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2007年9月の記事

料理ができない

食欲の秋ですね。僕は食べる一方で調理となるとほとんどできません。大学時代に飲食店で3年以上アルバイトしていましたが、冷凍やレトルトを使用したものばかりだったので、料理らしい料理を一から作るとなるとほとんどやったことがありません。

ちょっとお腹が減ったなというときも、冷蔵庫の残り物をつつくとかカップラーメンを作るとかしてしのぎますが、もし自分で料理ができたらな、と思わなくもありません。ちょいちょいと簡単かつおいしいものを何か作ることができたら素敵だなあと思います。自分自身の小腹を満たす程度の料理すらできないことを残念に思うとともに、毎日毎日何人もの家族においしいごはんを作っている人たちのことを、あらためてすごいなと思います。

世の中には数え切れないほど膨大なメニューがあって、その中から毎日何を作るか選んでくれています。前日食べたものを踏まえ、栄養バランスを踏まえ、食べる人の好みを踏まえ、季節感を踏まえ、おいしさを届けてくれます。たいへんな作業です。いつも食べられることが当たり前になってきて、どこか淡々と食事していましたが、あらためて食べ物のことを考えてみると、一食ごとにもっと味わって食べなければ、感謝しなければなあと思うのでした。

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池坊展

丸亀市民体育館にて開催されている「池坊香川県連合支部・いけばな池坊展」の入場券をいただいたので、今日見学にいってきました。期間は今日と明日です。体育館のフロアを一杯に使って、池坊の門下の方々の作品がたくさん展示されていました。高松支部、三豊支部、善通寺支部、讃岐支部、丸亀支部、合計出瓶者322名ということです。開場から間もなく入ったのですが、すでにたくさんの人が入場され、見学されていました。

恥ずかしながら華道について全くの無知で、感想を述べることができません。ただただどの作品も上手に生けられていた、綺麗だったという他なく、どこがどう上手なのかということはわかりませんでした。本当に自分の教養の無さを反省します。

はじめのうちはこの生け方が好きだ、とか、これは変わっているな、とか思いながら見ていたのですが、数百点の作品を眺めているうち、だんだんわからなくなってきました。もっと知識や感性が磨かれていたら、いろいろな見方を楽しめただろうにと思うと本当に残念です。しかし花を生けるにしてもいろいろな生け方があるものですね。立花、生花、自由花、それぞれ器や素材選びもたいへんだなと思いました。

今日は展示会ですので作品がズラリと並べられていましたが、本来は一つずつなわけです。たったひとつの生け花を部屋に飾るだけで、その空間がグッと引き立ったり、または静かに落ち着いたりと、その場その場の雰囲気を作り出してしまいます。あらためて命あるものの秘めた力と、それを引き出す伝統の技の奥深さに唸ってしまいます。

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ウサギに出会う

昨日はきれいな満月が見られました。宵のうちはとても大きく見えましたが、雲がかかって見えたり見えなかったりでしたが、夜も更けるほどに空も晴れて、やわらかな丸みと微かな鋭さを併せ持った満月でした。今年は暦と満月の日が少しずれているそうで、昨日の満月を「中秋の名月」と呼んでいいものなのか戸惑いますが、その名月の次の日、つまり今日、少しびっくりすることがありました。

今日のお昼過ぎ、10月1日の月並祭に合わせて新しい榊を切りました。境内には榊が何本か生えていますので、ノコギリを持って自分で切ります。境内の山手の方、ミニ八十八カ所巡礼の辺りの榊の枝を数本切り、切った榊を手に歩いていると、ミニ八十八カ所の仏様の後ろの茂みでガサガサと物音がしました。何かいるのかなと思ったと同時に、茂みから動物がひょいと飛び出てきました。

最近たまに野良犬や野良猫がウロウロしていることがあるので、犬か猫かと思ったのですが、パッと目に付いたのはもっと小さい動物の姿で、イタチだろうと思いました。イタチも年に1度か2度くらい見かけます。しかし、茂みから飛び出て仏様の隣で座っているのは、なんとウサギでした。

まさか境内で突然ウサギと遭遇するとは思いませんから、ウサギだと識別するまでに一拍かかりましたが、まぎれもなくウサギです。野ウサギでしょうか、茶色でした。あ、ウサギだと思った時には、ウサギは山手の方にぴょんぴょん飛び跳ねていって、いなくなりました。ミニチュアダックスフントくらいの大きさだったと思います。いやあ驚きました。山で住んでるんでしょうね。

ウサギに出会って、何かいいことありそうな気がするんです。ひょっとしたら昨日の満月から、餅をつき終わって降りてきたんじゃなかろうか、とか思うんです。年に一度の大仕事を終えて、仏様の後ろで休憩でもしていて、たまたま僕と遭遇したのかもしれません。また来年も会えるでしょうか。

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対話ボランティア

介護福祉施設へ身障者さんとのお話ボランティアに行ってきました。1対1でお話をするのは先週に続いて2度目で、これから月に2、3人の利用者さんとお話することになりそうです。約1時間ほど、ゆっくりと対話をします。

今日は以前にも詩集をプレゼントしてくれたりして何度かお話もしたことのあった男性との対話でした。以前、趣味などについていろいろと話してくれていたので、今日は趣味についてもう少し詳しく教えてもらうことができました。また、好きな食べ物とか、小さい頃の思い出話とか、好きな映画俳優についてなど、多種多様な話題であっという間の1時間でした。

利用者さんがゆっくり話しをしたいと思っても、職員さんたちも1人1人各自にまとまった時間を取ることはなかなか難しいでしょうし、利用者さん同士でも、毎日いつも同じ顔ぶれだとなんとなく話しにくいこともあるようです。そういった部分を、僕が外部のボランティアとして補えればいいなと思います。遠慮なく、どんどん積極的に語りかけてもらえるように、話をしやすい雰囲気を感じてもられるようになりたいです。

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内と外

クセなのかあれこれ考えすぎるんですが、その割りに実を結んでいないことが多いです。頭の中でぐるぐる考えを巡らせて、何かについて練りに練っているつもりなのですが、なかなか行動に移らないのがいけません。結局行動に移したり、形として残らないで終わることがよくあります。

頭の中で考えることって、その時はすごく膨らんでいるようでも、後から思い返すと大したことないな、っていうことが多いです。同じことでいつでも引っかかっていたりということもよくあります。それならばせめて書き残すとか、誰かと語り合うとかいった方がずっと深みも広がりも出るように思います。行動することももちろんそうです。

考える、ということの限界って、ある程度の部分までだと思います。内に考えたものを活かして、何かを作るとか、誰かに話すとか、外に出さなければもったいないと思います。内と外との活動を、呼吸のようにバランスよくできれば、すごく自分というものを有効に発揮できると思います。僕は行動力が足りないなと自分で思うので、もっともっともっと動いて、外に吐き出していこうと思います。

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暑い秋

暑い日が続いています。もうお彼岸ですが、例年なら沿道にたくさん見られるはずの彼岸花も今年はまだほとんど見られません。夏のような暑さが続いているために秋の草花が出てこれないでいるからなのだそうです。

活け花の先生方も大変で、いつもなら揃うはずの季節の草花が揃わないのだそうです。特に今の時期はお月見と重なり、使われる草花の種類もある程度限定されてくるのでしょう。また、例年ならば時候も良くなる頃で、文化的な催しも増えてくる時期でもあり、そういう時期に季節の草花が揃わないというのは大変なことだなと思います。

地球温暖化の影響が顕著に現れているのだとか、また一方では気温が高いのは人為的な排出物が主な要因ではなく、自然のままの周期によって高い気温が続いているに過ぎないのだとか、暑さの原因についてハッキリとした詳しいことはわかりませんが、なんにせよ秋が暑いだとか、秋に秋の草花が見られないというのは心地よいものではありません。

暑さの原因が人為的なものではない、ということであればそれで結構ですが、もし人が原因で地球が暑くなっていて、それが人にとって自業自得である、受けて然るべき報いである、罰である、ということであれば、甘んじて受けるべきなのではないかと思います。暑いのはイヤですが、痛みを知ることで知恵を得るということも大いにあると思います。小細工を弄して一時的に痛みを回避したとしても、廻りまわってさらに大きな問題を抱えるのならば、一度天にツバしたものをストレートに受け止める勇気を持ってもいいのではないかと思います。なかなか難しい問題です。涼しい秋の訪れを待っています。

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結婚式2次会

連休中に高校時代の同級生の結婚式があり、2次会にだけ出席してきました。高校を出て、大学も同じところに通いました。このたび、二歳下の女性と結婚されました。その同級生と会うのも何年かぶりで、正装した彼を前にするとなんだか変に緊張してしまってあまり話はできませんでしたが、幸せ一杯の表情を見てとても嬉しく思いました。

僕を含め高校時代の同級生は数名出席したのですが、それ以上に会場の出席者には彼の小、中学校からの友人の姿が多く、皆大変協力的でとてもいい雰囲気でお祝いの席が進行していたように思いました。結婚される本人の人となりが表れていたように思います。高校時代から、責任感が強く、真面目で気さくで、誰からも頼りにされ慕われる人柄を持っていました。勉強も部活も、いつも一生懸命取り組んで必ず結果を残していました。就職してからはほとんど会う機会がありませんでしたが、他の同級生などからは彼の実直な仕事ぶりを耳にすることがよくありましたし、またそうであろうことも容易に想像できました。

先日2次会で久しぶりに会って、あらためて思うのは、僕はああいう人に憧れているんだなということでした。僕には彼の真似はとてもできないなと自分で思いますし、彼のようにしっかりと地に足をつけた生き方を僕のこの先の生涯でたどることはまず無いんじゃないかなと思います。それだけに彼のことを憧れます。高校時代も、大学時代も、僕は憧れていたなと気付かされた日でした。

彼は努力の上に然るべき結果を出す人で、僕は煙に巻いてごまかす人です。彼は自分の責任は最後まで自分で持つ人で、僕はいち早く効果的な言い訳を発明する人です。彼は人としっかり対峙し、僕は人を惑わします。そんなふうに真逆であることに気が付きました。だからこそ憧れるんだなと気が付きました。そして、決して真似はできないけれども、追い続けたいなとも思いました。

またいつかお酒でも飲みに行ければいいなと思います。奥さんと、幸せな家庭を築いていってもらいたいです。心よりお祝い申し上げます。

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ここ何日か家でパソコンに向かう時間がありません。明日はパソコンから更新したいと思います。

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今の携帯電話はもう三年ほど使っています。バッテリーがすぐなくなるので新しいのにしようか迷っています。

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流行っている物とか人とかをあまりに知らなくてよくバカにされます。色んなものに興味を持たなくっちゃと思いますねー。

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介護福祉施設へボランティアに行ってきました。今日から利用者さんと1対1でのお話ボランティアになります。

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ホーキーべカコン

昔はウグイスを鳥かごに入れて飼って、その鳴き声を家の中でも楽しんだそうです。ウグイスといえばてっきりホーホケキョウ、またはケッキョケッキョケッキョとだけ鳴くものと思っていたのですが、それだけではないそうです。その鳴き声しか出さないものは藪ウグイスと言って一般的なウグイスで、値打ちのあるウグイスというのはホーキーべカコンという風な鳴き声を発し、この鳴き声を高音(こうね)といって、高音を出すウグイスは大変高価であったそうです。知りませんでした。

谷崎潤一郎「春琴抄」には次のように書かれています。「べカコンと、コンと云う金属製の美しい余韻を曳くようにするにはある人為的な手段を以って養成する。それは藪鶯の雛を、まだ尾の生えぬ時に生け捕って来て別な師匠の鶯に附けて稽古させるのである。」「有名なのは『鳳凰』とか『千代の友』とか云った様にそれぞれ銘を持っている。されば何処の誰氏の家にはしかじかの名鳥がいると云うことになれば鶯を飼っている者は我が鶯のために遥々とその名鳥の許を訪ね啼き方を教えて貰う。」「時には師匠の鶯の方から一定の場所に出張し弟子の鶯共がその周囲に集まり恰も唱歌の教室の如き観を呈する。」

今はそういう遊びは残っていないのかなと思っていろいろ見てみると、どうも現在ではウグイスを捕まえると鳥獣保護法で罰せられるようです。春琴抄の舞台は江戸末期から明治初期にかけてですので、その頃はまだウグイスを飼って鳴き声を競い合うような趣味があったのですね。

鳴き声を学ばせるためにヒナ鳥の頃から稽古に通うというのが、今ではあまり聞かない話だけにやや滑稽味を帯びて面白く思うのですが、今のペットブームなんかも同じようなものなのでしょうか。ペットブームの賛否については何とも言えませんが、動物と仲良くできるってことは素敵だと思います。

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バブルの服

当たり前に思っていたのに、いつのまにか忘れてしまっていたな、と気付いたことがありました。ラジオで司会の人とアシスタントの女性がバブル時代のことについて話していました。あのころのお金の感覚はすごかったな、というような話です。

直接本筋には関係ないことですが、アシスタントの女性が「あの頃は洋服だってすごく高かったですしね。今みたいにいいものが安く手に入る時代じゃなかったです」というようなことを話していました。

それで思い出したのが、そういえば僕も子供の頃は服を買ってもらうということが特別なことだったなということです。バブルの頃、僕はちょうど小さな子供でした。あまり裕福ではなかったからかもしれませんが、服を買ってもらう時には、「正月だから」とか「夏休みでおばあちゃんちに行くから」とか、いつも特別な理由が付属していたように思います。そこには、正月やお盆のために、親戚など「みんなに会うから」という動機があったように思います。

僕個人的な思い出に限った話かもしれず、他の子供や、子供ではなくても他の人たちにとって、あの時代に服を買うことというのはどういう感覚だったのかはわかりません。でも、もっともっと服って大切にされていたように思えるんです。それに比べたら、今の自分は使い捨てに近い感覚でいるような気さえします。個人的にちょっと考え直したほうがいいなとラジオを聴いて思いました。

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ない、がある

脳ってほんとに不思議ですよね。まだまだその仕組みのほとんどは解明されていないとも言いますが、脳の仕組みが全て解明される日なんて来るんでしょうか。脳について究明しようとするのも、とどのつまりは人間の脳なわけで、その追究は「宇宙のできる前とは?」という問題について追究するのと変わらないものだと思います。宇宙に住む物が宇宙以外の物事を理論でもって解明できるものでしょうか。脳のことを脳でもって解明できるでしょうか。そう比べてみると、人体がしばしば宇宙と表現されることにも納得してしまいます。

宇宙にはたくさんの銀河系が散らばっています。まだ確実にとまではいかないそうですが、銀河系の中心には巨大なブラックホールがあらしいということが最近の研究でわかったそうです。ブラックホールの存在を証明するのいくつかの要因の中に、「銀河系の中心からの反物質の噴出が確認された」というものがあります。

「反物質」とは物質と正反対の電子を持つ物質で、自然界、すなわち一般的に言うこの世界には殆ど存在しません。物質と反物質とを衝突させると消滅します。反物質とは「存在しない物質」であり、「この世の影」ともいうべき物質です。それが、たくさんの星の集まる銀河系の中心から吹き出ていて、その元にはブラックホールがあるのです。

ブラックホールは一般相対性理論も成り立たないため従来の物理学では議論できません。つまり自然界の常識だけでは究明することはできません。ブラックホールのようなものを「ダークマター(暗黒物質)」と呼び、解明不可能なものの存在を認めることで、やっとこの世を理論的に構築することができるのです。「『ない』ものすら『ある』」と認めなければなりません。

人間の脳からかなり話が逸れました。宇宙の問題はいうなれば「究極の客観」であり、では「究極の主観」は何かというと自己の問題であると思います。科学者をはじめ他人はもちろん、誰も自分のことを究明することはできません。しかし「絶対にわからない部分」があるからこそ存在しているとも言え、だからこそ人生いろいろで面白いのだなと思います。そして、わからないけれど自分を知りたい、わからないけれど他人を知りたい、また自分を知ってほしい、他人を知りたい、その葛藤があるからこそ豊かな人間ドラマが繰り広げられるのではないでしょうか。あんまりなんでもかんでも科学で解明しようとか、そうまでいかなくても合理性ばっかり追い求めていると、ロマンが薄くなってつまらなくなりそうだなと心配です。

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ふしぎな旅の老人

明日は敬老の日ということで、「ふしぎな旅の老人」という昔話(『沖縄むかし話の世界』より)を紹介したいと思います。

ある年の大晦日、旅の老人が村一番のお金持ちの門をたたき「どうか今夜一晩、泊めてください」と頼みましたが、塩をまかれて追い払われました。しばらくとぼとぼ歩いていると、一軒のみすぼらしい家がありました。その家のお年寄りの夫婦に一夜の宿を頼んだところ、快く迎えてくれました。

旅の老人と夫婦の3人は、いろりを囲み語らいました。話していると、老夫婦は貧しく、正月の用意も何一つできないということです。しかし夫婦は「貧乏には慣れています。ふたりで元気に正月を迎えられるだけで幸せです」とにこにこしていました。旅の老人はその言葉に心打たれ「おかげで身も心もあたたまりました。お礼をいたしましょう」と言って、おばあさんに水を入れた鍋を用意するよう言いました。

いろりにかけられた鍋に向かって、旅の老人がなにやら唱え、フタを開けてみると不思議なことに大根や昆布や豚肉がぐつぐつと煮えていました。3人でその豚汁を食べ、楽しく年越しすることができました。

あくる日の元旦には、夫婦が若水(年の最初に汲む水)を汲み、家のウカマ(火の神)と仏壇にそなえました。それから若水のお茶を3人で飲みました。旅の老人は「一夜の宿のお礼をしたいのですが、願いがひとつだけ叶うとしたら何を願いますか」と夫婦にたずねました。ふたりは「お互いの若い頃に戻ってみたい」と言いました。それを聞いた旅の老人は二人の顔をそっとなでました。するとふたりの顔はみるみる若返り、若者と娘の姿に戻りました。二人はとても喜びましたが、旅の老人はいつのまにかいなくなっていました。「あの方は神様だったにちがいない」そう思って、心の中の旅の老人に手を合わせました。

その噂を聞いた、村一番のお金持ちはたいそう悔しがり、「あのじじいを探し出せ」と下男を使って探しに行かせ、老人をむりやり屋敷につれてきました。しかしいくら頼んでも若返らせてくれません。金持ちは下男たちとともに、またしても旅の老人に塩をまきました。しかし老人は塩を着物のそでで払いのけました。はねかえされた塩は金持ちや下男にふりかかりました。すると主人は猿に、下男たちはねずみになってしまったということです。

貧しくとも困った人を助けてあげる優しさ、「二人が元気でいられれば幸せ」という謙虚さを持っていれば、いつかいいことが訪れ、その反対に何でも自分の都合のいいようにしようとすると、金持ちのようにしっぺ返しを食らう、というお話です。書いていて今週の大河ドラマ「風林火山」での北条氏康の言葉が思い出されました。『義を守りての滅亡と 義を捨てての栄華とは 天地格別にて候』。

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言葉に乗せる

「髪の乱れに手をやれば 赤い蹴出しが風に舞う」美空ひばりさんの「みだれ髪」の歌い出しの一節です。蹴出しとは女性が着物の下に身につけるものだそうです。深みのあるメロディーと優れた歌唱力でもって、この一節の詞だけでも女性の悲しい恋の終わりを見事に連想させます。

演歌もそうですが、俳句などでも、あまり言葉をたくさん使わずに、言葉の裏や奥に潜んだ世界を上手く広げられます。これには作詞家や詠み手など、言葉を発する側はもちろん、言葉を受け止める聞き手にも情緒が備わっていなければならないと思います。この情緒については日本語の乱れなどについて専門家が語るときによく取り上げられていると思われます。

僕も現代っ子でして、きちんとした日本語を扱えているのかどうかは自信がありません。言葉選びや文法に間違いはなかったとしても、そこに日本語を美しく活用する思考回路が組み込まれているとは自分自身思いません。もっと日本語を美しく(きれいだなという意味だけでなく)使うことができるはずだと思っています。それには色んなことに対する思いやりが足りません。人の心、目で見た景色、耳で聞く色んな音、月日の移り変わり、ありとあらゆることについて、思いやりが足りません。

同じ言葉、例えば「おはよう」という一言にしても、人によって深みが違うと思います。意味としての、または会話の機能としての言葉というだけでなく、せっかく話す言葉なら、そのひとことひとことに自分の精神を乗っけたいです。精神の乗った言葉は重く、深く、美しくあると思います。そういう言葉が使えたなら、たとえ少ない言葉数でも、軽い言葉をたくさん並べたよりも印象に深く刻まれることでしょう。そういう言葉を話せる人になりたいです。

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お話ボランティア

生きがい対応デイサービスでのお話ボランティアに行ってきました。今日の「暮らしのニュース」の話題は「たからだの米、新米まつり」「ソフトクリーム、どう売る?」「地震速報始まります」の3つでした。それぞれ四国新聞や朝日新聞からの話題です。

お話ボランティアも今日で3回目になりますが、徐々にどういう感じで進めていけばいいかが掴めてきたような気がします。耳の少し遠くなったお年寄りも混じっていますので、どのくらいの声の大きさがいいか、どのくらいのスピードでお話すればいいかということも、なんとなくわかってきました。また、ただ記事を読むのではなく、たまに横道にそれたり、こちらから利用者さんに質問してみたり、コミュニケーションをとりながら進めていけば、退屈もあまり感じさせずにできます。

こちらが慣れてきたのと同じように、利用者さんの側も慣れてくれているのか、聞きながらの表情やうなづきも変わってきていますし、こちらに声をかけてくれるようにもなってきました。「新米まつり、たまたま行ってきたよ」とか「ソフトクリームは右巻きですか、左巻きですか」などと冗談も飛び出します。ざっくばらんな雰囲気ができあがりつつあり、とても嬉しく思います。

まだ始めたばかりで、上手くお話できているのかわかりませんが、月3回のお話ボランティアを利用者さんに楽しみにしてもらえるよう、がんばりたいなと思います。

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久しぶりに近くを通ると、通っていた小学校の体育館がそっくりなくなっていました。建て替えるんでしょうか。月日の流れを感じます。

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蝉の鳴き声も日に日に静まっています。夜は虫の声が響いて、秋の訪れを感じさせます。柿が食べたいです。

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久しぶりに大阪に行ってきます。夜の運転なので気をつけねば。14日に香川に帰ってきます。

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愛媛でダイヤモンド

愛媛県で天然のダイヤモンドが発掘されたというニュースをネットで見つけました。国内では初めてのことだそうです。「ダイヤモンドはアフリカのような古い地質の中に発見されるもので、日本では採れない」という定説を覆す発見とのことです。大きさは100分の1ミリという極めて小さいものですが、今後採掘が進むのでしょうか。

明日の新聞にはひょっとすると詳しい地名がでているかもしれませんが、ネットでは「愛媛県」と「四国山地」というキーワード以外に、詳しい場所を特定する地名は記されていませんでした。愛媛県で四国山地というとまず真っ先に石鎚山を思い浮かべてしまい、まさかなあ、と妙な気持ちになってしまいます。ロマンがあるような、あまり似合わないような、いまひとつ現実味がありませんね。まだ石鎚とわかったわけではありませんが。

今のところ商業的な採掘にはならないとのことですし、ダイヤモンドの採掘ってどんな風な現場なのか知りませんが、このニュースの影響で大勢の方々によってむやみに山が掘り返されるような事態にだけはなってほしくないです。

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このごろ運動不足でいけません。もうちょっと涼しくなったら、春以来のジョギングでも再開しようかなと検討中です。

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ものの価値

昨日珍しく夜中にテレビを見ていました。いろんな分野からゲストを招いてお話する番組らしく、昨日のゲストはデザイナーさんでした。途中からだったのでどんなものを専門にデザインしているのかははっきりわかりませんでしたが、僕が見ていたときには家具のデザインについて話していました。

現在ではどの業界でもそうなのかもしれませんが、家具業界でも常に新しいデザインが求められてきています。ゲストの方も、自分がデザインした家具が、発売して間もないうちにリサイクルショップの店頭に並んでいるのを見て、唖然としました。ついこの間新作として世に出たものが、あっというまに古いものになって、また次のものに周囲の目がいく。使い心地がいいとか素材がいいとかいったことは二の次で、新しいかどうかということのみが追究されている。どの企業も競って新しいものを生み、その数だけ古いものが忘れられていく。

そういう流れに違和感を感じたゲストさんは、「新しいものを作らない、創造しない、というデザイン」もあるのではないかと、過去の良質な家具を掘り起こしてみると、デザイン、機能性、価格などのバランスがとれた家具が作られていた時代があったのでした。1960年代あたりのものが良質であるということで、ゲストさんは当時のよさをほぼそのままに残しつつ、今の時代に合った要素も組み込んでリメイクし、企業に売り込みました。企業の側も、無理に流行を壊しては作るやり方を見直し、純粋にいいもの、長く使える商品を世に出そうと動き始めるようになりました。

製作する側や販売する側だけでなく、商品の価値をしっかりと見定める目は、消費者も持っていなければならないなと思いました。流行に乗せられて、目先の自己満足を追い求めるあまり、本当に値打ちのあるものを捨ててしまったり、物を大事にする気持ちを亡くしてしまったりすることは、とても恐ろしいことだと思います。

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うな重を食べました。うなぎは大好きな食べ物のひとつです。まだまだ暑いので元気を出さねば。

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読むのか話すのか

とある場所に講習会に行きました。話を聞くのは好きなのですが、その日の講師の方々はことごとく話が面白くありませんでした。「講演」ではなく「講習」で、いうなればお勉強会なので強いて聞き手を楽しませる必要はないのかもしれませんが、あまりにも単調すぎて眠くなりました。

その分野での知識があるからこそ壇上に立っておられるのでしょうが、ただただ原稿を読んでいるのだなあという印象で、終始棒読みでした。硬い話であることは初めからわかっているのですが、せっかく話を聴くのなら同じ硬い話でもこちらを惹きつけるように話しをしていただきたかったです。

原稿を読むのであれば、いっそそれを配布していただいて、帰宅してのちに読めばそれで済みます。読むということと話すということを同じにしてはいけません。やはり顔を見て、声を聴いての話となると、書面とはまた違った伝え方でなければ意味がありません。「知識がある」ということと「人に上手く伝えられる」ということとは必ずしもイコールにならないものだなと思いました。

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生の戦争

高瀬町「生きがい対応デイサービス」に、「暮らしのニュース」をお伝えしに行ってきました。つい一昨日も行ったところなのですが、都合によりたまたま間隔が狭くなりました。一昨日お話したところだったので、その流れが残っていて緊張もなく、まずまずスムーズにお話できたかなと思います。時間配分もなんとなく掴めてきました。

今日の話題は「世界の高齢者 サンマリノのフェリーチさん98歳 長寿の秘密は朝一杯のカフェラテ」「手作り茶屋 三木町・さんさい茶屋 地域を元気にすることが生きがい」「丸亀うちわ世界へ 地球温暖化にうちわを イタリアで国際交流」の3つ(いずれも新聞記事より)でした。

前回と同じく30分「暮らしのニュース」をお届けした後、利用者のみなさんの雑談の輪に加わりました。昔話から戦時中の話に移り、いろいろと生の体験をお聴きすることができました。

高松空襲の話はよく耳にしますが、三豊地区にも空襲があり、高瀬駅付近にも爆弾が投下されたこと。出兵する若者達の見送りは、開戦当時は華やかに行われていたけれども、終戦に近づくにつれて次第に大人しく静かになったということ。朝鮮で生まれ二十歳ごろに終戦を迎え、船に乗って引き上げてきたおばあちゃん。また何名かの方は、満州から引き上げてきたという話。観音寺にもひとつ飛行場があったということ。ご兄弟を戦争で亡くされた方。

ご本人たちにとって嫌な思い出も多いであろうかと思われましたが、貴重なお話をたくさん聞かせて下さいました。戦争を知っている世代の人がだんだんと減っていき、日本に戦争のあった時代がどんどん昔になっていきます。僕の中でも、自分でも知らないうちに昔話になりかけていたようです。しかし今日お話が、これは僕達に身近につながりのある人たちが体験した、実際にあったことなのだと思い起こさせてくれました。

未だにテレビで戦時中のことが流れたり、学校の授業で教えられたりもしますが、戦争はそういった広い視野、一般論で語られるものだけではなく、すぐ身近にいる人ひとりひとりの生活の中にあったものであり、僕達が今いるそれぞれの場所で起こったことなのです。一般論ももちろんですが、テレビや教科書では伝えられない戦争、リアリティーのある物語も、次の世代にも語り継いでいくために、自分達も何かできることがあるはずです。

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盆石展

観音寺市で今日まで開かれていた盆石の展示会にお邪魔してきました。会場には、今回ご案内をいただいた方も所属されている細川流盆石香川県支部「光彩会」のみなさんの作品が展示されていました。実は盆石とはどんなものか全く知らず、事前にパンフレットをいただいて初めて目にしたのでした。お盆の中に、砂と石を使って山や海などの風景を描いた、日本古来の伝統的縮景芸術です。

砂や石を上手く配置し、「四万十川」「瀬戸の夕映え」「渦潮」といったように、四国を中心とした全国の名勝が、ひとつの盆の上に見事に表現されていました。中には「砂漠」など外国の景色や空想の景色を題材にした作品もあり、また「石鎚連峰」という作品も見られました。石鎚山頂の雄大な景色が、そのままに再現されていました。

石の配置の工夫によって遠近感が生まれ、砂の使い具合で水の動きに躍動感がつけられていました。それらの技により、さほど大きくない盆の中に果てしない奥行きが現れ、固まっているはずの作品に時間の流れを感じさせられるのでした。盆の中の静かな日本の景色は、それぞれが決して自己主張することはありませんが、前に出ないその静けさが、かえって見るものをゆっくりと惹きよせるのでした。

「坐視、佳境」の気持ちで表現されたということです。こちらが立ち止まって、息を鎮めて、ゆっくりと見つめるほどに、限られた盆の中の風景が広がりを持って動き出します。大地の象徴である石を精神修行の目標とし、盆石は千数百年前にはじまったといいます。その長い歴史をもつ文化に初めて触れ、たいへんいい勉強になりました。

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生きがい対応デイサービスでお話

三豊市社会福祉協議会高瀬支所が開催する「生きがい対応デイサービス」に、今月からボランティアとしてお手伝いさせていただくことになり、今日初めてお邪魔してきました。生きがい対応デイサービスには、60歳以上のひとり暮らしの方、または自立して生活のできる健康状態のお年寄りが参加されています。

僕は月に3回、お昼からの1時間をいただくことになりました。1時間の前半は、地域のニュースや健康情報など、「こんなことがありましたよ」という新聞や雑誌からの話題を簡単にお知らせします。後半は利用者さんの中に混じって雑談をします。

今日は始めてということで、僕も聞いてくれる利用者の方々も手探りといった感じでした。今日は30人ほど来られていました。時間配分の感覚もわからず、話をしてみると意外に時間の経過が早く感じました。ここ最近の新聞などから、今日お話する内容をトピックスにして7つ用意していたのですが、30分を使い切るには3つの話題で十分でした。ただ記事を読むだけでなく、利用者さんに問いかけたり個人的な挿話を入れていたりすると、予想していた時間配分と全く違うペースで進みました。しかし話し手と聞き手との呼吸を取りながら進行するほうがお互いに楽しいので、今日のような形式でやっていけばいいかなと思いました。

ちなみに今日の話題は「祖谷のかずら橋ピンチ」「八十場のところてん」「104歳のヨーガ」の3つでした。みなさんとても熱心に聴いて下さり、とてもお話しやすくありがたかったです。

ニュース紹介が終わり、ひとりのおばあさんが話しかけてくれました。なんでも93歳で、今でも畑に出て野菜を育てているそうです。少し耳が遠いと言っていましたが、ハッキリとお話もできるし、手押し車で自宅から歩いて来ているということで、とてもしっかりしたおばあさんでした。旦那さんが亡くなって、54年になるそうで、それからお子さん3人を女手ひとつで育て上げ、みなさん立派になられて、今ではおばあさんには8人の曾孫さんがいらっしゃるそうです。

畑仕事から道路工事の手伝いまで、生きるためにはどんなことでもやってきた、とおばあさんは話してくれました。「借り物の体やから」と、しきりにおっしゃっていました。「神さんからお借りしてる体やから、生きてるだけでもありがたい。喜ばないかんです」と教えてくれました。93歳の女性、とだけ言えば、社会から見れば本当に弱く小さな存在です。しかしその小さな体から発せられる言葉ひとつひとつに、一人の人間の長い人生そのものが乗せられているような気がして、非常に重く感じられるのでした。

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芸能界

昨日の四国新聞朝刊「一日一言」に芸能界について書かれていました。芸能界といってもいわゆるタレント業や俳優業などの華やかな世界のことではなく、「実演家」と呼ばれる人たちの世界のことです。ダンス教室や三味線の師匠らも含み、音楽、舞踊、演芸など70分野、約8万人が加盟する社団法人・日本芸能実演家団体協議会(芸団協)の話題です。

記事によると、芸団協が「芸能活動の構造変化」について報告書をまとめました。報告書には実演家の生活と活動について詳細に書かれており、例えば実演家の年収は世間の水準収入に比べかなり低い数字になってることなどが示されています。

また年収の多い実演家たちも、その多くは人に教える「授業料」から得ているもので、自分の演じる活動による収入ではないことがわかっています。見方を変えれば、実演だけで安定した収入を得ることはなかなか難しく、教室を開いて収入にするという形が現実的なもののようです。記事は次のように締めくくっています。

「ところが、少子高齢社会が進み、特に地方経済の停滞などで、実演家の生活を支える基盤が崩れつつあるともいわれる。地方によっては入場料がどんどん下がり、実演家の悩みの種となっている。地域で育った芸を伝えてきた実演家や、習い事で芸能のすそ野を広げていたまちのお師匠さん。彼らの出番がなくなったとき、日本の「芸能界」はどうなるのだろう。」

芸能は時代を映す鏡のようなものだとも思います。時勢に沿わないものは淘汰され、廃れてゆき、そして時勢に沿った新しい文化に取って代わられていきます。これも自然なことなのかもしれません。しかしその新しい文化が、長きにわたって積み重ねられた芸能を追いやるに値するものなのかどうかを考えると、ちょっと立ち止まりたくなります。

いつも書きますが、壊すのは簡単なことです。しかし一度壊したものを再び元の形に戻すことはまず不可能です。伝統的に受け継がれてきた芸能を、ただ「時勢に沿わない」という理由だけで忘却してしまってよいものでしょうか。

たしかに、古い芸能というものは、まず第一にとっつきにくく、またえてして退屈であったり、鑑賞法にしても難解であったり、とくに若い世代には馴染みにくいものであろうと思われます。しかし一歩踏み込めば、長年積み重ねられてきた伝統の深みが必ずあるはずです。古いものにすがり続けることがいいことだというわけではありませんが、少なくとも拒絶せず、ましてや破壊せず、新しい文化とともに、新しい時代に向けて共存・共生していくべきものだと思います。

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二百十日の嵐の日(月報より)

二百十日といえば、昔から嵐が訪れる日として恐れられてきました。二百十日は、立春の日を一として二百十日目の日をいいます。嵐が来襲する日としてこの時期に恐れられた日は八朔(はっさく)、二百十日、二百二十日の3つの日で、これらを合わせて三大厄日ともされています。

ちなみに今年の日付では、三大厄日はそれぞれ八朔=九月十一日、二百十日=九月一日、二百二十日=九月十一日となります。江戸の昔などは、嵐といえばこの中でも主に二百十日前後に良く来るとされていましたが、近年では少しずれて二百二十日の頃の方がよく嵐に襲われるようになっています。

二百十日という言葉が初めて官暦に登場するのは、1684年に採用された貞享暦(じょうきょうれき)です。貞享暦は当時の幕府の天文方・渋川春海(しぶかわはるみ、またはしゅんかい)によって完成し、その後宝暦暦に改暦されるまで七十年間用いられました。渋川が二百十日という日を暦に採用するにあたっては、次のような故事が残っています。

釣り好きだった渋川が江戸品川の海に釣り船を出そうとしたところ、一人の老漁夫が海上の一点の雲を指差し、「50年来の体験によると二百十日の今日は大暴風雨になるからやめたほうがよい」と教えました。その日は晴れていたため渋川も疑いの目で眺めていましたが、次第に黒い雲が広がって老漁夫の言うとおりになりました。このことがあって、渋川は貞享暦に二百十日という言葉を取り入れたのだということです。

このような言い伝えも世代を重ねるごとに忘れ去られていきます。今では天気予報の技術の発達などもあって、雲や風の流れを見るだけで天気を予測できるような人も減っているようです。そのような知識や経験は発達した技術の陰に隠れがちですが、いざというときにはたいへん頼れるものです。天災による大きな被害を未然に防ぐことにもつながります。

9月1日は二百十日であるとともに「防災の日」でもあります。香川県では県の消防協会や道路協会、港湾協会や河川協会などが「無関心、無警戒が生む大きな危険」「安全のために気をゆるめず再チェックしましょう」と防災を呼びかけています。地震などの災害は予期せぬときに襲い掛かります。また天災の種類を問わず、被害が想定していた範囲を上回ることも十分あり得ることで、またそうなったときに見解の甘さを嘆いても取り返しがつきません。日常的な防災意識を維持することで、被害にも大きな差が出るのです。

四国地方に立て続けに台風が上陸した2004年、香川県内で風水害により全半壊した家屋は122棟で、床上・床下浸水被害は延べ約39400戸にも上り、死者・行方不明者は合わせて19人もでる惨事となりました。山には今もクッキリと爪あとが残るほどの土砂崩れが起き、建物や橋は土石流に流されました。近年は集中豪雨の起こりやすい傾向が見られるともいいます。台風の進路を変えることは到底できませんが、二百十日に近い今、被害を最小限に食い止めるためにも、なお一層の注意と警戒が求められます。

台風の具体的な対策例としては、台風が来る前に「家の内外の壊れや異常を点検、整理しておく」「非常持ち出し品、避難場所、避難路を確認しておく」ということです。また台風が近づいてきたときには「気象情報を十分聞き、雨や風、川や海の水位に注意する」「がけ、山崩れのおそれがあれば早めに避難する」「強い風が吹いているときには外出しない」ということが挙げられます。

災害は、被害を受けてから悔やんでもどうしようもありません。事前の対策こそ重要になります。絶対に被害に遭うとは限りませんが、たった一度の遭遇で全てを失うことにも繋がります。進んだ技術と、先人達の残した豊かな知恵と経験を活かして、防災に取り組みましょう。

参考:四国新聞、『こよみのページ<暦のこぼれ話>』 など

※月報「石鎚」より

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