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2009年5月の記事

さいた

今日の夕方、知人に会いに財田町に行った。到着が遅れるとのことだったので、そこいらを散歩して待っていた。夕方の風を受けて、七部袖のシャツを着て、ぶらぶらぶら、いいもんである。

徳島との県境の町の夕暮れ時、車の通りも少なくて、静かであった。田んぼのアゼで草を焼く煙が、360度の盆地に薄く浮かんでいく。

兄妹なのか友だちなのか、子どもが4匹ほど田んぼのあちら側を駆けていく。腰の後ろに手をやったおじいさんがその後をぼちぼちと追う。よもぎのにおいがする。

犬に吠えられる。先へいくとまた犬に吠えられる。またまた犬に吠えられる。刺激に出会って嬉しいんだろう。「仲良くしようぜ」とテレパシーを送るも、鳴きやまない。鈍感なやつらめ。

今でこそ交通の便はよくなったろうけど、昔は世の流れの一歩外にある農村だったろう。小高い山にぐるり囲まれて、海にも街にも遠い。合宿にいいかもしれない。住むと、退屈かもしれない。おいしいお米や野菜や果物が、たくさん作られているところです。

ひまじんなのに、なぜか走り書き。

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ちゃ

センキューセンキュー、千利休。

お茶のお稽古に久しぶりに行った。

何かと落ち着かない時期なので、ふた月ほどお休みをいただいていた。

西日が差し始める時間帯、周囲が静かでいつもより集中できた。

お茶を点てると、お茶は点つ。当たり前である。しかるべき行動を取ると、しかるべき結果を得る。

「点つな」と思っても、点てると、お茶ができる。これが悔しい。この「当たり前」には、どうやったって逆らえない。夢の中へでも行かないと、現実の「当たり前」は超えられないようである。

ボールを蹴ると、転がる。火をつけると燃える。「アホ」と言うと怒られる。万引きすると捕まる。

当たり前である。当たり前はありがたいものだ。あらゆる現実は当たり前でできている。

けど、それを超えたい時だってあるのさ。

お茶を点てずして、お茶を点てることができるような気がする。

当たり前とは、現実とは何なのか?

一瞬先から、無限の可能性は広がっているはずだ。同時に、無限の当たり前で満ち満ちている。

まず、矛盾を愛すのだ。

浜村む淳。

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ポム

このごろ毎日、例のリフティングを続けています。

夕方、人知れずフットサル用ボールをポムポムしています。

サッカーを何年か経験した人間として非常に恥ずかしいのだけれども、

特にリフティングはずっと下手くそで、遊び半分程度にすらも全く練習したことがありません。

それが、おそらくこの年になったからでしょうけど、黙ってこつこつ取り組めるようになり、

ようやく50回なんていう回数もポムできるようになりました。

地面から数十センチ離れた空中で、自らによってボールを弾ませ続けられるのがこんなに気持ちいいとは知りませなんだ。

「続ける」ことがものすごい苦手だった僕の、進歩というか、発見です。

思えば、日ごろ「すごいなあ」と感じる人は、やるべきことを続けてきた人だということに、今さらながら気がつきました。

何にも続けてこなかった僕ですが、この年になって気がついても遅いかもしれないけども、もっと地に足つけようと思います。

でもリフティングは飽きたらやめます。

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やま

先月、テントをかついで石鎚山に登った。ロープウェイは使わない。もうあまり使う人のなくなった古い登山道を登る。

昼すぎに出て、夕方「夜明かし峠」という峠に着いた。そこが野宿の場所とはじめから決めていた。

一人での登山は以前にもやったけど、野宿は始めてだ。4月の末、標高1800mの場所はテントの中も寒い。白衣に行者袴という姿で登ったが、テントの中でフリースや裏起毛のパンツに着替え、すっかり真冬の服装になる。

日が暮れたころ、雪が降りてくる。テントにはらはらと薄く積もる音がする。

一人の山中での夜はもっと怖いものかと思っていたけど、以外にも図太く眠れたし、立ちしょんも平気だった。

いくら静かにしても日常は音に溢れてる。音楽を切って、テレビを消して黙っても、冷蔵庫は低くうなるし、道路からは車のエンジン音が漂ってくる。

山は静かであった。黒い空一面に星が散らばっていて、細やかな冷たい雪が降り、テントの屋根や笹や木立に触れる音がする。

ただ、唯一の人工音がある。飛行機の音だ。何分かごとにグーンという音が山の上から響くのだ。

一人の山の暗闇が怖くないのは、この音が来るからだと思った。飛行機の姿など見えないけれども、不安な静寂に響く人工音は、もはや現代人の僕には安心をもたらすんだなと思った。何もかもから隔たった場所で感じる、通りすがりの人工物の気配が、孤独な時間の儚い拠り所になっていた。

安心した。けども残念だった。いまどき山の上に登ったくらいでは絶界とは言えないのだなと気がついた。孤独の恐怖に逢いに行ったはずなのに、ついぞ出会うことができなかったのだ。修行の地とされた山も昔とは違うんだなと感じた。

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じじ

生家の向いに畑がある。今ではその納屋はアルミサッシの入ったこざっぱりした建物だけど、そうなる前は丸太とトタンでできたこげ茶色のあばら納屋であった。あばら納屋のおじいさんはもう何年も前に亡くなって、ご家族の方々が畑を継いでいる。

小さい頃、たまにおじいさんの納屋に遊びに行った。おじいさんはいつもグレーの作業着を着ていた。雨の日も薄暗い納屋でなにかしら作業していた。納屋はいつもたまねぎ臭かった。おじいさんはいつも日にやけてしわくちゃでドロドロであった。

納屋のたまねぎ臭いにおい、あれがいいにおいだったように思えてきた。最近あんなにおいをあまりかがない。おじいさんのあのたたずまいが、いい姿であるように思えてきた。あんな姿を最近あんまり見ない。

youtubeで落語する志ん生さんが動いてるのをみて、そんなことを思い出した。ごっつい顔をしている。あんな顔のジジイになりたい。けど自分はなれなさそうに思う。はやくジジイになりたくなってきた。

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■先日、献血に行った。その日は生意気にもちょっと疲れていたし、その前日に鼻毛カットを丹念に施したせいか、鼻風邪気味であった。鼻毛は偉い。邪魔だとからといって乱獲するのは後顧の憂いの基である。

とにかく血を捧げた。400mlの我が血液を。その夜高熱が出た。推定40度。夏布団に変えようかどうか迷う5月の夜なのに、分厚い冬布団に長袖のスウェットを着てもぐりこんでも、寒くって寒くって、身の震えが止まらなかった。

頭をぼーっとさせながら、ガタガタ震えながら、体の中で血がしこたま精製されているのを感じたような気がする。精製された新しい血液が身体中を駆け巡っていた。その音も、たぶん聞こえていた。

血が抜かれたくらいで寝込むとは。弱いなあ。

■自分を鋭く研ぎ澄ましているつもりだったけど、よく考えたら鈍くなっているように思える、そんなことがよくある。僕はどんな人間なんだろう、わかるんならば誰か教えてほしい。僕の自己採点は激甘だということを知っている。航行しているつもりが漂流しているだけということが頻発する。日進月歩とはなかなかむつかしいもんだ。

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落語家、蹴って、エビ

イ ・ 落語会に遊びに行った。柳家さん喬師匠の江戸落語は素晴らしかった。ものすごい稽古積んでこられたんだろうな。普段の状態が無表情な分、どんな役も濃厚に演じ分けることができるのか。しぐさ、声、間、芸の隅々までツルツルに磨き上げられていて、引き込まれたなあ。たいへん面白かった。

ロ ・ たまにフットサルをやろう、ということになり、友達からサッカーボールを預かった。せっかくボールが家にあるのでリフティングでもやってやろうと思い、最近ヒマがあれば蹴っている。いろんな能力が落ちているのがわかる。リフティングってこんなにしんどかったっけと。年だ。やっと30回くらいできるようになった。運動不足解消のために、やろう、楽しくリフティング。

ハ ・ 外国人の友達が欲しいなあと思っていたら、外国人の友達ができた。ロブスターをプレゼントしてくれた。両方のハサミをゴムバンドで縛られて、生きたままのロブスターがうちへやってきた。バッテリー切れ寸前のマシンのように、でかい洋エビは鈍くもだえていた。家族が茹でた。うまかった。

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連休

あんまし雄弁ではない。

会話の際も人数が多いほど黙りがちになっちゃう。

おのずと自己ピーアールは下手である。

話の応酬にかぶさっていくのは下手であります。

それはまあ自分はそんなだから仕方ないと思っている。

けど他の人々は自己ピーアールできていて、自分はできないとなると悔しいのであります。

同じ条件の下で、自分は損してるような気分になる。

なので、黙るということの質を高めようとがんばっていくことにする。

話すことと同価値か、もしくはそれ以上の沈黙を作ることは多分できる気がする。

がっぷり組んだ相撲取りが微動だにしないように見えても、双方あらん限りの力を相手に向かって注いでいるが如く、ただパープリンのように言葉を発しないのではなく、黙ってる。

それいいじゃんと、近頃は思うのです。

これはおれのトークだと。

剣を持たない剣士、三味線を持たない唄者、筆を持たない書家、演じない役者・・・。

逃げに限りなく近い大勝ちができまいか。

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