ありがとうございました。
今年も残すところあと数時間となってしまいました。
どうぞ残りの平成19年を、楽しくお過ごし下さい。
また、平成20年も素晴らしい年にして下さい。
今年一年どうもありがとうございました。
※石鎚神宮新年祭は、元旦午後1時開式です。
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今年も残すところあと数時間となってしまいました。
どうぞ残りの平成19年を、楽しくお過ごし下さい。
また、平成20年も素晴らしい年にして下さい。
今年一年どうもありがとうございました。
※石鎚神宮新年祭は、元旦午後1時開式です。
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この冬初めての雪が詫間町にも降りました。明日は積もるかもしれないそうですね。お正月はどんなお天気になるんでしょうか。
寒いのは苦手なんです。スポーツしたり、汗をかくほど体を動かすのは楽しいんですが、ちょっとした移動とかちょっとした作業とかがおっくうになりますね。けど今日の寒さはなんだか心地よかったなあ。年の瀬の、気品のある寒さだったように感じます。
街が静かだからでしょうか。工場地区からの煙もないし、トラックも通らないから車の音もあまりしません。けれど、だからと言って人が全く出歩いていないのかというとそうでもないのですが、街全体を覆う雰囲気が落ち着いているように思えます。数十時間後にやって来る新年を迎えるために、街がこっそりカウントダウンしているような静けさです。
今年一年、あんなことやこんなことがあったなあとゆっくり振り返ってみたいのですが、なかなかそうもいかず、毎年お正月の準備になにかと気ぜわしいうちに年を越しています。
皆様はどんな一年をお過ごしでしたでしょうか。平成19年もあと1日。来年も良い一年でありますように。
※石鎚神宮新年祭は、元旦1時開式です
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昨日は管理画面へのアクセスに不具合があり更新できませんでした。
僕における今年一年を漢字一字で表すと何だろう。いろいろ考えたんですが
「試」
がしっくりくるなという感じです。ずるいかもしれないけど、もうひとつ挙げさせてもらうなら
「備」
ですね。今年はいろんなことを試した年だったなという気がします。もっと本格的にやりたいことというのがあって、それはまだ始める時期ではないと思っています。けれど、そのやりたいことに繋げるために試行錯誤したという一年だったと思うんです。
このブログもそういう「試」のうちの一つです。もっと深く、大きく、形にしたいものはまだ先にあります。その前段階として今年は試し、そして備えてきたのかなと、振り返って気がつきました。
さて、来年ですが、いつまでも手探りではいけませんので、やりたいイメージを形にしていける年にしたいですね。「動」に持っていければいいんだけど、来年もまだその時期ではないと思います。「試」「備」から「動」に変わる中間の、「移」という感じの一年にできればいいなと思っていますね。「動きつつあるな」と、周りの方々に感じていただけるようにできれば上々だなあ。
ちなみに今日で300回目の更新になります。明日からもがんばるぞー。
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トイレについて最近思うことがあります。僕は、洋式と和式では圧倒的に洋式が使いやすいです。イスに座るのと何ら変わらない体勢を取れて、和式みたいに足を折りたたんで踏ん張らなくてもいいからです。他の人はどうなんでしょう。
洋式派の僕ですが、和式しかないならばそれはそれで対応できます。子供のころは家のトイレは和式でしたので、使い方は十分身についています。けど近頃は家にしろ店にしろいろんな施設にしろ洋式の割合が増えているのではないかと思います。ですから今の子供たちの中には和式トイレの使い方を知らない子も多いんじゃないかなと思うんです。
和式が基本にあると、洋式に対応するのは簡単ですが、洋式しか使ったことがないと和式に対応するのは難しいんじゃないかなあ。あくまで想像ですが。
これからトイレはどうなるでしょう。和式トイレの需要はどれくらいあるのでしょうか。介護のことなんか考えると、やっぱり洋式の方が利便性が高そうですよね。和式トイレが見られなくなる日が、いつかやってくるのでしょうか。
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落語に「八五郎坊主」という噺がありまして、題名のとおりお坊さんの噺です。取り得が何もない八五郎という男が、お坊さんになろうと決心する噺です。
桂枝雀さんの「八五郎坊主」の中で、八五郎が甚平さんに諭される場面があります。
「昔、和泉の国、飯野佐太郎(めしのさたろう)というお人がな、お便所に落ちているご飯粒をば、これは勿体無いと言うて食べるような暮らしをして、一代の大金持ちになられたということを聞いたことがあるぞ」
和泉の国というのは大阪府南部の地域のことで、僕の生まれ育った泉佐野市もこの地域です。飯野という姓は泉佐野に多くあり、僕の知人の中にも何人かいます。その昔、この地方で大変な名声のあるお家柄だということは小さな頃から耳にしていましたが、まさか落語にまで語られているとは思わず、先日CDを聴いたときにびっくりしたのでした。
「誇らしい」というほど大袈裟なものではありませんが、とても嬉しく思いました。落語には教訓としていろいろな人物が語られます。地元の名家がそこに紹介されていたということに、同郷の人がテレビやラジオに登場するのとはまた違った嬉しさがありました。
地元の人だけが知っていることではなく、桂枝雀師匠が落語で語るほど有名なことなのか、と、あらためてすごい一族なんだなあと思いました。
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香川県に来てびっくりしたことのひとつに「年越しうどん」があります。初めのころは違和感がありましたがもう今では慣れてしまって、年越しそばだとかえって収まりが悪い感じがします。香川にいるとだんだん普通に思えてくるもんですね。
他の地方にも「年越し○○」はあるのかな。と思って軽く調べたところ、沖縄では「年越し沖縄そば」を食べるんだそうです。それ以外の地域にもあるのでしょうか。そばを食べるのは、細く長く達者に暮らせるように、という縁起をかついでのことなんですって。
揖保の糸で有名な兵庫県たつの市あたりなら「年越しそうめん」または「年越しにゅうめん」なんかがあっても良さそうですね。札幌や博多なんかには、「年越しラーメン」を食べる風習はないんでしょうか。でもやっぱり「年越しそば」という響きが不思議としっくりきますね。
年を越す、と言っても、流れる時間はいつもと少しも変わらないはずなのだけど、世界中のみんながその線を飛び越えることに特別な意識を持っています。新しい目標を設定したりして、少しでも幸せな一年を過ごしたいと願います。こたつでテレビを見ながらの人、初詣に行く人、友達とカウントダウンする人。世界中で、いろんな思いで、いろんな年越しが繰り広げられます。みなさんは今年、どんな年越しをされますでしょうか。
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個人的な年賀状にやっと手をつけはじめました。数はそんなに多くないのですが、どうしても書くのに時間がかかってしまいます。恥ずかしながら字がへたくそで、筆ペンでの宛名書きに苦戦しているんです。
10枚くらい書くと、肩がものすごく凝っていました。明らかに変な力の入りすぎです。下手な分、できるだけ丁寧にとゆっくりゆっくり書こうとして、それがかえって余計に仕上がりを不恰好なものにしているんでしょう。スラスラと力を抜いて書ければなあ。けど下手くそはそれができないんです。消しゴムで消すわけにもいかないし、中途半端に力を抜くととてもへんてこな字になってしまいますから、それならいっそ抜かないほうがマシなのです。
字が下手なのを何とかしたいですね。これは来年の大いなる課題ですよ。職業を考えても、下手なんですでは収まりが悪いです。今はそれほど人前に手書きの文字をひけらかすことは少ないですが、将来的には何かと機会が増えるでしょうから、ほんと、早いうちになんとかしよう。
パソコンにも、筆跡がそのまま出るようにならないかなあ。筆でブログを更新できたら字の上達が早いでしょうね。
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寝返りを打つのは背骨を矯正するためだと聞いたことがあります。起きているとき、少しずつ骨格は崩れようとしていて、そのズレを日々の睡眠時間に修正しているんです。よくできてますね。
頭のバランスは夢が整えています。と言うと何をもってバランスとするかが問題になりますが、起きているときの頭に、夢は少なからず影響しています。逆のことも言えるようで、起きているときのことが、夢に影響しています。夢と現実は補完しあっています。
最近、恐い夢をよく見るんですが、僕の現実とどういう関係があるんだろう。いろんな種類の恐さで、追いかけられる類の夢を見る日もあれば、高い所から落ちるものもあるし、また自分が恐い目に遭うだけでなく、誰かを傷つけてしまって後悔したり、残酷なことをする夢だったりします。
何か意味があるんでしょうかねえ。そういう夢を見るっていうことは、現実においてその原因があるはずですし、現実のほうにも夢が何らかの形で影響しているんです。恐い夢だけど、いい方に作用していてほしいなあ。
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このあいだ野球マンガを読み返していて見つけたセリフがあります。ある登場人物が何打席も連続でホームランを打ったときの、実況アナウンサーのセリフです。
「もしかして残りの打席も全てホームランを打つのではないでしょうか!」
「しかしそのまさかが人には誰も一生に一度はあるのです!いうなれば魔物がついたような力が出て全てうまく行く信じられない瞬間が!!」
このセリフ、前半はともかく後半は本当だと思うんです。「魔物がついたような」はひょっとすると行き過ぎかもしれませんが、それでも想像をはるかに超える力でいろんなことがトントン拍子にうまく転がっていくことはあると思います。
ただしそれは、もちろん偶然の働きという場合もあるでしょうが、自分の気持ちの持ち方次第で大きく左右されることなのではないでしょうか。チャンスを受け容れる体勢を、気持ちの中にいつも置いているかどうかなんじゃないかなと思います。広い世の中で自分の周囲は常にうごめいていて、自転車のチェーンキーのナンバーロックがある一つの数字のときに開錠されるように、周囲の状況が自分にとってチャンスとなる瞬間はあるとき目の前に開かれるのだと思います。
チャンスが現れてから動き出したのでは遅く、上手に活かすには常日頃の心構えが重要なのだと思います。自分にも好機はある、ということを心のどこかに持っておいて、しかるべき時の判断に迷わないようにしておきたいです。
熟練の石工が一撃のノミで大きな石を砕くように、射撃の名人が一発の弾丸で数羽の鳥を落とすように、物には核があって、人の時間には機があるのかなって思います。「ここ!」という。思ってはいるのですが残念ながら乗りこなせたという経験はありません。こちらからモノにするには腕も磨いておかねばなりませんしね。
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お腹をこわしていたので書き込むことができませんでしたが、18日は対話ボランティアに行ってきました。今回もSさん(男性)とオセロをして、いつもお話しているHさん(女性)と1時間ほど雑談しました。
Sさんが不自由な手で描いた水彩画を掛けている壁があって、今回はそこで対戦しました。その絵がまた独特な世界観が表現されていて、限りないイメージの中にどこまでも深く引き込まれていくようです。他の作品もいつか見せてもらう約束をしました。
Sさんとのそれまでの対戦成績は僕の2勝3敗1分でした。僕は全く手を抜いているつもりはありませんが、Sさんの熟練の技にいつも悩まされています。白と黒、64マス、先手と後手、という単純極まりないゲームですが、その単純さゆえの奥深さがあり、Sさんとの毎試合にドラマがあるのです。ちなみにどこかの数学者が計算したところ、確率から見てオセロというゲームは圧倒的に後手有利なのだそうです。
対話ボランティアのくせに対戦中はお互いあまり多くは話しませんが、一試合の中で無言の内に交わしている言葉にならないやりとりがいくつもあります。そういうのは無言で続けるキャッチボールに似た感覚なのかなと思います。ボールのやりとりだけでなく、なんだかわからないけど何かが残っているという。ちっちゃなころから気軽にできるオセロですが、勝敗そのものよりもその無言のやりとりがおもしろかったりしますね。こういうのも「対話」ということで、いっか、って思っているのです。
その日は1勝1敗でした。みなさんもたまにはオセロ、やってみては。
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久しぶりに香川の自宅から更新いたします。
昨日の夕方から熱を出してしまいました。風邪じゃなくって、情けないことに単なる食べ過ぎです。おとといの夜も、昨日の日中も、満腹の上にどんどん飲み食いしたので、お腹が変になって熱が出てしまいました。風邪の発熱ではないので、解熱剤を飲んで一晩じっくり寝たら治りました。意地汚いことをするとバチが当たるのです。
熱の床の中で考えたのは、熱が出るってなんなのだ、ということです。人間の体は一本のパイプです。上に入り口があって下に出口があって、その間を消化器官がつないでいます。そしてその中にたくさんの細菌が住んでいます。人間の細胞は60兆個で、人間の中に住む細菌は3倍の180兆個なのだそうです。
人間というマンションに、180兆の住民が住んでいるイメージでしょうか。一本の木に、たくさんの虫や鳥が巣くっているのにも似ています。だから人間は一人のようで一人ではないんです。
だから、「誰が熱を出してるんだ」っていうことになるんです。熱を出しているのは果たして僕なのか、僕の中の住民なのか。
食べ過ぎて具合が悪くなったのは、体がそれを異常だと感じたからなんだと思います。いつもに比べて多すぎるから早く消化させなければ、ということか、もしくは食べ合わせが悪くて胃腸に良くない物質もたくさん取り入れてしまっていたのかもしれません。どちらにしろ住民にすれば異常なことで、平常に戻さねば、と活発になり、発熱するんですよね。
平常に戻さねば住民たちにとっても人間にとっても良くないわけです。住民たちは快適な平常を取り戻すべく、一生懸命異常と戦ってくれてるんですね。それは僕が戦っているとも言えるけども、僕の中の共生者が戦っているとも言えます。異常が平常に戻るのはありがたいことだけども、それは決して僕が僕だけのために回復させているというだけの意味あいではなく、住民にすれば快適なマンションを取り戻すために活動しているに過ぎないんですよね。
自分の中にいる180兆の住民たちを、上手に飼いならせられればいいなと思います。今回も、すんなり回復することができたのも、そういう意識でいたからかもしれないなと少し思っています。今、僕の中の住民は何を求めているのか。そうすると「早く治りたい」という思いはすなわち「おまえらがんばれ」になるのでした。「それ、薬を飲め」「それ、ビタミンを摂れ、睡眠を取れ」。だから早く治ったのかもな、って思いました。
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その店でないと手に入らない紙がって、とある文房具店に入りました。夕方、日が落ちて街に灯がともりはじめていました。幹線道路沿いの小さな文房具店ですが、一帯のオフィスとも取引があるようで、品揃えはいいし、店内には作業服の職員さんが数名働いています。
外には車が普段より多く停まっていて、店内もお客さんがいつもよりたくさんいました。今年はじめて「あ、師走だ」と思った瞬間でした。店の中に一歩踏み入れると、師走の雰囲気なのでした。お客さんの数が多いっていうのもあるし、店の人もいつもより何人か多かったと思います。僕に応対してくれたのが、その店のご家族でしょうか、エプロン姿のおばあちゃんだったことも一層の師走感を思わせたのかもしれません。
買う人も売る人も、普段とそうたいして態度が違うわけではないはずなんですが、師走の雰囲気が店の隅まで漂っていました。師走のあわただしさって、3月の年度末とはまた違う性質のものじゃないかなと思いました。コートを着て、マフラーを巻いて、買い物に行ったり人に挨拶に行ったり。人間がつくった数字上や形式上のことではなくて、自然の流れの中で無邪気にやってくる忙しさのようなところがあって、だから人情が混ざってるんじゃないでしょうか。
「○○病院で領収書お願いします」
「14号の筆、在庫なかったんかいなあ」
「袋みな別にしときましょかー」
文房具店で行き交うなんでもないやりとりに、人情を含んだ忙しさの電流が流れていました。エプロンのおばあさんが奥から紙を取ってきてくれます。灯りの街に雨が落ちます。作業服の男の人が外のものを仕舞い込みます。こんな感じで「年末だなあ」って思ったの、何年ぶりだろう。
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世界中で音楽活動をされている方とお話することができました。先進国だけでなく、発展途上国、戦争や内紛で苦しんでいる国々でもライブ活動をし、多くの人たちに勇気と感動を与える活動を長年続けられています。
音楽に国境はない、とおっしゃいます。その言葉にはとても力があります。実際に何カ国もの人々に感動を伝えて来られて実感されているし、いつも心の底から信じているということが、波長に乗ってこちらにも伝わるんです。ライブは日本語がベースですが、思いは言葉を超えて伝わるのだそうです。
信じれば伝わる、ということを実践されています。ライブや楽曲でもそうですし、僕にお話してくれたときもそれは同じで、日常生活そのものが「信じる道」なんです。だから言葉に力がありますし、また音楽も国境や言葉を超えることができます。いつも信じる道を歩んでいるからこそ、力のある言葉も使えるし、楽曲にも力を乗せることができるんですね。
信じる道を進むには強くあらねばならないのだということをおっしゃいました。強くあるということはわがままであることではなくて、受け入れることだということでした。近い将来を見ると、それはつらいことで、損であるようなことかもしれないけれども、いずれ巡り巡って大きく帰ってくる、と。信じる道を進むということは、一見すると不安定なことで、怖いことかもしれないけども、信じていればいつかきっと実を結ぶものなのでしょうね。
世の中に「キレイ事」とされるものはたくさんあって、ほとんどは現実性のないもののように言われています。けど、「キレイ事」はすぐには実現できないもので、長い時間を経てキレイであり続ければこそ実現できることだと思います。ほんの少しでも汚れてしまうと、また一からやりなおさなければならない、非常に効率の悪いものかもしれません。効率だけを求めるならば「キレイ事」には取り組まないほうが得でしょうけれど、「キレイ事」を実現できたならば、その苦労を補って余りある素晴らしさを見ることができるのでしょう。いやあ、信じる道を行く人の言葉には、心を震えさせる何かがありますねー。
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大阪にいます。森之宮駅近くにホルモン焼きのお店がありまして、先日の夜食べに行ってきました。座席に着くと七輪が運ばれてきて、ジュージューと炭火焼でいただくシステムです。隣のお客さんとの間隔も狭くって、お客さんの話し声やら店員さんの注文を通す声やら肉が焼けるジュージューという音やらが入り混じり、いつも活気に満ち溢れています。
人によって好き嫌いがあるんでしょうけど、おいしいです。それに安いっていうのが嬉しいんですよね。先日もお腹いっぱいで一人2000円そこそこでした。ホルモン焼きじゃなくって焼肉屋さんだったら、同じ量でも値段が全然違ってるでしょうね。
でも何でホルモンは安いんでしょうか。安いってことは、簡単に手に入るってことだと考えてしまいます。肉に関してそのあたりどうなんでしょう。焼肉用の肉もホルモン用の肉も、牛から出るもんですよね。豚であったり鶏であったりもしますけど。とりあえず牛ということで考えると、牛一頭から取れる肉の量って、焼肉用とホルモンとではどっちが多いんだろうなあ。
言ってみれば、内蔵とそれ以外ですよね。どっちが多いんだ。内臓のほうが少ないんじゃないのかなって思うんですが、どうなんでしょう。少ないのに、でも安いんですよね。案外内臓のほうがたくさん取れるんでしょうか。胃はいくつもあるし、腸なんて何メートルもあるんでしょうし。
焼肉用の肉牛にも「○○牛」とブランドがあるように、ホルモンにもブランドがあったりするのでしょうか。ブランドとはいかないまでも、おいしいホルモンの取れる牛と、そうでない牛というのがあるのかなあ。日本の肉牛は、脂が乗って柔らかいとウマイとされますよね。そういう牛のホルモンも、またウマイのでしょうか。
ウマイ肉を持つ牛は、はたして内臓もウマイのか?
食用の内臓についてはあまり焦点を当てられてないように思えますが、そのあたりを知りたいなあと思いました。
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感動は待つものじゃなくて、受け止め方次第でいくらでも手に入れることができるのかなあって思います。なんでもなさそうなことも、見方を変えると感動の詰め合わせだったりしそうです。
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うどんは踏むほどにコシがでます。否定されるのはありがたいことでして、もう一度自分を見つめる機会になります。そしてさらに飛躍できる。毎日勉強させてもらっております。
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今日はご老人に暮らしのニュースお届けの日でした。今日のお題は「売れ筋おせち」「タヌキ増えて困った」「7日は大雪(たいせつ)」でした。朝からしょぼしょぼと雨降りで、人数はいつもより若干少なめでしたね。
社協の職員さんが「始まりますよー」と声をかけてくれると、利用者のみなさんが座布団を手に手に前のほうに集まってきてくれるんです。毎回、話しはじめる前は少し不安なんですが、そうやって聴く体勢になってくれるとすごく気持ちがほぐれます。職員さんが無理に煽らなくても、一声でみなさん素直に反応してくれるので嬉しいですね。
僕のお届けするニュースなんてほんとうに小さなことで、大きな社会からみればほんの些細な出来事なんですが、それを正面から素直に聴いて下さいます。子供のように純粋だと言っていいと思います。大人でありながらそれができるのは、ひととおりの人生経験があるからなんでしょうね。
けど、年齢を問わず、どんな年代でもそういう姿でいられれば素晴らしいと思います。自分に直結していなくとも、ありふれた些細なことでも、純粋に正面から向き合う。どんなことに対してもそれができれば、ものすごくたくさんのことを吸収できると思います。知恵も得られる、感受性も磨かれるはずなんですが、実際はなかなかできませんね。
多少の欲は持っていいと思いますが、大人って往々にして欲張りすぎてしまうんでしょうか。本来は誰しも純粋なところを、過剰な部分の欲が覆いかぶさって、遠回りしてしまっているような気がするなあ。無理な力をかけないほうが、得られる結果って大きいんだろうな、って、予感だけはします。実行して、実感したいです。
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昨日は高知県仁淀川町にてお神楽の練習を見学させていただきました。この地域にはお神楽が数多くあり、地区によって舞いが違います。僕が見せていただいたのは「安居神楽(やすいかぐら)」というもので、今年は12月12日に行われるということでした。
今に伝えられている神楽のほとんどは「里神楽」で、これは観客の方に向かって舞われるものですが、「安居神楽」は「太々神楽」に属し、拝殿に向かって奉納されるもので、今では全国的に珍しいものなのだそうです。京の神楽の原型がそのままに伝えられていて、その点でも貴重なものです。仁淀川町の神楽は昭和57年、国指定重要無形民俗文化財として認可されています。
練習場所は愛媛との県境の山中にある小さなお宮さんでした。車から降りると冷たく澄んだ空気の中に星空がとてもきれいに瞬いていました。本番一週間前とあって、演じ手の方々も練習に熱が入っていました。過疎化などもあり、メンバーも減りつつあるということですが、地域のみなさんが一生懸命に神楽を盛り立てようと取り組まれています。この日は別の地区の神主さんが練習を見に来られていたり、高知市内からも若い方が練習に参加されていました。
僕は呑気に囲炉裏の火にあたり、お酒をいただいたり焼き芋をいただいたりしながら見学させてもらっていました。みなさんほんとに気をつかって下さって、とても楽しく見学させていただけました。時に勇壮に、時にしなやかに舞われるのですが、どちらのときも細かい動きひとつで見える印象は全然違ってくるなと感じました。何百年も伝えられた舞いです。指先の動き、足の運び、ひとつひとつの動作に全て意味があるのだな、そこまで磨き上げられているのだなという、一種の凄みが、そばで見ていると感じられました。
本番まであと一週間。素晴らしいお神楽が奉納されますことをお祈りしています。突然お邪魔した僕に、みなさんご親切に接してくださって、本当にありがたく思います。陰ながらいずれ何かの形で御支援できるよう頑張ります。これからも地域の貴重なお神楽を伝え、盛り上げていっていただきたいと思います。
仁淀川町のHPでは写真つきで紹介されています↓
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車のハザードランプって、警告するためだけのものじゃないですよね。「ありがとう」の意味として使うこともあります。合流地点でスペースを空けて進路を譲ってくれたときなんかに使います。その感謝の気持ちを、黄色く点滅するハザードランプ以外で表すことができたらいいんじゃないかなって思いました。ハザードランプ以外に「サンキューランプ」があったらどうでしょう。
道を譲ってもらったときにサンキューランプを点灯させます。そうですね、ハート型でもいいし、ピンクとか赤くてもいいかもしれません。警告と同じ黄色よりも、感謝の気持ちがもっと直接的に伝わると思います。
あと、クラクションにも、何種類か音色があればいいのにって思います。警笛というくらいですから、基本的に音が鋭いですよね。でも違うボタンを押すとキラキラした音が出るとか、爽やかな和音が出るとかだと、よりクラクションの意味が広がると思うんです。運転者同士の意思疎通が今より円滑になりませんかねえ。
「車は扱いを間違うと危険なもの」というイメージがあります。それは正しいことです。その危険を未然に避けるために、ハザードランプやクラクションがあります。それらは「危ないよ」「気をつけて」ということを示すためのものです。感謝の気持ちを表すときにも使われますが、それは危険予告装置の代用でしかありません。でも感謝専用の装置があれば、もっとみんな感謝を伝えると思うんです。みんなの「ありがとう」が溢れている道路って、みんなが走っていて気持ちいい道路ってことじゃありませんか?
うるさくてしょうがないかなあ。
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うちの犬(ラン・オス・5歳)の口を手でふさいでやると、軽くふさいでいても嫌がって振り払おうとします。今度は鼻をフタしてやると、これも嫌がって振り払います。ところが、目をふさいでもさほど嫌がらないんです。また、耳をふさいでも全く嫌がりません。目は、多少そわそわしますが、耳の時はほんとうに何事もないかのように大人しくしています。
口、鼻、目、耳の中でも、優先順位があるんだなと思ったわけです。どの犬もそういう反応なのか、またふさぐ人間によって反応も変わるのか、そのあたりは検証していませんが、どうも生き物の感覚器官の重要性って平等ではないように思います。これは人間と犬でも違うでしょうし、魚、鳥、爬虫類、それぞれの種で差はあるのでしょうけど。
犬にとって、耳って口や鼻ほど重要ではないのかもしれないなと思いました。もちろん大事なのは間違いないですが、優先順位ということを考えると、対等ではないみたいです。人間もそうなのかもな、とも思います。
口、鼻、目と、大きく耳が異なっている点は「水や音が出ない」こと、また「役割が限定されている」ということではないでしょうか。耳は音を入れるだけのもので、水が出ていかないですよね。耳の役割って唯一「音を聞く」ってところだけだと思うんです。
口からは唾液が出ますし、呼吸もします、ものを食べます、声も出ます。仕事はたくさんです。鼻からは匂いをかぎます、鼻汁も出ます、呼吸をします。目でものを見ます、涙が出ます。こうやってみると目の働きも数にすれば少なくて、犬の反応の薄さとも多少関係があるのかもしれません。
この差はなんなのでしょう。神様が人間や他の生物を作ったとして、何で役割をいくつかの器官に割り振って、優先順位をつけたのでしょうか。食事も呼吸も排泄もできて、見られる、かげる、聞ける、話せる、そんな器官がただひとつある、そういう形もありえたはずです。謎ですよー。
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日本酒はあまり飲まないんですが、よく飲む人は少し味を見ただけで銘柄がわかったりしますね。ちょうど熱燗がおいしい季節でしょうか。
日本酒みたいに、あっためて飲む酒って他にもあるんですかね。あまり聞いたことがないような気がします。焼酎のお湯割りくらいしか思い浮かばないです。外国のお酒では何かあるのかな。あったかいカクテルとか、あるんでしょうか。
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ある国語辞典で“やけっぱち”という言葉を引いてみると「『やけ』を強めた言い方。すてばち。やけくそ。」と書かれています。そこで“すてばち”とは何かと辞書を引くと「やけくそ。自暴自棄」と記載されています。同じような意味ですが“すてばち”のほうには「捨(て)鉢」という漢字での表記のしかたも書かれています。
ちなみに“捨て鉢”という言葉の由来は「兜を捨てる」というところから来ているという説があります。「鉢」は兜の上部を覆う部分で、兜を捨てておのれの身を危険に晒すことから来ている言葉ではないかと言われています。
今では、使われるとしたら“やけっぱち”のほうが多いように思われますが、この“やけっぱち”の「ぱち」も、“捨て鉢”のように置き換えて“やけっ鉢”と書くこともあります。
さらに“やけ”を引いてみると「思うようにならないため前後をかえりみない行動に出ること。自暴自棄」と意味が載せられており、「自棄」という漢字が充てられています。他に“やけくそ”は「自棄糞」、“やけざけ”は「自棄酒」と漢字で表記されています。ここから“やけっ鉢”は「自棄(っ)鉢」と書くことができると考えられます。
夏目漱石は作品の中で“焼け鉢”という言葉を使っています。意味としては自暴自棄のことで“やけっぱち”と同義です。言い換えたものであることは想像できますが、しかし“焼け鉢”という言葉は国語辞典に載せられていません。
ですから“やけ(自棄)”という言葉が元にあって、それが“捨て鉢”という言葉と混ざり、“やけっぱち”という言葉に発展したのではないでしょうか。言葉の響きもリズミカルになっています。そして「鉢」の部分を上手く活用して“焼け鉢”という言葉ができたのではないかと思われます。一つの意味ににもいろいろな表現方法があって、それぞれに微妙な印象の差があります。
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“うそっぱち”という言葉があります。国語辞典で引いてみると「『うそ』を強めた言い方」と書かれています。これは「嘘っぱちという漢字が充てられています。「ぱち」の部分には漢字は充てられていません。“うそっぱち”の「ぱち」と“やけっぱち”の「ぱち」は、同じ「ぱち」でも意味まで同じなのでしょうか。
よく「うそ八百」というように“うそっぱち”に含まれる「ぱち」は、どうも「八」を当てはめるべきものであるように思われます。同じ「ぱち」でも「鉢」と「八」では意味合いが違います。しかし言葉の尻にくっつけて調子を強めるという役割としては同じようなものを持っています。
“やけっぱち”と“うそっぱち”ではどちらが先にできた言葉なのか、また一体いつごろから使われていた表現なのかはわかりませんが、「鉢」と「八」の違いはともかくとして、どちらも発音したときに非常にリズムのいい、威勢のいい言葉になります。下町の町民などが使っている姿を連想させます。この「~ぱち」という威勢のいい表現が、何か自分達の生活の中で心地よく響いたのかもしれません。
言葉のリズム、響き方には、それを使う人々の生活や性質が見られるようです。日本語は「さらさら」や「どっしり」など、擬音語や擬態語が外国語に比べてとても多いことで有名です。音の様子や物の状態などを普通の言葉で言うよりも、擬音語や擬態語を使ったほうがより細やかな伝達ができるということもあるでしょうし、言葉のリズムもよくなるでしょう。そしてまた風流という遊び心にもつながっていきます。
例えば亀が歩いていく様子を表すときも「ゆったりと」「のそのそと」「そろそろと」「じっくりと」などで、印象が随分違ってきます。そういう風に使い分けることで、物を見るときの日本人的な感性は育まれてきたのでしょう。言葉も合理化の傾向にある昨今ですが、実用性だけでなく時にはリズムや風流も楽しんでみてはいかがでしょうか。
(月報より)
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