あるべき姿
先日もフラメンコのライブについて書きましたが、観ていて不思議で仕方がなかったのは、どうしてこの形にたどり着いたのだろう、というところでした。初めて生のラテンミュージックの演奏を聴いたのですが、ほんとうに鳥肌が立つような感覚を憶えました。素人にも聴きやすい構成にしてくれていたので、それが純粋なフラメンコではなかったのかもしれませんが、けれども一つのかたちであったと思います。
ちょっとわかりにくいかもしれませんが、現在の場所になぜフラメンコはたどり着いて、そしてなぜキッチリと感動させてくれたんだろう、そのことがすごいなって思うんです。ギターひとつを取っても、僕を感動させているこの楽器は、今はこういう形に収まってしっかりと感動を与えているけれども、そこにたどり着くまでにいろんなドラマがあったんだろうな、って思うと気持ちが大きくなります。弦の数も変わっていったんだろうし、ボディーの形や大きさや素材も紆余曲折があって、でも最高の形で今に伝わっているんだなと思うんです。
歌や踊りや他の楽器、そしてフラメンコという一つのジャンルもそうで、全てが長い年月をかけていろんなドラマを経て、そして数え切れない人たちに磨き上げられ、最終形として今目の前で演奏されている、そう思うとすごい体験をしているんだなと感じます。そして、今の形に至ったのは、偶然ではなく、必然なんだろうなと思うんです。ミケランジェロでしたっけ、「石を彫るんじゃない、石の中にはじめからふさわしい形が存在していて、私はそれをあるべき形にするだけだ」というのがありますよね。そういうものなのかなって思いました。
フラメンコの起源やジプシーのことを調べていると面白いことがいっぱいです。フラメンコを伝え、磨いてきたジプシーたちもきっとミケランジェロと同じような気持ちで、あるべき音楽をあるべき形に表現してきたんじゃないかなあ。
ミケランジェロで合ってましたっけ。
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