« 2009年9月 | トップページ

2009年11月の記事

CA

讃岐高松でカナダ人の友達とイタリア料理を喰った。うどんの地でメープルの国の人とリゾットを喰う。オツである。

「どこにいる?」と電話したら「豚太郎(ラーメン屋)の駐車場で待ってます」と言う。日本に来て13年。流暢に日本語を話すが発音は英語圏のもので、“豚太郎”も「r」が巻き舌で“Tontaro”と妙にかっこいい。

“トンタロー”のはずが危うく“豚トロ”に、一歩間違えば“トロント”と錯覚しそうになる。さすがカナダである。おそるべきカナディアン・発音マジックである。

リゾットを喰う。友達はお肉を喰う。おいしくいただく。カナダの冬の話しなどを聞く。サーモンは本当にうまいという。

ところで「サーモン・ピンク」という色があるけど、乱暴な名前だなあ。鮭ピンク。もちろん切り身だ。「ビーフ・レッド」なんてのも、いいかもしれない。

メシを喰って、丸亀駅前にある猪熊弦一郎美術館へ行った。すごくよかったまた行きたい。

車で美術館へ向かう道中、カナダの友達から注告を受けた。

クマは手が長い。体のつくりから言って、高い所に登るのは得意だけど、低い所に下りていくのは苦手だ。だからもし坂道でクマに襲われたら、低い方へ逃げなさい、と。もちろん、クマの中でも一番やばいのは小さな子どもを持つ母グマだよと。

僕は礼を言った。美術館をじっくりと一通り観覧して、ショップで買い物をした。僕は写真集を買い、友達はカレンダーと、青色をメインにデザインされたポストカードを買った。知人のお母さんがカナダの美術館で働いていて、カレンダーをメッセージと一緒に送ってあげるんだって。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ひみ

おとといyoutubeで立川談志さんのをいろいろ見てて、「森繁のじいさんは・・・」って言ってるのがあった。昨日森繁さんが亡くなった。

「ゴホウラ貝」っていう沖縄産の貝があって、その貝を加工した弥生時代の装飾具が本土からもたくさん出てる。古代から琉球とヤマトには交流があって、思想や信仰や統治の面で互いに大きな影響を与え合っていた。そういう本をいま読んでる。邪馬台国の成立と滅亡、どこでどうやって存在したのかを、「ゴホウラ貝」をキーワードに考察している本である。じゃあ、今日の新聞の一面に「遺跡発掘!卑弥呼の宮殿跡か!」なんていう、その本に密接した記事が出てた。

カレーが食いたいと思ったら、夜カレーだった。

おでん最近食ってないな、そろそろ、と思ってたらおでんが出た。

そういう偶然がこのごろ多い。けど特に何の得もない。何の得もない、ってのがいい。そんなので得したって優雅にも洒落にもならない。

そりゃあバシバシ的中できれば便利だろうし、利益があるかもしれないけれど、無理だ。だいいちこうやって「最近当たるんです」と、図に乗って書いたことで、もうそれ以上当たらなくなるだろう。つまりはその程度の偶然なんだ。

死なない限り、1日後、3日後、10年後、と未来はある。ぼくはその出来事に、会いに行くだけだ。ある時点の未来にその都度追いついて、つかまえるだけなんだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

びこ

11月8日、日曜日、滋賀県竜王町は晴天。やまびこ作業所による“第11回やまびこまつり”。上質なウールのように整然と刈り込まれた芝生がにおう、妹背の里。

その日、まつりが終了しスタッフの撤収作業が完了するまで、秋にしてはやや興奮気味なおてんとさんが、会場にあたたかな陽気を供給し続けていた。

特設ステージでは、ゴスペルグループ“SPIRITUAL  VOICES”の歌声がまつりを締めくくる。神を賛美し、生命を悦ぶ歌。男女6つの声が重なって、ステンドグラスを編んでいく。丁寧に丁寧に磨かれた色鮮やかな歌声が、まつりに訪れたひとびとの間を縫って、駆けめぐり、ほどいてはつむいで、その場、そのときが、ひとつの事実になっていく。

ショーガイのひとが、手ぇあげてやみくもな踊りを踊ってる。ステージのいちばん前の3人掛けのイスに、大きく舌ぁ出して寝っ転がってる子がいる。メガネかけた子連れのパパがじっと歌を聴いている。野球のユニフォームの小学生とボーダーTの小学生が並んで観てる。男がいる女がいるジジババが子どもがいる。フツーもショーガイも一緒んなって、神をたたえるゴスペルに包み込まれている。

「Make a joyful noise~」ステージから歌声が広がる。ステージ裏の芝生では、おかあさんと女の子がてんつくとボール投げをしている。女の子が投げたボールは芝生を2度3度打って、力なくお母さんの手に届く。「夢は~今も~巡りて~忘れ難き故郷~」ボールはおかあさんと女の子の間を、何度も行ったりきたりする。あたたかい秋の木漏れ日を浴びて。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ぞう

90歳のおじいさんから「石鎚大権現の御仏像をまつりたい」とのお話があり、先日高知県は足摺岬まで届けに行ってきた。

四国の南西の先の先、高速も途中までしか通ってなくて、4時間半ほどの道のりだった。

「釣りの街」がうたい文句のその町でも、僕が届けに行ったおじいさんの家は半島の内陸部で、乗用車一台で目一杯の細いつづら折りの林道をくぐり、何度も進退を繰り返してようやく見つけ出すことができた。

納屋の前に積んであった、太マジックで名字が書かれたコンテナに気がつかなかったら、もっと時間がかかっていたろう。農作業着を身にまとったおじいさんは目も耳も悪けれどかくしゃくとしていて、手に枝切りハサミを持ったまま手招きしてくれた。

11月といえど、南国土佐のお陽さまの照射は分厚く、林の隙間に建つおじいさんちの屋根に降り、眼下に広がる太平洋の波を細かくひらめかせては、静かなおひるの下地をつくる。

四国の端の、林の中の、その気だるい空間に、一軒の家と、何種類かの鳥の声と、僕とおじいさん。同じく農作業姿の無口な息子さんと、鼻歌まじりの孫さん。

猫が横切って、じっと振り返る。3つ置かれた木箱の周りをミツバチが行き来する。

大事におまつりしてくださいねと、権現さんをお渡しする。帰りに巨大なしいたけと、瓶詰めの自家製はちみつをいただいた。

権現さんは、家のうわてに建てられたお堂に納められる。太平洋の水平線が、毎日見える場所だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

さつ

千円札が野口英世に替わったころ、夏目漱石の札がなくなるというのが寂しくって、一枚だけよけといた。

よけた一枚を小さく折って、財布の片隅にしまっていた。緊急の場合はこの漱石さんの千円札が、御守のように危機から救ってくれるのさ、としまいこんで、何年かずっとそのままだった。

買い物をしてレジに立ったときに「あと千円あれば!」という状況とか、タクシーに乗ったものの意外と料金が上がって「あと千円あれば!」という状況とか、そんなことが起こったときのために虎の子の御守漱石お札を忍ばせていたのだが、なかなかそんな間の抜けた落とし穴には出くわさずに過ごしていた。

そんな漱石先生の千円札が僕の財布から出てったのは、つい数日前。

とあるお店の事務所にて、仕事の支払いをしていた。個人経営の、相手はおじいさん。僕は7万4千円の支払いに8万円持っていった。

仕事用の財布から8万円差し出すと、「祝日で両替ができなくて釣りがない。千円札4枚ないか?」とおじいさん。僕は自分の財布を見た。英世札は3枚しかなかったが、漱石札を合わせれば4枚になる。

かくして僕の財布で長いこと挟まっていた夏目漱石の千円札は、おじいさんの手に渡る。危機でもなんでもなく、おじいさんが釣りを持ってなくてお支払いを建て替えるという、平凡な平凡なお別れであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年9月 | トップページ