付という形で慈善の輪を広げるという選択肢をとりました。その輪は今も繋がっており、氏の生まれ故郷である菖蒲町では、本多氏の勤勉で質実な人生哲学や処世術を町政にも活かそうと、様々な顕彰事業が自治体を挙げて行われています。このように、本多氏自身は財産をほとんど残すことはありませんでしたが、自分の役割を全うしようという心構えが、後世まで名を残させる結果となったのです。
敬意や好感を集める人というのは、自己満足を追い求める人であるより、周囲の満足に対して自らはどこまでのことができるのかを追究する人であると、ひとつには言えるのではないでしょうか。もっとも近頃では、その人がどれだけ自己を肥大させているかという点が羨望の的になっているという部分もあります。どれだけ財力や権力をてにできるのかを追い求める人が目立ち、また周囲の価値判断もそれに準じるという傾向にあるようにも見えます。もちろん財を投げ打っての寄付行為や、仕事のことだけを考えるというようなことは、誰にでもできることではありません。しかし少なくとも、利他の心はいつの時代にも美徳であってほしいものです。
(月報「石鎚」より)