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2016年1月の記事

2016年1月31日 (日)

月並祭

明日は2月の月並祭です。(ホームページでは1月31日に投稿しました)

あったかい年末年始だったなと思えば数十年ぶりの大寒波が来たりと、

変な気候だなと思っているうちに年が明けてひと月経っちゃいました。

月並祭は毎月のはじめ、1日の午後2時から執り行っています。

本殿にて神事をおこない、

そのあと護摩堂にてお護摩焚きをします。


2時から始まって、

お護摩焚きが終わるのはだいたい3時半くらいでしょうか。

家内安全や商売繁盛、病気平癒など、

日常の中でお持ちの「願い」を、

祭式を通じて神さま仏さまにお届けする場です。

仕事での悩みとか、

家庭や自分自身と向き合っていく上での不安とか、

そういったものを解消したい、

という願いでもけっこうです。

どなたでもご参加いただけますので、

ぜひお気軽におまいりください。

地球は休まずに自転していて、

時間はずっと流れ続けているのですが、

人間とは時として「節目」を大切にしたりしますよね。

月のはじめの行事が、

「よし、今月もやるぞ」

と思っていただけるような機会になればと考えています。

入信を勧めたりだとか、

個人情報をお書きいただいたりだとか、

お供えや物品の購入を遠回しに案内したりだとか、

そういったことは一切いたしておりません。

日々の生活における「こころ」の面で、

その整理や負担の軽減をお手伝いできるのではないかと考えています。

医学的でも、科学的でもないかもしれませんが、

「お祈り」という行動によって自分自身に向き合うことができ、

それがこころを軽くすることにつながるのではないかと思っています。

行事は1時間半ほどあるわけですが、

その間は祝詞や読経の声以外は基本的に静かです。

それだけの時間をこころ静かに過ごすという機会は、

ひょっとすると日常の中であまりないのじゃないかなとも思っています。

じっくり内面に向き合っていただけますよ。


みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

ちょっとずつガマン

植物学者の先生のおはなしによれば、

「森のさまざまな植物は、

お互いにちょっとずつガマンしながら共生している」んですって。

 

カシなどの高木から低木、シダやコケ類たちが、

競争し合い、またお互いに助け合いながら生きているそうです。

 

そう聞くと、なんだにんげんも同じじゃないかと思ってしまいます。

ひとの個性は十人十色で、

お互いにちょっとずつ違いを認めながら、

おんなじフィールドで生活を送っている。

 

共感し合える、協力し合えることもあるけれど、

一緒に長く過ごしていくならやっぱり

『ちょっとずつガマンする』も必要なんでしょうね。

 

また、生物学者さんのおはなしによれば、

「にんげんは一本の管」なんだそうです。

パイプ。くだ、です。

 

口や鼻から食べものや水、空気なんかを取り込んで、

呼吸器や消化器を通って外へ出ていきます。

そして、細胞は絶え間なく変化していくのが生き物なのだそうです。

見た目はほとんどおなじでも、

今日のじぶんと明日のじぶん、

1年後、10年後のじぶんは、同じものであって違うものです。

変化し続けながら、安定を求め続けるのが、

いのちというものなんでしょう。

 

いや、こんなことを書いたのは、

どうやら風邪を引いてしまったらしいからです。

風邪のバイキンが僕の身体の中で活発に動いているみたいです。

そいつらに対しても、

きっと「ちょっとずつガマン」しなければならないんでしょう。

 

そして、身体にいいもの食べて、

きちんと休んで、

風邪に打ち勝つ身体に「変化」しなければならない。

 

みなさま、風邪やインフルエンザ、

胃腸炎も流行していますので、

じゅうぶんご注意くださいませ。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年1月30日 (土)

荘内半島

石鎚神宮は、香川県三豊市というところにあります。

地図なんかを見ていただくとわかりやすいのですが、

詫間町、仁尾町から瀬戸内海に向けて

「荘内半島」が小指のように突き出ています。


かなり先端の方まで道路が整備されていて、

ドライブコースに最適です。

石鎚神宮は半島のちょうど根元にあって、

ここをスタートして外周をぐるっとまわったなら、

だいたい車で40分くらいでしょうか。


ずっと左右どちらかに瀬戸内海の景色が広がっていて、

ツーリングやサイクリングにも気持ちいいコースだと思います。

僕は時々ぼんやり半島の道を車で走ることがあるのですが、

ぐるっと一周しているうちになんだか気持ちがスッキリします。


オーディオのCDアルバム1枚聴き終わるかどうかという時間、

海や空の青、山の緑に沿いながら車を走らせていると、

頭の中が整理されて、こころの中が落ち着いていきます。


やっぱり自然が近いから、

森林浴とか山登りに似た内面への働きかけがあるんでしょう。

わざわざ森林浴や山登りに体力を使いたくない、

という時でも、リフレッシュにおススメですよ。


また荘内半島には浦島太郎伝説や紫雲出山の古代遺跡など、

歴史遺産も残っており、興味深いです。

瀬戸内海という交通の要路の中にあって、

大むかしに海路を往来していた人びとにとって、

地形的にも大事な場所だったんだろうと思うのです。


ググッと深く探っていけば、

きっと新しい発見や謎がひそんでいるのではないかという予感があります。

機会があれば、調べたり聞いたりしてみよう。


荘内半島、いいところですよ。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。


石鎚神宮 社務所より

2016年1月29日 (金)

酒匂渓香さんの古代文字

「うれしい」とか「かなしい」とかいった感情は、

今を生きる人も大むかしの人も、

根本のところは同じだったんじゃないでしょうか。

「家族愛」とか「幸せ」とかいったことについても、

それを大事だと思う気持ちは古今東西変わらないのでしょう。

 

時代背景が変われば価値観の違いが見られるものですが、

「文化」や「技術」という皮をベリベリとはがしていけば、

その中心にあるものは共通しているのだと思っています。

 

平成を生きる人も、明治時代の人も、

平安時代、弥生時代、さらに古代の人びとであったとしても、

共通して「うれしい」とか「すごい」とか

「楽しい」とか「元気になれた」とか、

そんな風に思ってもらえるものをお届けできれば、

それ以上に強いものはないのじゃないかとさえ思えます。

おおげさですが、「感動」というものだと言えそうです。

 

にんげんって何なんだ、

と、とりとめもないことを考える時、

書家の酒匂渓香さんのお話や、

墨で書かれた文字のことを思い出すことがよくあります。

 

酒匂さんが書かれる古代文字を通じて、

遠いむかしの人びとの暮らしや感情に

思いを馳せることができるんです。

今よりもっと自然が近く、自然にぐるりと囲まれていた時代。

「いのち」というものへの意識が、

今とはかなり違っていたのではないかと思います。

病気や食糧、自然災害など、

じぶんたちでどうにもできない要素も

日常の中にたくさんあったでしょう。

 

「いのち」にどんな向き合い方をしていたのか、

酒匂さんが書かれるひとつの文字、

ひとつの言葉からも生々しく見えてくるような気がするのです。

「生」と「死」が隣り合わせであるだけに、

恐さも、よろこびも、ほとんど一体であるような。

 

そして、生と死が隣り合わせであることは、

ほんとうは現代も古代も変わらないのだということにも気が付きます。

 

ちょっと不思議な感覚で、

その感覚は現代の日常ではなかなか得られないものですから、

いつも新しい発見や刺激をいただいています。

今もむかしも変わらない「いのち」という中心にあるタネの部分に、

しっかり向き合っていきたい。

 

書家・酒匂渓香さんのホームページはこちらからどうぞ。

「暦」のコラムも楽しいですよ。

 

‐字遊人‐ 酒匂渓香

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

石鎚神宮 社務所より

2016年1月28日 (木)

「忙しい」と、「忘れる」

「忙しい」という時は、「心を亡くしている状態」だから、

気をつけた方がいいよ、

というアドバイスをいただいたことがあります。


「忙」という漢字は、

りっしんべんの「心」と、

「亡くす」という文字の組み合わせです。


確かに、つぎつぎに用件や段取りについて考えてると、

目の前の大事なことが見えてなかったりします。

今、その場所で、すぐ目の前にいる人との会話も、

うわの空になっていたりとか。

それは失礼ですし、

そういう状態を長く続けていては信頼関係を築けないですね。


心を亡くして突っ走っていると、

ひとつひとつのものごとに丁寧になれず。

雑に済ましてしまいます。

「とりあえずこの場はこれで!」

「形にさえなればまあいいか!」

と、場当たり的な対応で切り抜けようとしてしまったり。


そういうことがあまり望ましくないなと気付くのは、

「忙しさ」が去って、

あとになって落ち着いてからのことだったりするものです。

気持ちのせわしなさがない状態だと、

やっぱり場面場面に丁寧に向き合えるようになって、

細かいところに気を配れたりもします。

会話の相手の話しもすんなり入ってくるし、

じぶんの意見もまとめて言えたりだとか。


なるべく、「心を亡くす」という状態を

起こさないようにしたいものだと思います。


そんなことを考えていると、

「忘」っていう字も「心を亡くす」状態なのかなと思ったんです。

「忙」と「忘」は同じパーツでできていたんですね。

ちょっとした発見だ、と思ったんですけど、

けっこうみなさん知ってるもんなんでしょうか。


調べてみたら、

「忙しい」が「なんらかの外的な原因で心が落ち着かない」

というものであるのに対して、

「忘れる」は、「自分自身が記憶を失ってる」といった状態のようです。

諸説あるそうですけど。


「忙しい」についても「忘れる」についても、

じぶんのできる限り抑えられるようにしたいです。

どちらにしても、「心を亡くす」のはイヤだし。


みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮社務所より

2016年1月27日 (水)

肩こり

パソコン作業のせいか、

けっこうな肩こりにさいなまれることがあります。

最近は特にたまってきていて、

コリが取れないなと感じています。

で、近くの整骨院さんのお世話になります。

 

先生は、コリやハリを感じている部分だけでく、

その原因もつきとめてくれ、

施術してくれます。

 

肩から離れている「そこ押すんですか?」

というような場所を押してくれたりします。

離れているようでもその場所と肩付近の筋肉はつながっていて、

その場所の筋肉がかたまっているから、

離れている肩の部分にも異常が出てくるんです、と。

「そういうもんかねえ」と施術を受けていると、スッキリ。

なるほどと納得するのです。

 

日常のいろんなことについても、

ひょっとしたら同じじゃないでしょうか。

目に見えている異常には、異常がある場所そのものだけでなく、

けっこう遠くに改善するべき原因があるのかもしれない。

 

仕事でやる気が出ないのは、

上司とうまくいっていないからとか、

報酬に不満があるからといった現状だけでなく、

子どもの時のイヤな思い出を

じつはずっと引きずっているからかもしれない。

 

イライラしてしまうのは、

近所がうるさいからとか、

家族とケンカしたからではなく、

遠くで過ごしている友達のことが何となく心配だからかもしれない。

 

異常や不調だけではなく、

成功とか安定とかも同じで、

ひとつの現象に至るまでにたくさんの要素が

複雑にからみあって表に出てきてるはず。

 

「風が吹けば桶屋が儲かる」的な。

「一羽の蝶が北京で羽ばたけば、カリブでハリケーンを起こす」式の。

 

対人関係も、仕事も、家庭も、お金も住まいも健康も、

その現状は無数のご縁の結びつき。

改善したいと思うことがあれば、

意外なほどに遠くまでさかのぼれば原因を突き止められるかもしれないですね。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮社務所より

2016年1月25日 (月)

高尾木山のイタチ

朝、本殿の裏手あたりをなにげなく歩いていると、

いっぴきのイタチと目が合ったんです。

空気は冷たいものの、青空から日差しが届く晴天でした。

イタチはシッポが長く、

ダックスフントなんかよりずっと胴長のように見えました。

たぶん、つい何日か前も同じ場所で見かけたイタチでしょう。

 

こっちのことを気にしていたのかどうかわかりませんけど、

何やら忙しそうに、あっちへ行ったり、

こっちへ引き返してきたり。

プロパンガスのボンベによじ登ったかと思えば、

塀のギリギリから土手の下をのぞき込んでみたり。

イタチはイタチなりに忙しそうにしていました。

 

イタチがうろうろしている場所の隣は、雑木林。

葉がすっかり落ちた樹々に、

数羽の野鳥が。

こちらも忙しそうに、

木の皮をつついては別の枝に飛びうつり、

虫でも探しているのでしょうか。

 

しんしんと冷える夜が明けて、

空からの日差しが降ってくる中で、

動物たちの活発な姿を見てちょっと朝からいい気分でした。

 

石鎚神宮は、たこぎ山を背負っています。

高尾木山、地元の人は親しみをこめて「たこぎさん」と。

標高は270mで、そう高い山ではないかもしれません。

 

ちょっと下れば民家がひしめいているし、

街も大きな道路もすぐ近くです。

けれど、この山の茂みやこずえ、

土の中や葉の下には、無数のいきものが住んでいる。

イノシシもタヌキも通るし、

キジもサルも出るし、

夜にはフクロウの鳴き声がします。

カラスの団体も帰っていくし。

 

どこかで、「にんげんは宇宙の謎にばっかり目を向けているけど、

深海にだってまだまだ謎は多い」

という言葉を聞いたおぼえがあります。

けど、宇宙より深海よりさらに手前の、

270mの裏山のことだって、

知らないことだらけなのかもしれません。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮社務所より

2016年1月24日 (日)

お祓いのこと

本殿でお祓いさせていただく際には、

1枚の用紙をお渡ししていくつかご記入いただいていることがあります。

 

ご依頼主さまのお名前やご住所、年齢など。

また、希望されるお祓いの種類についてです。

家内安全、商売繁盛、病気平癒、厄除け……

などと書かれていて、

該当するものを○で囲んでいただいています。

 

ですが、もし用紙に書かれているものの中に

希望されるものがない場合でも、

お祓いさせていただきます。

祈願の種類が必ずしも「家内安全」とか「安産祈願」とか、

熟語ひとことで表せるものとは

限らないのではないかと思うからです。

 

「交通安全」や「学業成就」「身体健康」など、

こちらがご用意したいくつかの項目の中から選ばなければならない、

その中からでしか選べない、

というものではないと考えます。

 

ひょっとしたらある方にとっては

「会社の上司との仲がうまくいくように」

という願いが日常でもっとも大きなものかもしれません。

 

また他の方にとっては

「こどものころから抱えているコンプレックスを克服したい」

というものが、最もおおきな悩みかもしれない。

 

「夫婦の仲がよくなるように」とか、

「もっと体力をつけたい」とか、

いろんな願望があると思うのです。

 

もちろん家内安全、商売繁盛、病気平癒、厄除け……

といった従来の祈願は多くの方にとっての

願いにつながるものだと思いますし、

心を込めてお祓いさせていただきます。

ですが、願いごとも十人十色でしょうから、

その方その方で違う願いの内容に

向き合っていけるようにしたいと思っています。

これだけ価値観が多様化しているよのなかですもんね。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮社務所より

2016年1月23日 (土)

大寒波

「40年ぶりの大寒波」に日本中が戦慄しています。

今これを書いている時点ではまだ雪など降ってはいませんが、

冷たい風が吹き始めていますよ。

 

寒さは苦手ですが、

「40年ぶり」なんて言われると、

ちょっと好奇心がさわぎはじめます。

いったい40年ぶりの寒さとはどれくらいのものなのか、

どうせ避けられはしないので、

「どれどれ」と腰を据えて向き合ってやろうという気持ちになります。

 

もちろん雪による交通への悪影響や、

寒さによる健康被害などのおそれもありますから、

みなさんお互いにじゅうぶん気をつけましょう。

 

「40年ぶりの」と修飾されることで、

「40年前にもこんな寒さが来たんだな」と思いを馳せてしまう。

あの人がまだ若かったころ、

またあの人がまだ生きてて元気に仕事してた頃、

これから迎えようとする寒さと同じような冷えの中を過ごしたんですね。

 

雪の中で仕事にも出れず、

家族と一緒にコタツに入ってテレビでも見ていただろうか。

ストーブの隣で熱燗でいっぱいやってただろうか。

「なんぎやな」などと、仕方なく家の掃除でもしていたろうか。

 

天から来る寒さのおかげで、

明日はいろんなものがストップするような感じがしています。

不便な面、不都合な面もおおいにありますが、

慌ただしい日常の時間の流れもゆるやかなものになり、

かえってあたまやこころ落ち着きがもたらされるかもしれません。

 

やはり「なんぎやな」などと、

年末にやりそびれた掃除をしているかも。

 

はたして沖縄に39年ぶりの雪は降るのか。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

2016年1月22日 (金)

流れ

きのうは「水」のことに少し触れたお話しでしたが、

今日もちょっと関係があることになるかもしれません。

 

水って、流れていきます。

流れていくもの、いろいろ考えてみると、

結局ぜんぶじゃないかと思えてしまうわけなのです。

 

時間も絶えず流れていくし、

運も流れていきます。

勝負ごとなんかではしょっちゅう「運の流れ」「ツキの流れ」

の大事さが語られますよね。

 

少なくとも今の科学では証明できていない、

運の流れというものはやっぱりあって、

人の生活の中でも様々に作用しているのだと思えます。

 

それから、人の流れ。

時には空を飛んで地球の裏側にまで行ってしまうにんげんという動物は、

絶えず流れつづけているもののように思えてしまいます。

 

流れるからこそ交流があって、

助け合ったり争い合ったりもしていく。

 

物の流れ、情報の流れ、

流行、いろんなものが流れていて、

時間でも止めない限りひと時として「同じ」であるものはないです。

いきものも、そうでないものも、

ずっと同じであるものはない。

「万物は流転する」らしいですから。

 

そういう世の中にあって、

良いご縁がうまれるような場所にしたいと思います。

お参りの方、茶久楽でお過ごしの方、

遊びにいらっしゃる方。

みなさんもそれぞれの「流れ」の中で来て下さり、

またお帰りになられます。

ここへ立ち寄ってもらうことで、

その流れが良い方向へ向かっていきますよう。

 

漠然としたイメージですが、

もし流れが「淀み」になりそうなのであれば、

それを「ろ過」するフィルターみたいになれればなあ。

 

これからそのイメージを具体的なものにしていければと思っています。

今日はなんとなくぼんやりとした話になった。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

2016年1月21日 (木)

大寒の朝の水

今日は大寒(だいかん)です。

一年のうちで最も寒さが厳しくなる時期だとされています。

今年の冬は、「冬らしくないぞ」と思えるほど

あたたかい日が続いていましたけど、

ここ数日は冷え込みが厳しく、

「大寒」の名前にふさわしい寒さとなっているのではないでしょうか。

 

なんでも、「大寒の朝に汲んだ水は一年間腐らない」

のだそうで、朝の水を容器にいれて保管しておく風習もあるんですね。

もっとも、「汲む」ということですから、

飲み水のための井戸から汲んだ水が腐らないということになるでしょう。

今の家庭で井戸水を飲んでいるお宅はどれくらいあるんでしょうか。

 

なぜ水が腐りにくいのかですが、

雑菌など不純物が混じっておらず、

長持ちしやすいためなんだそうです。

この水でお醤油やお酒を作ると、

長持ちして良いんですって。

 

24節気で見れば、大寒がいちばん最後。

次は立春で、新しい一年が巡ります。

暦の最後となる時期、

水にさえも不純物がなくなって、

純度の高いものになる。

それも新しい四季が始まる準備のようにも感じられます。

水も一度「ゼロ」に還って、

また様々な場所に流れていこうとしているような感じ。

 

にんげんの体も大部分は水でできていて、

大寒に純度の高い水を飲むのであれば、

やはり体がリセットされるのではないでしょうか。

新しい一年の始まりを迎えるために、

「ゼロ」になれるのかもしれないですね。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮社務所より

2016年1月20日 (水)

21g

こんな話をこの場所で書くべきなのかどうか迷ったのですが、
できるだけ飾らずに更新していきたいと考えてますので、
やっぱり書かずにはいられないと思い、書きます。
 
昨日は寒波の影響でとても寒い一日でした。
いちにちじゅう強風が吹き荒れ、
午後からは細かい雪が舞っていました。
 
そんな寒さが決定的だったのか、
一緒に住んでいた犬が亡くなりました。
2002年、日韓ワールドカップの時に来たマメ柴でしたから、
14歳ということになります。
十分に老犬と言え、以前から「もう長くはないな」と思ってはいたのです。
天寿を全うした、と言ってもいいのでしょう。
 
ここ1年ほどは目も見えなくなり、
若い時のように活気のある反応も見られなくなっており、
足腰も弱っていたのでまともに散歩にも連れてっていませんでした。
弱る前と比べると接する時間も少なくなっていましたし、
一緒に走ったり、じゃれてみたりする機会もどんどん減っていました。
世話はかかりましたけど、
犬は犬で自分のいのちを全うしようとしているんだなと思えていたのです。
 
何もせず静かに寝そべっているだけでも、
そこに犬はいました。
でも今日からはいなくなってしまったのです。
そこにあったはずの体温、ぬくもりがなくなったと感じるだけでも、
やりきれない寂しさがあります。
 
『21g』という映画があったのを思い出しました。
それはにんげんの話でしたが、
人のいのちが消えるとき、「21gだけ軽くなる」のだそうです。
いのちが絶え、毛布の上に横たわる犬は、静かな顔で眠っているようでした。
21g軽くなっていたのかどうかはわかりませんが、
「いきていること」と「死ぬということ」の差はごく紙一重であり、
同時に完全な隔たりだと思えたのです。
 
みなさんの今日が平穏無事でありますように。
 
石鎚神宮社務所より

2016年1月19日 (火)

海の底

境内からはおだやかな瀬戸内海の景色を眺めることができます。

晴れた日には瀬戸大橋、岡山方面まで見わたせるんですよ。

大きな波が立つことは少ない、やさしい海です。

 

そんな瀬戸内海も、

今より海水面が低かった旧石器時代なんかは、

まだ陸つづきだったんですってね。

今は橋や船を利用してわたっている岡山や広島も、

大地でつながっていたんです。

もっとも、川はあったんでしょうけど。

 

今は海になって、

ときどきタンカーなんかがゆったりとわたっていきます。

ですけど、当時はきっと樹々が生い茂る林だったんじゃないでしょうか。

まあ詳しく調べたわけじゃないのですが、

いま見ている海の景色が、

ずっと昔は緑色だったんだろうと思うのです。

 

ひょっとすると人が住んでいて、

集落なんかがあったかもしれないですね。

ということは、交通路のようなものもあって、

人が行き来していたかもしれない。

 

いま、海の底になっている場所がかつての「陸地の低いところ」であって、

現在の平地は、当時からすると「丘」とか「高台」、

現在の山は、もっと大きな山に見えていたんでしょう。

 

大むかしから今にいたるまで、

瀬戸内海は交通の要所だったと言えるでしょうが、

陸続きだったころもきっと

人々にとって大事な「陸路」があったんじゃないか、

と勝手に思っています。

 

人々が暮らすところ、

そして行き交うところには、

信仰の場所もあったんじゃないかなとも思うので、

瀬戸内海の海底には、

当時の「土地の神さま」が眠っているのかもしれない、

などとも想像してみたりするのです。

 

なんにせよ、寒波に襲われて荒れたお天気の今日、

普段はおだやかな瀬戸内海も、少々ざわついております。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮社務所より

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2016年1月18日 (月)

井の中の蛙

おしゃれな若い人のかっこうを見ると、

「ちょっとマネできないな」とか、

「じぶんには似合わないだろうな」と思ってしまいます。

その人のことをおしゃれだなあとは思えるのですが、

じぶんが同じようにやってもヘンになりそうだと思ってしまうのです。

それで、やっぱり今まで通りの服装スタイルを続けていく、と。

 

「自分はこれがシックリくる」というスタイルがだんだん固定化されていく。

その姿を若い人が見た時、「オジサンだなあ」と思うのでしょうね。

今ぼくがじぶんでは別にヘンだとは思っていないような服装が、

若者にとってはオジサンくさいものに見えているのかもしれません。

 

実際、じぶんが「若い人」だった時に、

上の世代の人の服装などを「オジサンだなあ」と思っていたのと、

おんなじなのでしょう。

そして当時の「オジサン」たちもまた、

じぶんたちがシックリくる服装を

あえて変えていなかったというだけだったのでしょうね。

じぶんがオジサンになってはじめて、

当時のオジサンの気持ちがよくわかるような気がしています。

 

別にムリをして若い人のマネをしようとは思っていませんが、

そんなじぶんの「シックリくる」にあぐらをかいていてはいけないような気も、

最近はしているのです。

服装はまあいいとしても、

聴く音楽とか、仕入れようとするニュースなんかも、

「シックリくるものだけでいいや」とばかり思っていると、

いつの間にか幅が限定されすぎてしまっているように思えるのです。

 

なんだかんだ理由をつけて、

「テレビはできるだけ見ない」とか、

「このジャンルの本を読んでればいいか」などと、

知らず知らずのうちにじぶん自身で行動範囲を決めてしまっていたような。

好奇心が薄らいでいるじぶんに気が付きました。

そういう状態が続いて「井の中の蛙」になってしまうのだろうかとも思ったのです。

 

じぶんがシックリくるもの以外の中にも、

きっと心ふるえるようないいものがあると思うので、

もう少し柔軟になりたいななどと思っています。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮社務所より

2016年1月17日 (日)

阪神淡路の震災

阪神淡路の震災を、

ぼくは大阪府南部にあった生家で経験しました。

あれから今日で21年が経つんですね。

はげしい揺れの後、本棚が倒れてきて、

眠っていた枕のすぐ隣に落ちてきました。

のんきなぼくは夢うつつのまま、

何が起きたのか理解できずに

しばらく布団の中にこもっていたような覚えがあります。

 

大阪府の南部では大きく報道されるほどの

被害があったわけではないと思いますが、

その後神戸に住んでいた友人から聞いた話は、

じぶんが想像していた以上にたいへんなものでした。

 

今では追悼行事やそこに参加される方も少なくなっているそうですが、

震災から20年以上も経っているのですから、

それは自然なことなのかもしれないと個人的には思います。

 

「ひと世代」と言えそうな時間が経過して、

当時生まれた人だって成人しているし、

現役バリバリだった人にもお孫さんができているかもしれません。

ですが震災という経験は確かにぼくたちの記憶に残っていますし、

街づくりのあり方や個人個人の価値観に

少なからず影響していると思います。

 

地震だけでなく、洪水や土砂災害、

あるいは火災といったものは、

いつ、誰に降りかかるかわかりません。

ぼくは地域の消防団に参加していて、

火災の時には消化活動にあたることがありますが、

ごく短い時間で家屋が全焼してしまうこともあります。

 

石鎚神宮も客殿の火災を経験しました。

それは突然の出来事で、

ほんの数時間の間にその場の風景が

一変してしまったことを覚えています。

 

災害を完全に防ぐ、

間違いなく避ける、

ということはできないかもしれませんが、

日ごろからの意識の持ちようで被害を軽減できる可能性は

大いにあるでしょう。

大震災が起きた今日という日に、

今いちど身の回りの防災を考えてみてはいかがでしょうか。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮社務所より

2016年1月16日 (土)

三種の・・・

家電の「三種の神器」と呼ばれるものがありました。
1950年代には、白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機。
60年代には、カラーテレビ、クーラー、車、と、
いわゆる「3C」というやつですね。
 
それから50年という時間を経て、
今の生活の中で何が「三種の神器」なんだろう、
と考えてみると、ピンときませんでした。
「みんなが持ってる」「生活をさらに便利にする」という条件に加え、
「新しい技術」という点も考えるなら、
「スマホくらい?」となってしまいます。
 
家電量販店だったり、デパートだったり、
ホームセンターなどでも便利なものがたくさんありますが、
「現代人の三種の神器!」と言ってしまうような感じではなさそうですね。
 
今は、それぞれ個人における「三種の神器」があるのではないかと思うのです。
ある人にはパソコンやカメラ、バイクだったり、
またある人にはお鍋やお皿や包丁だったり。
はたまた別の人には植木用ハサミやスコップ、花瓶だったり。
 
ライフスタイルが多様化する中で、
「これは特に必需品っ」と思えるものが、
一人ひとり違ってきているのが現代なのだと思います。
もちろん、昔と比べて「技術」のベースが高くなっているということが
前提としてありますけど。
 
自分はどんな日常を過ごしたいのか、
という選択肢が、とても広くなっていると言っていいでしょう。
趣味も遊び場所も食べ物も、
自分の価値観に沿って選べてしまいます。
 
つまりは、「自分自身とたっぷり向き合えるようになっている」
とも言えるのではないかと思うのです。
「今はコレだよ」という、誰かに示された枠にとらわれる必要がない。
 
自由だからこそ抱えてしまう悩みや、
上下関係が薄れていったり、
古い風習が失われていったりという問題は確かにあるでしょうが、
危機だからこそあらためて見直されているとも言えます。
 
技術や情報をみんなが共有していく今の世の中。
そんな中で、お参りにお越しのみなさまに、
心しずかに「自分」に向き合ってもらえるような
場所にしていきたいと思っています。
 
90年代以後も「新三種の神器」といって、
いろんな三種の神器を流行させようとしたものの、
あまり浸透しなかったんですってね。
 
みなさんの今日が平穏無事でありますように。
 
石鎚神宮社務所より

2016年1月15日 (金)

あきらめる

「諦める」という言葉は、

「明らめる」から来ているそうですね。

 

今はどちらかといえば後ろ向きな言葉として使われることが多そうですが、

「ほんとうの姿を明らかにする、ハッキリさせる」

という意味合いも含まれているようです。

 

僕も「あきらめる」ことは決して悪いことじゃないと思います。

早すぎる諦めは「根性がない」ということになってしまいますが、

できるだけのことはやって、それでもダメならスパッと諦める、

その潔さはプラスの印象で受け止めていいと思います。

 

自分の身のほどを計り切れずにだらだらと夢を追いかけて、

時間を無駄にしたり、後悔するのであれば、

それなりの段階で諦めてしまう方がいいことが多いでしょう。

 

「でっかい事業を起こしたい」とか、

「大金持ちになりたい」とか、

あるいは「あの子と付き合いたい」

など、いろんな願望がありますが、

自分の力量や願いの大きさなどのほんとうの姿を

「明らかに」してみて、諦める。

 

そうすることで、時間や労力や想いを違う方面に注ぐことができる。

現実を大切にして得られる幸せの方が、

実は大きいものだったと思えるかもしれません。

 

でも、です。

身の丈に合わない願望をそぎ落として、

どんどんそぎ落として現実が見えて、

それでも「諦められない!」と思うなら……

 

その時は、「諦めること」を、諦めるしかないでしょう。

夢や願望をとことん追いかけまくるしかないですね。

そこまでの想いには、

強い情熱がこもっているはずですから、

きっと周りの人の心を打ちますし、

なによりその人が活き活きできると思います。

「諦め」をも乗り越えて夢を追い続ける人がいたなら、

僕はできる限りの応援をしたいと思うでしょう。

 

<「あきらめ切れぬ」と、あきらめる>って、

そういえばブルーハーツが唄ってましたね。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

2016年1月14日 (木)

「3日坊主」になれるチャンス

さて、「本日、シャムショより。」は

めでたく3日目の更新となりました。
ご多聞にもれず、「3日坊主」となってしまうのでしょうか。
いえいえ、これからも継続していきたいと思っています。
たぶん、明日も大丈夫です。
ヘンな言い方かもしれませんが、
「3日坊主」になれるチャンスは今日しかないんですね。
明日以降、永遠にこのチャンスは巡ってはこないのです。
もし一時的に更新が途絶えて、
期間をおいて再開できたとして、
3日後にやっぱり途切れてしまったとしても、
それは真の意味での「3日坊主」ではないですもの。
最もフレッシュな「3日坊主」になれるのは、
この場所を設置して3日目となる今日という日しかありません。
そしてもちろん、 そうならないようにしたいと思っている次第です。
「絶えず続けている」と言えるものって僕にはあまりないのですが、
続けるという「習慣」だと考えた時に、
やっぱりタバコをやめた時のことが思い浮かびます。
「タバコをやめられた」というひとつのこと、
大げさに言えば実績があるので、
それにならってこのページの更新も 続けていけばいいのかなと思えています。
タバコをやめた時には、「ガマン」をしませんでした。
できるだけ頑張らないようにしたのです。
「ないのが当たり前」という心理状態をわざと作ることで、
いつのまにか本当に忘れられていました。
タバコとの距離を「そんなヤツいたっけ?」という感じに、
やめようと決めた時からわざと仕向けていたのです。
「くそ、やめるぞ!」とがんばればがんばるほど、
余計にとらわれてしまう、というものなのだと思います。
このページの更新も、「頑張るぞ」と意気込むよりも、
いかに「あるのが当たり前」だと
思えるのかが大事なのかなと感じてます。
みなさんの今日が平穏無事でありますように。
石鎚神宮社務所より

2016年1月13日 (水)

息づかい

この「本日、シャムショより。」は昨日はじまりました。

行事などのお知らせだけでなく、
境内や身の回りで起きた何でもないできごともお伝えしながら、
「石鎚神宮の息づかい」のようなものを
受け取ってもらえるような場所にしたいと思っています。
できるだけひんぱんに更新していきますので、
神職の個人的な雑談めいたものが多くなりそうですけどね。
ホームページでどんな風に発信していきたいか、
という「意気込み」みたいなものが、当面は続くかもしれません。
なにせ、できたてのコーナーですから。
びっくりするような新事実や、
固定概念を大きく変えるような 革新的な考えを
書けるわけではありませんが、
ちょっと気持ちをほっこりしてもらえるようなものにしたいです。
神さま仏さまをおまつりしている場所として、
昔から伝わって来ている考えや思いなどを
残していきたいという気持ちはあります。
ですがそれだけでなく、
何より大切なのは、 「今、現在に向き合うこと」だと思うのです。
昔のことにこだわるあまり、
せっかくご縁のある人たちに真っ直ぐ向き合えないのなら、
とても残念なことだと思います。
世の中がめまぐるしく動いている中、
石鎚神宮も、どっしりと構えつつ、呼吸していなければなりません。
ここは「息づかい」を感じてもらう場所だと思ってますので、
荒い呼吸では長続きしません。
長く動き続けていくために、 背伸びしたりせず、
無理なくちょっとずつ進んでいきたいと思います。
みなさんの今日が平穏無事でありますように。
石鎚神宮社務所より

2016年1月12日 (火)

今日からはじまり

平成27年の暮れごろから、

「自分たちの取り組みをどんな風に発信していくのか」 について、
じっくりと考えるようになっていました。
そして、ホームページももっと活用するべきではないか、
と思ったのです。
それまでにも、
ホームページ上では石鎚神宮についてご案内していました。
ですがそれはありきたりなパンフレットのようなものでしかありませんでした。
どんな場所なのかをひととおりご紹介するだけの、
いわば無難なもの。
それだけでも最低限のものはお伝えできていたのかもしれませんが、
「動き」というものがないため、
面白みのあるものではなかったかもしれません。
しかし、せっかくホームページというものを持つのであれば、
見て下さる方にしっかりと伝わるものにしたいなと思うようになりました。
ホームページもにんげんが作っているものですし、
石鎚神宮に携わっているのもにんげんです。
呼吸とか感情といった「動き」をお伝えすることが、
ホームページというものを活かすことに
つながるのではないかと考えました。
このページを通じて、
ご覧くださる方のこころに何かをお届けできればと思っています。
言葉や行動のやりとりをしたり、
一緒に成長したり、
発見したりできればなおいいなとも思っています。
ちょっとフライング気味ですが、
サイトリニューアル。
細かい部分は動きながら考えよう。
石鎚神宮社務所より

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