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2016年2月の記事

2016年2月29日 (月)

個としがらみ

自転車が好きな人もいれば、

好きなアーティストのライブに行くのが

楽しみだという人もいる。

 

グルメな人もいれば、

休日はリラクゼーションで

癒されたいと望む人もいるでしょう。

 

お金をたくさんためたい人、

とにかく趣味の時間を作りたい人、

友だちと一緒にいる時間が何より落ち着くという人。

 

仕事についても、

「生きるために」「じぶんを試すために」「楽しいから」

とか、取り組む理由はさまざまかもしれません。

 

ずっと地元で暮らしていたい人、

はたまた、旅をしながら色んな景色を見たい人、とか。

 

価値観は多様化していて、

いろんな考え方があります。

どうしても「個」が重視される時代です。

ひとそれぞれの個性が、

「向かいたい」と思える方向に

進むことができるのが、現代だと思います。

 

必ずそちらへ行けるとは限らないにしても、

「行っていいんだ」と思える時代です。

世の中の空気も、「行っていいんだ」に

向かっているんじゃないでしょうか。

 

モノやサービスもだんだん個人向けになり、

ひとりでの過ごし方や気の合う仲間との時間を

濃いものにしやすくなっていきます。

 

わたしどもも、「ここが合うな」と選んでいただけるように、

やっぱり個人としてどのように

足を運んでもらうかということを、

意識していかなければならないと感じています。

 

ただ、やっぱり「家族」「親族」とか、

「地域」とかいったような、

ともすれば「しがらみ」だととらえられる結びつきも、

大切にしていかなければならないと思います。

 

「個」も、生まれてから死ぬまでずっと

「個」ではいられないだろうし、

「気の合う仲間だけ」で何もかもを

充実させられるもんでもないでしょう。

 

「めんどくさいなあ」とか思いながらも、

「しがらみ」というつながりから

無償の安心をいただくことって多々ありますもん。

 

ひとりでもみんなとでも

心地よく過ごせるような場所づくりをしていきます。

石鎚神宮へも茶久楽へも、

おひとりでも、仲間とでも、

家族とでもご近所さんとでも、

気兼ねなくいらしてください。

 

みなさまの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月28日 (日)

みとよ100年観光会議

三豊市には「みとよ100年観光会議」という組織があります。

昨年発足したチームで、

地元・三豊市の魅力を多くの人たちに

感じてもらうための活動に取り組んでいます。

ぼくも今年から参加させていただいているのですが、

この短い期間でもすでにたくさんの

刺激をいただきました。

 

これまでの三豊市は、

とくに「観光」という部分に力点を

置いていたわけではなかったそうです。

ですが、これからは市外、県外、

さらには国外からもお客さんを招き、

三豊で素敵な時間を過ごしてもらいたいという

動きに変わってきています。

 

三豊には海や島もあって山もあります。

魚も野菜も果物もおいしい。

歴史や名所もあちこちにあるし、

きっと都会ではできない時間を

経験してもらえるはずです。

 

「みとよ100年観光会議」のみなさんは、

そんな三豊市の魅力を発信していくため、

これまでにイベント企画や参加などを通して

地域を盛り上げてこられました。

そしてさらに三豊市の魅力を掘り下げ、

またはつなげていこうとしています。

 

「みとよの観光」とひと口で言っても、

たくさんの場所やものが点在していて、

訪れようとする人には不便さを感じるところも

多いのかもしれません。

 

7つの町が合併してできましたから、

海辺から山手まで広いですし、島もあるし、半島もあるし。

ですが提案の仕方によっては、

おいしいものや楽しい場所を存分に満喫してもらって、

いい思い出を作ってもらえる土地だと思います。

「みとよ100年会議」は、

そんな三豊の可能性を引き出してくれ、

形にしてくれる存在なんです。

 

多彩な個性をお持ちのメンバーがリンクし合っていく。

食や場所や歴史といったコンテンツがリンクし合っていく。

訪れるひとと迎える人がリンクし合っていく。

エネルギーは「つながり」が生み出すものだから、

これから三豊で起きる動きはきっと楽しいものになりますよ。

 

◆みとよ100年観光会議についてはこちらからもどうぞ◆

みとよ100年観光会議 ホームページ 

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週刊みとよほんまもんラジオ!ブログ 

 

みなさまの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月27日 (土)

「らしさ。」

振り返ってみると今週は色んな人のお話をうかがった一週間でした。

様々な方面のお話を聞いて、

その都度ほんとうにいい刺激を受けることができました。

ですけど、小刻みに多様な話をうかがったもんで、

頭の中がよく整理できていないままだった気がします。

 

講演とかセミナーとか、

会食とか立ち話とか、

今週みたいに続く生活では基本的にないですから。

刺激をうまくさばけていなくて、

ただ「あれもいいな、これも面白いな」と

右往左往してはいないか。

怪しい。

ここらでちょっと整理しておかなければならない。

 

ちょうど今日は「まちづくり推進隊詫間」さんが主催された

「離島ツーリズム講演会」があって、

有意義なお話を聴けたのです。

 

お話の中で「らしさ。」が大切なんだと

いうことをうかがいました。

地を這うように厳しい時期が続いても、

実直に「らしさ。」を貫いて、磨いていれば、

いつか潮目が変わるって。

 

「らしさ。」は、

「あれもいいな、これも面白いな」と

右往左往していては貫けませんから。

外からの情報や刺激をうまく吸収していきながら、

コントロールしていかないといけない。

 

いかにして「らしさ。」を発揮して、

持続していくのか、それを意識していこうと、

今日のお話からあらためて思うことができました。

 

折に触れて書いていることかもしれませんが、

「良いご縁が交わる場所づくり」を

目指していきたいと思っています。

人と人、人と自然とのご縁が交わる場所。

神さま仏さまとのご縁であるかもしれません。

 

安心して足を運んでもらえる場所を作っていきたいです。

極端な話かもしれないですけど、

いくらたくさん人が来て下さっても、

お金が集まったとしても、

「良いご縁が交わる」ものでなければ、

「らしさ。」にはつながっていかないんだと考えます。

 

おまつりや催し事、

または日々の当たり前の過ごし方も含めて、

ひとつひとつコンセプトを確かめながら企画したり、

取り組んでいかなければと思います。

 

ここでこう書いて、ちょっと整理できた気がする。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

 

続きを読む "「らしさ。」" »

2016年2月26日 (金)

交通安全

これはちょっと、

へたをすると相当「つまらない」と思える話になりますけど、

交通安全、だいじですよ。

昨日の、免許書き換え講習の先生が

いい講義をしてくださったから、

書いてみるわけですけども。

 

香川県は「人口10万人あたりの交通事故数」で、

例年「ワースト」に近い順位に立っています。

10年前と5年前と4年前は1位です。

ここ12年ほどの結果を見ると、

順位が2ケタだったのは2回で、

あとは9位、4位、2位、5位、など。

 

「人口10万人あたりの交通事故数でだいたい10位以内に入っている県」

なんですって。

 

全国何位だろうと、

年間に何件あろうと、

事故に遭う人、起こしてしまう人にとっては

「1回」でしかないのですけど、

順位や件数から見えてくるものがあるんなら、

教訓にした方がいいんじゃないかなと思うんです。

 

交通事故を引き起こした人だけじゃなく、

起こしたことがない人も含めて、

もうこれはみんなの意識が少しずつ変わらないと

いけないんじゃないでしょうか。

いや、じぶんにも当てはまることだと思って書いています。

 

起こしていない人だって、予備軍になりえるわけだし、

「危ない運転はカッコよくないよ」という

空気感をみんなが出してれば、

未来の事故を減らせるというもんでしょう。

 

警察や自治体が、取り締まりを厳しくしたり、

道路をペイントして危険個所が目立つようにしたりするのは、

「対症療法」ですから。

まずは運転者の意識という内面から

自発的に変わっていくものでないと、

根本的な改善にはならないと思います。

 

ガラガラに空いている農道とかで、

後ろの車が前を走ってる軽四なんかにベタベタに迫って、

プンプンと煽っている景色なんかを見ると、切なくなります。

 

ちょっとずつ変えていきたいですね。

じぶんも人のこと言える立場じゃないですけど、

みんなで考えていきたいことだと思ったので、

書いてみました。


香川県の交通事故が減りますように。 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月25日 (木)

運転免許書き換え講習

正直なところ、ちょっと面倒くさいなと思っていたんです。

今日は免許の更新の日で、

ちょっと前にスピード違反してしまったため、

1時間の講習を受けました。

 

それが、講師の先生のお話の進め方がとても丁寧で、

つい聞き入ってしまったんです。

講習の内容自体は、

決して驚きの事実が満載だったわけではなく、

「交差点は注意しましょう」とか、

「踏切で立ち往生したらどうするか」とか、

まあ、想定していたものでした。

 

講師の先生の言葉づかいが、

まるで教科書の文章をそのまま話しているかのように丁寧で、

真っ直ぐさが伝わってきまして、

こちらも居住まいを正さずにはいられなかったわけです。

 

時折テキストなんかも見ながら講習は進んでいき、

香川県での交通事故の事例とか、

ここ数年で新しくなった

道路交通法とかについて語って下さいました。

 

「聴いている人の意識を引き寄せる話し方」というのは、

そのテクニックの面でいろいろと

語られることが多いと思います。

 

ぼくは詳しくわかりませんけど、

例え話をうまく配置するとか、

起承転結と意外性をうまく組み合わせる、

とかいったことだったりするんでしょうか。

生徒さんの前での授業とか、

企業におけるプレゼンとか、

「人前で話すコツ」というものがあるんでしょう。

 

今日の先生については、

テクニックの面では特別に驚くようなところを

見せてくださったわけではないと思います。

免許更新の講習ですから、

「意外性」とかはなくていいんでしょうし。

だけど、誠実さ、丁寧さ、実直さ、基本への忠実性、

といったものをぎっしりと感じられて、

そんな引き寄せ方もあるんだなあと感じました。

 

というか、基本があってのテクニックなんだよなと、

当たり前のことを思い出させてもらえたように思います。

 

今日聞いた言葉でなるほどと思ったこと。

「知識を持ってるとトラブルが起きた時でも謙虚に対応できます。

持ってないと、立腹したりします。」

といったもの。

だから「発煙筒」とか、

普段使わないものだけど

一度手に取って知識を持っておいて下さいね、と。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月24日 (水)

のれん

「のれんに腕押し」とは、

言わずと知れた「手ごたえがないことのたとえ」です。

のれんは壁でもないし、戸でもないし。

力なんか入れなくても、

ペロリとめくって通り抜けることができてしまいます。

 

お店の入り口や家の台所なんかに、

当たり前のようにぶら下がっているのれん。

あまりにも身近でごく自然な存在だったので

意識していませんでしたが、

絶妙な役割を果たしているなあと最近思ってます。

 

茶久楽もお店の入り口にのれんを出すスタイルですが、

のれんが入り口の戸を開けてもらうまでの

ほどよいクッションになってくれているのがわかります。

のれんというペラペラな布をくぐることが、

お客さまにとって「じゃあお邪魔しますよ」と

気持ちが切り替わるきっかけになるんだと思うんです。

 

のれんというものが、

お店と外とを隔てる境界になっている。

多くの日本人にとってはごく当たり前すぎる行動で、

わざわざそんな意識をしていないでしょうけど、

外国の人なんかはちょっと不思議に感じるんじゃないでしょうか。

 

もともとのれんは、「暖簾」と書くように、

「簾(すだれ)」に布をかけて

冷たい風を防ぐためのものだったそうな。

お店の入り口に出すのは日よけのためだったんですが、

せっかくだから看板としても使おうということになり、

商店や飲食店などではのれんに

お店の名前を書くようになったんですって。

 

「のれん分け」と言えば、

お弟子さんなんかが師匠と同じ屋号でお店を出すことですが、

じぶんのお店を出すという行動の象徴に

「のれん」という言葉が使われるのも、

面白いといえば面白いです。

 

のれんには、そのお店のシンボルとしての意味があり、

そこにプライドや歴史なんかも詰まっているんですね。

 

ちょっとこれからは、

色んなお店ののれんの見方が変わりそうな予感。

昔ほどではないかもしれませんけど、

のれんひとつにもそのお店の個性が出ているような気がして、

興味深いじゃないですか。

おしゃれなのれんとか、カッコいいのれんもたくさんあるし。

 

○本日、火曜日のお護摩焚きを14時より行い、

諸願成就、世の中の平穏無事をお祈りいたしました。

来週、3月1日は月並祭ですので、

14時からの神事のあと、護摩供養が行われます。

ご都合のつく方はぜひご参加下さい。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月23日 (火)

お護摩焚き

明日、火曜日は14時よりお護摩焚きをおこないます。

毎週おこなっています。

とは言っても、「毎週火曜日」にすることになって、

明日でまだ3回目です。

 

正直なところをお伝えすれば、

先週、先々週の2回とも、

どなたのご参加もなかったのです。

お知らせらしいお知らせをしていませんでしたから、

それは当たり前だと思っています。

よくお参りに来られる方にさえ、

直接はお伝えしていませんから。

 

身近な人にはこれからじわじわと、

会う機会ごとに自然な会話の延長で

お知らせしていきたいと考えてます。

何人集めないと成立しない、

というものでもないので、焦る必要はないと思うのです。

 

もちろん自然に多くの人がご参加いただけるようなものに

していきたいという気持ちはあります。

チーズを熟成させるように、

じっくりと取り組んでいきたいです。

 

ろくにお知らせもせず、

2月から唐突に始めた形になっていますが、

その理由は節分が明けてすぐに取り掛かりたかったからです。

春という新しいサイクルの始まりに、

お護摩焚きの開始を合わせたかったんです。

 

お護摩焚きについては、

まだタネまきの前の土ならしの段階なのかもしれません。

やがてタネがまかれて、芽が伸びて葉が増えて、

花を楽しめたり実を収穫できればうれしいです。

 

毎週おこなうのは、

「今週は行けないけど、いつでもやってるし」

と安心してもらいたいからです。

しばらく足がこちらに向かなくても、

都合がついた時にまた気軽に来ていただけるものにしたいんです。

いつでも気軽に帰ってこれる場所に。

 

それはこの「本日、シャムショより。」も同じで、

しばらくお読みいただいていなくても、

気が向いた時に来てもらって、

「今日もやってるな」と気軽に帰ってきてもらえる

場所にしたいと思っています。

 

ご都合のつく方はぜひお気軽にお越しください。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月22日 (月)

夢は現実ではありません。

「将来の夢」の方じゃなくて、

眠っている時に見る夢のことです。

 

夢は現実世界そのものではないけども、

毎日の生活にまったく影響していないのかと言えば、

そうでもないと思います。

 

たとえば、ずっと忘れていたのに、

夢の中で久しぶりに知人に会ったりする。

目覚めるとその夢のことを覚えていて、

「久しぶりに連絡してみようか」と思ったりとか。

 

また、外出先で怖い目にあう夢を見たことで、

出かける場所選びが慎重になったりとか。

 

まあ、必ずしもそんな風にハッキリと

夢が現実に影響するとは限らないですね。

けども、嬉しい夢を見たことで

朝からなんとなく気分がいいとか、

反対にヘンな夢のせいで一日どこか不安だとか、

感情へのぼんやりとした作用はあると思います。

 

その夢を見たことで、目覚めてから踏み出す一歩が、

右に向かったり、少し左に寄ったり。

夢は現実ではないけれど、

日常の一部というか、

現実世界をふわっと包んでいるものなのかもしれません。

 

ジャケットや着物なんかの裏地みたいに、

現実の真裏にしっかりと存在しています。

夢は現実じゃないけれど、

「無い」わけではない。

 

「好きな人の写真を枕の下に敷いとけば夢に出てくる」

とか言いますが、

なかなかうまく見たい夢を見られるもんじゃありませんね。

夢はコントロールできないもののひとつです。

現実世界は、夢のようにコントロールできないもの、

目に見えないものからも影響を受けています。

だから、目に見えるものだけを

いくらうまく組み上げたところで、

どうしたって目に見えないものに

多少は左右されてしまいます。

 

魂とか心とか精神とか、

運命とか神さまとか仏さまとか。

希望とか、願いとかいったものも、

時には「見えない力」として作用することが

あるみたいですから。

眠ってる時の夢はほとんどの人が見るもので、

身近に実感できる「見えないもの」だと言えると思います。

 

どうにか、毎夜いい夢ばっかり見れないかなあ。

ぼくは、「旅館・ホテル」と「高速道路」の夢をよく見ます。

それが日常にどう作用しているのかは、

いまいちよくわかりません。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月21日 (日)

雨水

なんの気なしにカレンダーを見ていたら、

きのうが24節気の「雨水(うすい)」だと気づきました。

空から降るものが雪から雨に変わる頃だとされています。

だからなのかどうか、今日はいっぱい雨が降りましたね。

 

本格的に春に向かっていく節目、

それが雨水です。

昨日、ここで「春が楽しみだぞ」ということを書いたのは

その日が雨水だと知っていたからでは決してなかったんですけど、

結果的にいいタイミングだったみたい。

 

冬が終わるとなると、

年末の大掃除のこととか、

大寒波の日にコタツがいとおしかったこととか、

点々とした記憶がよみがえってもきます。

 

カニ鍋をいただいておいしかったことや、

荘内半島オリーブ農園さんの流星を見る会に家族で出かけたこととかも。

やっぱり室内で過ごすことが多いし、

昼が短いから薄暗い風景の記憶が大きな割合を占めていますけど、

春に入ろうとする時期にいざ立って振り返ってみると、

「ひと冬をくぐり抜けつつあるんだ」と、

少々感慨深いものがあります。

 

次の「ひと冬」の記憶も、

きっとモコモコの上着や湯気の出る料理なんかの

風景とともに刻まれていくのでしょう。

 

「よう冷えるね」などと、

ひとつのストーブに一緒にあたるような季節は、

なんか「一緒に乗り越えている」という感じもして、

人との距離が近づいたりしやすいかもしれない。

 

雨水の日におひなさまを飾ると良縁に恵まれる、

といういわれもあるそうですよ。

うちは立春に飾りました。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月20日 (土)

楽しみな春

楽しみな春のことを今日は書きましょう。

ここ最近、腕組みしてじっくり読んでもらうようなものが

多かったように思いますし。

春ってどんなものだったか、

ちょっと思い出してみましょうか。

 

もうすでに春は始まってますが、

「春らしい春」はこれからで、すぐそこです。

あたたかくなって、

セーターやダウンを脱いで過ごせる日が増えます。

日差しがぽかぽかするからです。

お気に入りの長そでシャツなんかで、

散歩するのも心地いい。

いいですね、春。

 

さくらが咲きます、お花見ができます。

草木が芽吹いて、山がわらい、

花のいいにおいがします(花粉症の方はちょっといやですよね)。

 

うぐいすが鳴きますよ。

石鎚神宮の境内では、天候などにもよるんでしょうけど、

ひっきりなしにさえずりが聞こえてくることがあります。

小鳥だって春はうれしいに違いないのです。

 

街の風景がどこか初々しくなるのは、

きっと新・小学校一年生のおかげです。

真新しいランドセルを背負って、

着慣れない制服に身を包んで、

少し誇らしげに、楽しそうに、

歩道をてくてく歩く姿。

「ピカピカのいちねんせい」って、

よくできた言葉だなあと思います。

 

リンゴやみかん、大根やかぶの季節が過ぎて、

たべものからも春を感じられますね。

タケノコにマメ類、新たま、新キャベツ。

いちごもうまいし、高知の甘いトマトも実る。

 

来ますね、来ます。

春というやつが。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月18日 (木)

志々島、ひとと里、街、自然

お向かいの島、志々島(ししじま)に初めて行ってきました。

近くの港から定期便で15分というところにあります。

 

三豊市の「まちづくり推進隊」のみなさまと一緒に、

ぼくは先日仲間に入れていただいた

「みとよ100年観光会議」のメンバーとして。

樹齢1200年と言われる大楠も訪れることができ、

生命の強さを感じることができました。

 

人口の減少が止まらず、

いわゆる限界集落となってしまった島ですが、

近年では観光や移住を目的として来島される方たちの

受け入れ態勢が整いつつあります。

 

先日、多くの方からの支援金により、

休憩所として改装された古民家にも、

今日入らせていただくことができました。

築100年以上、空き家となって70年という民家に、

まっさらな畳が敷かれ、建具が取り付けられ、

快適な和風建築に生まれ変わったんです。

それは「田舎のおばあちゃんち」といった感じの、

ひとと一緒に生きてる住宅に違いありませんでした。

 

改装はこれからも進むそうで、

まだ空き家だったころのまんまで手が入っていない部分も多く、

そこも見学させてもらったのです。

薄暗くて静かな二階におずおずと登ってみたのですが、

その場に立っていると不思議な安心感がありました。

 

それはきっと、

その空間にあるものが、木や紙、

壁の土だけだったからじゃないかと思います。

一緒にいた人と、

「余計なものがないですね」なんて、話していました。

プラスチックも化学繊維も鉄製品も、

その場所にはなかったからじゃないでしょうか。

「余計」と言っちゃあ語弊があるかもしれないですが、

木と土だけに囲まれた穏やかな空気感がありましたよ。

 

帰ってから考えたこと。

「街」も、海の上や山の中もだいじ。

そして、決して全員ではないかもしれないけど、

多くのひとが生活環境として安心できる、

「里」というものが、

とてもだいじだなということです。

都会と自然がうまく交わる場所。

 

なんで「島」にひとが惹かれていくのか、

それは、現代でもひとと自然が

うまく調和している場だからじゃないのかなと思って、

便利な世の中においてこれからとても大切な役割を

担うものになりそうな予感がしました。

 

志々島に行っていろいろ考えたり感じたりしたこと、

また明日も書くと思います。

たくさんあるんです。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月17日 (水)

草と木

今日は寒かったですけど、

比較的あたたかい日が続いたり、

夕日が落ちる時間が遅くなったりして、

少しずつ春に近づいている感じがしてきました。

 

春を迎えるのは嬉しいことに違いないのですが、

あたたかくなって気になるのは、

伸びてくる草木のことです。

 

「雑草」とか呼びたくないんですけど、

気持ちよくお参りしていただくためには

草刈りや草むしりで雑草を取り除く作業が必要です。

 

「雑草」への対応としては、

軍手をつけてコツコツと草をむしったり、

ご近所のひとたちと一緒に

草刈り機で一斉に刈ったりしてきました。

また、樹木については、伸びすぎた枝を切り落とし、

どんぐりやタネから出た芽を摘んでいます。

 

景観を維持して、

お参りしていただく方に気持ちよく歩いていただくために、

草を取ったり木を切ったりする作業は

必要なことかもしれません。

けれど、なんか不毛なことをしているような

気分がぬぐえないんです。

 

せっかく生えてきているものを、

ただむしったり刈ったりして、

燃やしたり廃棄して処分してしまうのって、

どうなんだ?と。

 

「もったいない」というだけじゃなく、

どこか人情味が足りないような気がするのです。

これからは少しずつ考えていきたいなあ。

 

景観の維持のために草や木を取り除くのはやむを得ないとして、

むしったり切ったりした草木や、

あるいは落ち葉などで何かつくれないか。

 

「腐葉土を作る」くらいしか今は思い浮かびません。

「薪ストーブを設置して木の枝を燃料にする」

という考えもありますけど、

新しく据え付けるのってけっこう大変みたいですし。

 

せっかく生えてきた草や木を、

「廃棄」するんじゃなくて、

せめて「再生」させてあげたいです。

 

○本日、火曜日のお護摩焚きを14時より行い、

諸願成就、世の中の平穏無事をお祈りいたしました。

また来週も行いますので、お気軽にご参加下さい。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月16日 (火)

写真を復元

年末の話ですが、

お正月の準備のために倉庫で探し物をしていると、

ひとつの額縁が出てきたんです。

 

以前、火災があった建物に飾っていたもので、

祖父と祖母が並んで映っている写真が入っていました。

撮影された場所は、沖縄の首里城。

 

火の熱によって写真の表面があぶられたようになっていて、

色が薄くなっていました。

倉庫に置いておくのもなんなので、

とりあえず祖母に渡してあげようかと思い、

手に取ってみたのです。

よく見ると表面の写真にピッタリ重なって、

もう一枚の写真が同じ額縁に収められていました。

 

下になっていた写真は火に触れていなかったようで、

まずまずきれいな状態で残っていたんですね。

色合いを修正すればけっこう見れるものに復元できそうだと思って、

その2枚をスキャナーでパソコンに取り込んで、

保管してたんですが、

いつかプリントアウトしようと思いながら、

気づけば二月の半ばになってました。

 

ようやく今日、劣化が軽度だった方の写真を印刷して、

新しい額に入れて祖母に渡してあげられました。

写真の右下には89年2月の日付が残っており、

祖父も存命で、祖母も若かった。

100均のちゃちな額ですけどね。

首里城の赤い柱の色も割とキレイに出ているA4の写真が、

火災のあと何年か経て祖母の部屋に飾られました。

 

この写真という「記録」は、

カメラ、スキャナー付きプリンター、パソコンと、

色んな機器があってこそ復元できました。

 

「記録」によってぼくや祖母の「記憶」が

活き活きとよみがえって、

なんかいい感じです。

 

もう一枚は、時間がある時にゆっくり修正してみようと思っています。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月15日 (月)

本題と休題

打ち合わせなどで色んな意見を出し合ったあとの、

ちょっと一息つくようなひととき。

そんな時間にこそ、

意外とだいじなアイデアが出てきたりしませんか。

 

「本題」というものがあって、

そのことについてある程度の意見が出つくしたりとか、

あらかじめ決められていた時間に達して、

一旦話し合いが終わりになったとして。

 

「じゃあここらでお茶でも飲みましょう」と、

本題から離れた雑談なんかをてきとうに楽しんでいる時に、

「あ、そういえばさっきの話の続きなんですけどね」

なんて、いい考えが出たりすることが時々あるように思います。

 

「本題」とまっすぐに向き合っている時というのは、

緊張感もありますし、

視野が限られてしまうのでしょう。

「話しの流れを乱しちゃいけない」とか、

「突飛なことを発言して場が白けてしまっちゃ申し訳ない」

などと考えて、

思い切ったことを言えなかったりもすると思います。

 

けれども、

一旦その場の緊張が解けた時に、

枠からはみ出た発言をしやすくなって、

「それいい考えだね」と、

芯をついた意見が唐突に飛び出したりする。

 

もちろん「本題」を外れた時に

必ずいい意見が出るとは限りませんし、

「本題」で真剣になっているからこそ

そのあとに柔軟な考えが出るのでしょうから、

まずは「本題」にまっすぐ取り組むことが重要です。

 

個人的にはですけど、

それに加えてスイッチが「オフ」になっている時も、

だいじだなと思うのです。

イベントやおまつりなんかの際に、

「本番」のあとの「打ち上げ」が

だいじだったりする感じと共通すると思います。

できる限りの範囲で、

「本題」と「休題」の両面を大切にしていきたいです。

時間が許すなら、

「ちょっとお茶でも」と。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月14日 (日)

自分と周り

まだまだ勉強中ですが、

相性や運勢といったものを時に見させていただきます。

ひとの個性は十人十色で、

誰もが得意なところ、

不得意なところを持っているものです。

 

「ありのままの自分で」とか、

「自分に素直に」と、

ずっとその状態で居続けることは

かなり難しいんじゃないかと思うのです。

にんげん社会というものの中で、

多くの人と触れ合いながら、

何十年という時間をひとは過ごしていきます。

 

じぶんと、そして他人との

「凹」と「凸」を合わせながら、

じぶんを中心とした世界の中で

日々を生きていかなければなりません。

 

もちろん「自分」というものは

中心にある「芯」としてだいじなものです。

それを軸にして、

周囲の環境と折り合いをつけていくために時には自分を作ったり、

飾ったりしなければならない。

 

24時間×365日×数十年という人生を、

「自分」をむき出しにしたまんまで続けていくのは

かなりキツイんじゃないでしょうか。

何か判断に迷った時や、

じぶんの原点に立ち返るべきだと感じた時などには、

「ありのままの自分」に戻ったり、

「自分に素直に」なったりすることも有効で、

とてもとても大切で尊いことです。

 

そして、にんげんの世の中を暮らしていくためには、

「ナマの自分」だけでなく、

家族や職場や友達などといった

社会に合わせた自分を見せていかないといけない。

 

そこで本能と理性、本音と建て前、理想と現実、

などのせめぎ合いが起きて、

時に苦しんだり、悩んだり、

悔やんだりもしてしまうのでしょう。

 

相性や運勢を見させてもらったり、

また神事やお護摩焚きに参加していただくことで、

そういった「自分」と「周り」との関係において

抱いてしまう不安を、

軽減するお手伝いができればと思っています。

 

内向きのじぶんと外向きのじぶん、

その両面が「カチッ」と合う時に、

ひょっとしたら「幸せ」という気持ちが訪れるのかもしれません。

 

生き方や価値観はひとそれぞれですし、

「ずっと自分らしくなんて無理」なんて

決めつけるつもりも全くなく、

ちょっとうまく書けていない感じがしていますが、

これからもこういったことは

じっくりずっと考えていくことになると思います。

また考えが変わるかもしれないですけど、

今はこんな感じで思っています。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月13日 (土)

浦島太郎伝説と琉球

石鎚神宮は、荘内半島の付け根部分にあります。

荘内半島には、

どうやらまだあまり多くの人に

知られていない歴史がありそうです。

 

四国地方や讃岐の地は

いわゆる日本史の表舞台にはさほど出てきませんが、

少し深く掘り下げればいろんなドラマが見え隠れしてきます。

地元のおじさんの話の中なんかに、

「へえ、そうなんですか」というような

歴史的エピソードなんかが登場して、面白いです。

 

荘内半島は瀬戸内海に小指のように突き出た場所です。

瀬戸内海は海上交通の要路でしたから、

古今東西、人や物がひんぱんに行き来してきました。

 

じつは古代に琉球との交流があったそうなんです。

「ゴホウラ貝」という、沖縄地方でしか見られない貝が、

古代遺跡から出土しています。

ゴホウラ貝は装飾具として

身につけられていたと考えられていて、

身分のあった人のお墓なんかから出てきます。

 

ちなみに、ゴホウラ貝が出土するのは荘内半島に限ったことではなく、

九州から西日本にかけて、いろんな場所で発掘されています。

 

また、近年けっこう知名度が高まりつつあるようですが、

荘内半島には浦島伝説が残っています。

「浦島太郎がいた場所」として

「そのいわれが地名になって今も残っている」

というものです。

そのロマンをさらに深めるものとして、

「荘内半島と琉球との関係」が、

もっと取り沙汰されてもいいんじゃないかなと

ぼくは思っています。

 

というのは、沖縄の方がおっしゃるには、

浦島太郎に出てくる「竜宮(りゅうぐう)」は、

「琉球(りゅうきゅう)」なんだということなのです。

 

讃岐に住んでいた人が小舟にのって、

案内人に連れ立たれて遠い南の島を訪れた。

これが「亀の背中に乗って…」という語り口になった。

そこは色鮮やかな魚が舞い踊る、竜宮城だった、と。

沖縄にはきれいなサンゴ礁の海と、

熱帯の魚たちが生きていますから。

 

浦島太郎さんが実在したのかどうか、

またほんとうにその伝説は

琉球との関わりを示しているものなのかどうか、

真実が明らかになるという確証はありません。

けれど、「ゴホウラ貝」の存在や、

どうやら琉球との交流があったであろうことなどは、

詳しく調べてみる価値があるのだろうと思います。

 

荘内半島を訪れる際に、

「おとぎ話」をリアルに感じながら

巡ってもらえるんじゃないかなあ。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月12日 (金)

マインドマップインストラクター・鈴木雄介さん

メモを取るのが下手で、

手帳を買ってもなかなか有効に使えませんでした。

ですが、仕事でもプライベートでも

効果的にメモを取れるようになった方が

いいんだろうなとは思っていたのです。

頭の中をもうちょっと整理する必要性を感じるようになって、

今年は以前より少しだけ意識してメモを取るようにしています。

 

以前までは、

すぐ目の前のことだけに

その都度対応していくような毎日でしたが、

これからはある程度きちんと計画を立てたり、

ひとつずつ実績を積み重ねていって、

それを崩さずに保っていくような意識を

持った方がいいのだろうと思うようになっています。

 

そのためには、

考えていることや日常で出会ったヒントなどを書き留めて、

タイミングを見ながら活用していかなければ。

ですから「メモは大事だ」と思い始めていたのです。

 

そんな中、少し前のことになりますけど、

マインドマップインストラクター・鈴木雄介さんの

セミナーに参加する機会がありました。

以前から考えをうまく整理できないところを

どうにかできないかなと考えていて、

機会があればお話をうかがってみたいなと思っていたのですが、

ちょうど短時間のセミナーがあるとうかがったので、

参加させていただいたのです。

 

限られた時間だったので

「メモを取るコツ」や「上手に記憶するためには」といった

基礎的な内容だったかと思いますが、

それでも大いに参考になりました。

せっかくメモを取るんだから、

それを活かしてなんぼだと思うのです。

 

「中身のあるメモ帳」という

メモリー装置を作っていけば、

その分「じぶんの頭」という

ハードディスクは軽くなりますもんね。

 

鈴木さんはイベントやセミナーで

記憶の整理についてのレクチャーを行ってらっしゃるそうなので、

機会があればまたぜひお話をうかがってみたいです。

 

ご興味のある方はこちらもどうぞ。

 

鈴木雄介のLet’s Play MindMap!!

 

『マインドマップ』は、

ビジネスにも日常生活にも大いに活用できるそうですよ。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月11日 (木)

ドレミと言葉

おかげさまで、「本日、シャムショより」も

開始してもうすぐひと月です。

毎日続けてると書くことがなくなるんじゃないか、

という心配はあんまりしていません。

 

もともと、

「読んでくれる人を必ず驚かせるような画期的な文章を、

毎日書いていこう」

と考えていたわけではないからです。

気負ってしまうと足踏みして考えなければならなくなるので、

それでは毎日続けられませんからね。

筆の向くままに書き進めていくうち、

いつの間にか1年、3年、10年と過ぎていた、

という風に持っていきたいです。

 

「ネタは尽きないのか」ということを考えた時、

音楽家の方と以前お話しした時のことを思い出します。

ドレミとか、

「音」というものはある程度限られた分量しかないのに、

それでも音楽は次々に作られていくもんだね、

という話をしました。

 

ドレミ…の組み合わせはいつか尽きてしまいそうなのに、

音を伸ばしたり短く続けたり、

高低やスピードを使い分けながら、

色んなジャンルで色んな曲がどんどん作られていきます。

 

「言葉」はドレミとは比べられないほどに数が多く、

また新たに作れたりすらできますから、

その組み合わせは無限で、尽きることはないでしょう。

 

「キッチリとした文章」と考えるとハードルが上がるけど、

会話なら毎日誰かとしますから、

そんな感覚でこの場所の文章も書いていこうと思っています。

 

おかあちゃんが毎日ごはんを作ってくれることとも、

なんか似ているような気がするのです。

おかあちゃんのごはんは

品物が以前と同じだったりすることも当たり前にあるから、

この場所の文章だって時には以前と同じことを

書いていいと思っています。

同じことを書いたって、その時より一歩考えが進んでいたり、

見方が変わっていたりと、

また少し違ったテイストを出せるとも思うのです。

 

そんなことで、気負わずにぼちぼち続けていきますね。

いつもお読みいただいてありがとうございます。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月10日 (水)

お護摩焚き

石鎚神宮では、

古くからの「神仏混淆(しんぶつこんこう)」の信仰を伝えており、

神さまも仏さまもおまつりしています。

 

今日は「護摩焚き」を行いました。

これから毎週お護摩を焚こうと思っています。

毎週火曜日の14時から、

護摩堂にて護摩焚きを行います。

 

どなたでもご参加いただけますので、

ご都合のつく方はぜひいらして下さい。

護摩堂は本殿の隣の建物で、

護摩焚きにかかる時間はだいたい30分となります。

 

108本の木を燃やし、

諸願成就をお祈りします。

勢いよく上がる炎にじぶんの祈りを向け、

神さま仏さまのお力をいただく、というものです。

 

炎が上がっている時間はごく限られたものですが、

気持ちを静めて一心にお祈りを捧げることは、

自分の内面深くにじっくり向き合うことにもつながります。

 

もし日常における何らかの不安や迷いをお持ちなら、

また安全、安定といった「安らかであること」を願うなら、

ぜひご参加いただければと思います。

躍動する炎の姿、

そしてその熱に触れることで、

何かスッキリできるかもしれません。

 

護摩焚きの際には、

諸願成就、そして世の中の平穏無事をお祈りしています。

世界が、日本が、近隣の地域が、身近な人たちの毎日が、

穏やかでありますようにと。

 

毎週の護摩焚きについては、

特に参加料などいただいておりません。

祈願をお書きいただく「護摩木」は、

一本につき300円をちょうだいしています。

どうぞお気軽にお越し下さいね。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月 9日 (火)

昼寝

いくらでも眠れる体質なのですが、

特におひるごはんの後の眠気はものすごいです。

昼からパソコンに向かう時、

両手をキーボードに置きながらコックリコックリ、

という状況がしばしばあります。

 

そんなことにならないように、

積極的に昼寝するようにしています。

5分とか10分とかですけど、

たったそれだけ居眠りすれば、

頭や目がスッキリ。

しないのとは雲泥の差です。

昼寝ナシだと、

人とお話しする時も一生懸命に目を見開いていなければならない。

 

最近では、午後からの作業効率低下を防ぐために

企業でもお昼寝を取り入れる風潮が広まっているそうです。

個人的には、その狙いはよく理解できます。

 

人間の適正な睡眠時間もあれこれと言われていますが、

ほんとうのところは正解などないのでしょう。

「7~8時間」と言われる理想的な睡眠時間も、

明確な根拠があるわけではないらしいですね。

 

南米の「ピダハン」という少数民族は、

好きな時に適当に寝て、気が向いたら起きて、

のサイクルを数時間置きに繰り返しているそうです。

陽の高い時間には起きて行動し、

夜はずっと眠るのだ、

という生活習慣ではないのです。

夜中も適当に起きて、たき火の周りで談笑したりして、

また気が向いた時に眠る、というスタイルです。

 

起きている時に元気よく活動できるよう、

睡眠の質を高めることもだいじですが、

自分のカラダやライフスタイルに合った睡眠時間を確保する、

ということも大切なんだろうと思っています。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月 8日 (月)

周りの幸せ

Youtubeで、ブータンのGNHコミッションで勤務されていた

日本人の方の講演を聴いてました。

GNHとは、「国民総幸福」と訳されるように、

幸福の度合いを示す数値です。

「幸せの国」と呼ばれるブータンが、

経済の大きさを示すGDPに代わって、

国をあげて追及しているのがGNHです。

 

その方のお話しによると、

ブータンのひとにとっての「幸せ」とは、

じぶんの幸せだとは限らないそうなのです。

家族や友達、周りのひとが幸せであるかどうかで、

じぶんの幸せを測ります。

 

ですから、たとえじぶんが

いろいろな問題を抱えていたとしても、

それは「不幸」ということにはならない。

あるいは、

地位や財産、成功、または恋人や配偶者などを

得られていなかったとしても、

身近にいる大切なひとたちが嬉しそうなのであれば、

それは幸せなことなのだと考えるそうです。

 

もちろん、無理やりじぶんにそう言い聞かせるのではなく、

そういう視点で物事を見られるように、

からだができているのではないでしょうか。

文化の積み重ねや自然環境によって、

 

周りのひとの幸せを喜べる感性が

培われているんだろうと思います。

 

時間の流れ方や物の量などが違う日本で、

果たして同じような感性を持てるのかどうかはわかりませんが、

ブータンの幸せ観が広がると

少し住みやすくなるんじゃないでしょうか。

全ての問題が仮に取り払われてしまったとしても、

一緒に笑える人がいなければさみしいもんです。

いくらか問題を抱えながらも、

「お互いに人生いろいろあらぁな」と笑い合えれば、

一歩一歩乗り越えていけたりしますし。

この世は、はじめっから不完全なもんですから、

みんなどこか欠けているし、それを補い合っている。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月 6日 (土)

南三陸みさんが

『南三陸みさんが』を、茶久楽で販売しています。

南三陸に住む女性によって、

復興への願いを込めて編まれた手作りミサンガです。

デザインはきれいだし、

ペンダントの部分に入ってるロゴも親しみやすくてかわいらしい。

売上の半分が製作者の方に届く仕組みです。

 

しばしばモデルチェンジもしたりして、

去年くらいからでしたか、

従来の「紐で結ぶタイプ」のほかに、

「金具で留めるタイプ」が加わりました。

 

茶久楽の割と目立つところにあるので、

ときどき「あまちゃんで出てたやつと似てるね」なんて、

お手にとってもらえているようです。

 

震災という出来事は、

日常の見方を大きく変えてくれたものでした。

 

にんげんは、

人、物、情報、といったものの中で、

どんな風に生きていけばいいんだろうと随分考えもしましたし、

答えが出てないところがたくさんあるし、

答えなんてないんだろうと思えるところもたくさんあります。

 

震災から間もなく5年が経とうとしている今、

香川の小さな茶店の片隅で

いくつかミサンガを置かせてもらっていることが、

いったいどの程度の力になれているのかはわかりません。

じぶんたちは未だに東北に行ったこともないし、

ひょっとしたらミサンガを販売するより

効果的な支援方法があるのかもしれない。

 

ですが、これから今しばらくは、

ミサンガを店頭に置かせてもらおうと思っています。

そこにミサンガがあることで東北のことを思い出せるし、

またみなさんに手に取っていただけば、

色んなことを考えてもらうきっかけになるかもしれないので。

「震災後」は今もまだ続いているし、

これからも続いていくものですから。

独善的かもしれないけれど、

まだそこにあってほしいのです。

 

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

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2016年2月 5日 (金)

立春

立春です。

春がはじまりました。

毎年5月5日子どもの日には、春季大祭が執り行われます。

今日は雑貨コーナーにご出店下さる方と打ち合わせし、

有意義なお話しができました。

当日まであと3か月、

詳しい内容をお伝えできるように、

準備のペースを上げていきたいと思っています。

今年はいろんな方のご協力をいただきながら、

例年以上にたくさんの方に

足を運んでいただけるような企画を組めそうです。

おまつりですので、

子どもさんからご年配の方まで

ゆっくりと楽しんでいただくことができて、

なおかつご縁の交流が生まれるような場にできればと思います。

この土地だからこそできるおまつりにしたい、

ここから発信するからこそ意味があるメッセージを発信したい、

そう考えています。

今は漠然とした言葉でしかお伝えできませんが、

もう少し煮詰めてから、

徐々にお知らせしていきます。

今日は自宅に子どもと一緒にお雛さんも飾りました。

近所の菜の花ばたけも明るい黄色に。

なんでもない一日がの繰り返しのようですが、

春の中に身を置いていることはどうやら疑いようもありません。

これから新年度や新学期、

花見や行楽の話をすることが増えるんでしょうね。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月 4日 (木)

物のいのち

4日間ほど体調がよくない日が続いて、

今朝がたクッキリと「抜けた」って思えて、

今日からはどうやらもう大丈夫です。

あらためてカレンダーに目をやれば、

今日は四季と四季の境目、節分。

偶然かどうか、新しい四季が始まるその前に、

ちょうどうまいことカラダ中の悪いものを整理できたような感じがしています。

 

・・・

 

 

今も昔も、「物はだいじにしなさい」と言います。

それは壊したらもう使えないからだとか、

必要でもないのに消費するのはもったいないから、

だというばかりではないでしょう。

 

植物や動物ではない、道具や石ころなんかにも、

「いのちが宿ってるから」でもあるんじゃないのかな。

エンピツでも座布団でも、

「言葉を言わない物体」をある種いじめるのは、

人としてカッコいいことではないよ、

という教えが込められていたりもするでしょうめ。

物にやさしくするということと、

人にやさしくするということに大いにつながるだろうとも思えます。

 

にんげんが「物」に「いのち」を感じることができるんだな、

と僕は思うんですが、

それは別に特殊なセンスでも変な感覚でもないと思います。

ディズニーのアニメなんかには、

「物」が「いのち」を持って動くやつがいっぱい出てきますしね。

『美女と野獣』ではポットやらカップやらがおしゃべりするし、

 

『トイストーリー』はみんなおもちゃですし。

 

物の中のいのちを感じ取れるのは子どもだけだとも限らない、

と思っています。

 

護摩焚きを行う際に、

天井から束ねた和紙を切ったものを吊り下げています。

わたしどもでは「ごだいさん」と呼んでいます。

下から護摩の火が上がると、

火の勢いに煽られて「ごだいさん」が舞い揺れるんですが、

やっぱりね、「束ねた和紙を切ったもの」というだけのものではないわけです。

物の中のいのちを感じ取れる感性は、

あっても邪魔にならないものだと思うので、

大事にしていきたいものですね。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年2月 2日 (火)

にんじゃ

こどもってなんであんなに「忍者」が好きなんでしょう。

うちのこどもも幼稚園や保育所で仲間たちと

「にんじゃごっこ」を楽しんだりしているようです。

 

外国人の方には「サムライ」と「ニンジャ」へのあこがれを持つ方が

たくさんいらっしゃるそうで、

こどもたちが抱くにんじゃへの親しみと

共通するものがあるような気がします。

 

ただ、

幼稚園や保育所なんかであまり

「さむらい」の方を遊びに取り入れている様子はないですね。

マゲやハカマ、裃、着流しなんかは、

遊びになりにくいのでしょうか。

「きみはおさむらいさん役ね」

「わたしは町娘役ね」

なんていうやりとりも想像しにくいです。

 

その点、「にんじゃ」は遊びになりやすいんでしょう。

まず走ったりジャンプしたり、カラダを動かす。

また、にんじゃの世界にはスリルやサプライズと常に隣り合わせです。

壁のどんでん返しから姿を現したり、

煙を起こして姿を消したり、

丸太を身代わりにしてみたり。

「手裏剣」というカッコいい道具も、

おおっぴらに投げ放題ですし。

 

カラダを動かす、ということと、

スリルやサプライズの世界であることが、

にんじゃがこどもたちの好奇心に

密着できる理由なんじゃないでしょうか。

 

そしてさらに思うのは、

昨日ここで書いたことと関連しますが、

にんじゃが持つ「くらやみ」の部分に

こどもたちが反応してるんじゃないかということです。

夜をじぶんたちの時間にし、

活躍するにんじゃの姿に、

「おそれ」「あこがれ」を抱くという部分もあると思います。

 

「夜の者」だから余計に「かっこいい」と思うんじゃないでしょうか。

それはいつもブームの「ようかい」にも言えることなんでしょうね

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

黒いもの

「黒」という色は、かっこいいとかクールとか、

大人っぽいというイメージを連想させるものだそうです。

一方で、暗い、怖い、孤独、

といった、さみしくて心ぼそい印象も与える色ですね。

 

暗い色なのでパッと明るいイメージがないのは当然でしょうけど、

「黒という役割をしょってるもの」に対して、

過敏に拒絶しすぎるのもどうなのかなあ、

と考えています。

 

「くらやみ」「夜」「陰」といったものは、

植物にとって光合成ができないものですが、

かといってそれら「黒いもの」がなければしっかりと成長できません。

 

 

にんげんは光合成こそしませんけど、

いっつも明るい光の中にだけ身を置いていると、

落ち着きません。

家には適度な明るさが必要ではありますが、

家相では光があまり当たらない場所も大切だとされています。

明るくて、物がよく見えれば安心で心地よいのかというと、

そうでもないんですね。

目や心が「黒いもの」に接する機会は重要なんです。

 

ヨーロッパの人が

「日本の部屋は明るすぎる、照明はあっても影がない」

って言ってたそうです。

昔の明かりは「ローソク」「あんどん」「ちょうちん」などで、

明るさのうしろに影の美しさがあったんだろうと思います。

蛍光灯で隅々まで照らすと、

物を見るのに便利ではあっても、

なんとなく「力わざ」であるような気がしますしね。

 

「黒いもの」は何か大事な役割を担っているのではないかと思っていて、

夜のやみや陰のように敬遠ばかりしなくてもいいのではないかと思うものに、

「黒い動物」の存在もあるんです。

 

その筆頭は「カラス」ですね。

にんげん並みに賢いし、しかも人々の生活環境にしっかりと適応しながら、

ひとの生活のすぐ隣にいつもいる存在。

まさしく「陰」という役割を、

その黒い体で担ってくれているのではないかと思うのです。

 

あと、ごきぶり、ね。

衛星的に見て身近にいることはあまりこのましくない存在なのかもしれませんが、

こいつもにんげんの生活の「陰を担っている」ものだと思うんです。

 

ちょっと怖い存在なんですけど、

じつはリスペクトしなければならないんじゃないかなあ。

 

黒いもの、墨、黒猫、いろいろありまして、

まだ考えが浅い部分も大いにあるので、

機会をあらためてここで書いてみましょう。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

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