お知らせ
このブログを開設して1年と少しが経ちました。
今後のオンラインでの活動を、さらに建設的なものにしてきたいと思います。
つきましてはその準備のため、勝手ながらしばらくの間更新を不定期とさせていただきます。
新たなスタートの際には、改めて報告させていただきます。
よろしくお願いいたします。
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昨日の古事記に関連してですが。
本居宣長が言った言葉に「何ぞ神代の事は神代の事として見ざるぞ」というものがあります。古事記の中のエピソードはいろんな解釈がなされ、「この登場人物はだれそれがモデルになっている」とか、「この場所は今でいうどこそこに当たる」とかいうように、俗世界にあてはめて語られることもよくありますが、神話は神話、神代のできごとであって、古事記の中で語られている通りに受け止めましょう、ということです。
なんか、痛い所を突かれた気持ちです。神話だけでなく、日常にあふれる、例えば映画であったり、小説であったり、人との会話でさえ、どこか冷めた視点で見てしまう。大人ぶった解釈をしてしまうんです。でもそうだ、そういうのロマンがないなあ。
もっと素直になろうと思いました。そのほうが世の中何百倍も楽しいぞきっと。
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先日、松山で古事記の勉強会があり、参加させていただきました。とあるおうちのリビングで月一回行われている会で、今回の参加者は僕を入れて9人と先生でした。
先生は80歳を越える女性でしたが、はっきりとした口調でお話して下さったし、きちんと筋道を踏んでわかりやすく解説して下さいました。たいへんためになるお話で、また参加させていただきたいなと思っています。なにぶん松山まで少々距離がありますので、都合が合えば、ということになりそうですが。
古事記が書かれて1300年ほど経っていますが、今現在でも、読めば不思議と心に染み渡ります。いつの時代になっても日本人の体に馴染むように、上手く作られているんだなと感心します。意図してのことかどうかはわかりませんが、ほんとうに上手くできているなあ。
いまからさらに1000年経っても、その時の読者の心に染み渡るといいなあ。
何もかも激変していく世の中ですが、変わらない、普遍的なものの価値も、見失わないようにしたいものです。
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自己分析って、ほんと、自分ではできているようでなかなかできていないもんですね。他人様に言われて「ハッ、ほんとうだ」って気づくことがしょっちゅうです。ほとんど毎日じゃないかなあ。
僕はこのごろ、自己分析を自分であんまりしなくなりました。他人様がけっこうやってくれるので。なんでしょう、無責任な印象を与えてしまいそうですが、でもそういう心境なんですね。
もちろん、他人様のご指摘通りに自分を作っていてはいけません。そんなのはただ演じているだけですもんね。けど「ここは」っていう核さえしっかり持っていれば、芯さえブレなければ、あとはどんなふうに自分を変化させてやってもOKなんじゃないか、という感覚なんです。
少々のことなら、なんだってやるよ、っていう、一種のゆとりとでも言いましょうか。「自分はこうだ」ってあまり決めつけないスタイルが、自分にとっては楽なのかもな、と気がついたのかもしれません。
ただ今、いろんな自分を試しています。どんな作品ができるんでしょうね。
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先日初めて陶芸をしてみました。マグカップとちいさな植木鉢をひとつずつ作ってみました。素焼きが上がってきましたが、マグカップなんて妙に分厚くてずっしりし過ぎたみたいです。いやあでも、ものを作るって楽しいですね。
友達と3人で行ったんですが、ものづくりって性格が出るなあと改めて感じました。僕はどうも、細かいところを気にしすぎるようです。普段は割と大ざっぱだと思っていたんですが、そうでもないようです。
というか、全体像は大ざっぱなんだけど、小さい一部分がすごく気になるみたいです。しかも、他の人にとってどうでもよく見えるようなところが。全体のデザインだとか、取っ手の補強とかいった肝心カナメの部分はそっちのけで、ちょっとした膨らみ加減だとか、隅っこの模様の間隔だとか、他の人が見れば「どうでもいいじゃないか」っていう部分が気になってしまうんですね。
で、大事な部分は最後になってちょっと修正するだけで。陶芸だけでなく、生活もそういう具合なんだろうなあ。大きな部分、全体像は二の次で、細かいところから目をやってしまう。そういう生き方をしているなあと、陶芸で気づかされたのでした。
いつの間にかこのブログも、開始して1年が過ぎていましたー。
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デジタル一眼レフカメラを買いました。中古ですし、一眼レフ入門用です。試しにいろいろ撮ってみましたが、おもしろいですね。今まで使ってた普通のデジカメも、それはそれで快適に撮影できてたんですが、またひと味もふた味もちがった写真が撮れます。使いこなせられるように、練習しよう。
前々から欲しくって、どの店でどの機種を買おうかもある程度絞っていました。それで、よし買うぞ、と昨日の夜カメラ屋さんに電話をしたら、営業時間が思っていたより早かったようで、電話をしたときには、もうすぐ閉店ですよという頃に差し掛かっていました。
けど親切な店員さんで。ちょっとくらい大丈夫ですよ、と言って、待っていてくれました。閉店して10分くらい経ってから僕が到着すると、正面はシャッターが下りていたので裏口からお店に入れてくれて、カメラの説明やサービスの説明を、平常と同じように詳しくしてくれました。周りでは他の店員さんがいそいそと閉店作業中で、僕は申し訳ないやらありがたいやらで小さくなっていました。
そんなわけで、一台、お買い上げ。このカメラとご縁があったんだなと思って、大事にします。小窓もあんまり更新できてませんが、こいつで撮って、アップします。
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いい考えが浮かんだ、と思っても、人に話してみるとアラが見つかることが多いです。色んな方に意見をいただけて、ありがたいなあと思うことばかりです。
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ほんとにほんとに知らないことばかりだし、見ている世界が狭いなあって自分で思います。
「多くの人が、知らず知らずのうちに自分に洗脳されている。相手が自分と全く同じ思考回路、全く同じ感性の自分自身だからタチが悪い」というような文章を読みました。何かのビジネス誌に書いてありました。
思い込みはなるべく断ち切って、自由な思考、感性でありたいと思っているつもりです。自分は自分らしく、自らの人生を漂いたいです。けれども時に、自分勝手な限界を定めていたり、自分の中に勝手に作った常識を他人様にもあてはめようとしていたりします。
僕はロクに会社勤めの経験もないし、お店を経営したこともない。工芸品の製造者でもなければ農水産業で生計を立てているでもありません。
何にも知らないくせに、でもどこか自分勝手なモノサシで他人様のことを測ってしまうことがあります。自分の勝手な常識と照らし合わせて、「そういうの、おかしいだろ」とか言って非難したりします。人の気も知らないで、ねえ。
そういうときって、きっと勿体ないことしてるんだろうなあ。知らないことを、知ってるつもりで判断するんじゃなくて、謙虚に受け入れることができれば、自分の幅が即時に広がるんじゃないかなって思うのです。せっかく新しい思考や感性に触れることができるのに、知ったかぶりはその機会を逸するのみです。その上に非難なんて、あああ勿体ない。
いろんな未知の物事にどんどん触れて、自分の幅を広げたいですねー。
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昨日は石鎚山奥の院へ行ったんですが、一週間前の雪もたくさん残っていました。今日も降っているでしょうからさらに積もってるんでしょうねー。
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高いところは怖いです。デパートのエスカレーターでさえ、吹き抜けを通るようなものは、怖いです。今日もエスカレーターで八階まで上りましたが、下が見えてて怖かったー。
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今日も昨日と同じ福祉施設でのお話ボランティアに行きました。2日続けてというのは滅多にないんですが、今月は他の予定との兼ね合いでそうなりました。今日はいつもオセロで対戦するSさんという男性でした。
今日はまず僕が戦勝し、2試合目に突入。しかしそこで大失敗をしてしまいました。たかがオセロ、しかしその単純であるがゆえの奥深さを改めて思い知ったのでした。
たった1手、うっかり僕が間違えたんです。それはまだ四分の一くらい指した段階だったのですが、そこからの四分の三試合、かなり工夫して指したにもかかわらず、Sさん有利な状況を打破することはできませんでした。好転の兆しすら一度も現れず、終わってみれば僕の色は6マスしか残っていませんでした。
悔しいというより、1手の重みに感心しました。うっかり打ったあの1手で全てが決まってしまい、元にも戻らなければ事態はどんどん悪化するばかりでした。こういうの、オセロ以外のいろんな場面で起こりうるんでしょうねえ。しかも、オセロのように単純であるほど挽回が難しい。選択肢が限られてますからね。なにをするにも、うっかりには気をつけよう。
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高瀬町の福祉施設でのお話ボランティアの日でした。今日は2人の方と1時間ずつお話しました。Hさん(女性)のお部屋には新しい金魚が1匹増えていました。趣味の話や旅の話など、いろんなことお話をしました。
Hさんはある演歌歌手の大ファンで、もう何十年ものファン歴だそうです。ファンクラブにも入っているし、何度もコンサートを観に行ったことがあるそうです。その歌手さんが結婚したときには、何日もごはんがノドを通らなかったほどです。
なんとHさんはその有名演歌歌手さんからお手紙をいただいたことがあり、それを僕に見せてくださいました。
歌手さんの直筆のお手紙でした。楽屋で走り書きしたものでした。「いつもお手紙ありがとうございます」と、急ぎながらも丁寧な、それでいて親しみやすい話し言葉で綴られた手紙でした。引き出しに大事にしまってあったその手紙を、Hさんは惜しみなく読ませてくれました。演歌歌手さんは立派な人だなあと思いました。
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職業柄、ということもあるかもしれませんが、お年寄りからなにかとご指摘を受けます。いろいろと教えられる中で、自分はほんとに知らないことが多いし、気配りや心配りに欠けているなと感じることもしばしばです。こういうときはこうしなさいよ、と言われて初めて気づくことがたくさんあります。
そりゃあ中には、そんなに厳しくしなくてもいいじゃないか、って反発したくなるようなこともありますが、えてして向こうの言い分は筋が通っており、結局は反省せざるを得ないのです。言われたときはムッとするけども、後々になって、教えてもらえてありがたいなあと思うわけです。たいへん自分の身になることですので、ありがたいです。
特に人間関係については筋が通っている人が多いです。あいさつであったり、礼儀であったり、自分はほんとうに簡略化しているんだなと気づかされます。簡略化もただ悪いわけではないと思いますが、基本をしっかりわかっていての簡略と、簡略がいつの間にか当たり前になっているのとでは違いますし。昔の人はいろんな面で気を遣っていたんだなと感心することが、このごろ多いですね。
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ブログもやっているので当然毎日のようにネットにアクセスします。けどまあ、いつも見るサイトなんかも多くはないし、それ以外といってもたまに何かを調べる程度で、仕事でインターネットを使う人などに比べればはるかにアクセス時間は短いと思います。
けど、滅多にネットを使わないという人や、全く使わないといった人も周囲にはたくさんいます。お年寄りなんかみんなそうです。そういった人たちとは、見えてる世界が全然違うように感じます。
ネットを使わない人は、ネットを使う生活というものをまったく知りません。できるとしても想像することぐらいです。ネットを使う人は、ネットが普及したのもここ数年ですし、使わない生活というものを知っています。この違いは忘れてはいけないような気がします。少なくともネットを使わない人と話すときには。
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