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2016年4月の記事

2016年4月28日 (木)

支援物資のこと

5月5日に例大祭があります。
募金箱の設置以外に何かできないかと考えています。

「物資は足りてる」との情報を目にしますが、

それは実情と一致しているんでしょうか。

お祭は8日後で、現地の状況も変化しているかと思います。

お金よりも直接的な支援ができるのであれば、
タイムリーで必要なものを集め、
送ることができればと思います。

被災地の方のお口に直接届いたり、手元に直接届いたり、
すぐに使ってもらえるものです。

5月5日の段階では地震発生から半月以上が経過しており、
現地で必要かつ手に入りにくいものは
食糧や紙製品などではなくなっている可能性も
あるかと思われます。

しかし、東日本大震災の際、20日が経過した際、
報道では物資が充足しているかのように伝えられている一方で、
小さな避難所や個人的に避難されているお宅には届いていなかったともいいます。

東日本とは被害状況が違うかもしれませんが、
20日が経過してもやはり食糧や消耗品などの物資は
必要になりそうなのでしょうか。

現在、熊本市や益城町のホームページでは、
一旦物資の受け入れを中断していると記載されています。

大祭で何らかの物資を集めることができるのであれば、
それらを必要な人に、必要な時に届くようにしたいのです。

送り先や発送の手段なども含め、

情報を整理しながらできることを絞っていきたいです。

 

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月26日 (火)

茶久楽お休み

大祭まであと10日となりました。

おかげさまで今年はいろんな企画が実現することになっており、

準備のため具体的に動き始めています。

 

例年今の時期は特にあわただしいんですが、

今年については始めての試みもいくつかありますし、

よくよく気をつけて準備を進めていかないといけないと感じています。

 

出店や出演などで関わって下さる方もたくさんですので、

ご参拝においでになる人数も例年より増えるかもしれません。

 

駐車場とか案内看板の設置など、

今年の準備はいつも以上にチェック項目が多いように思います。

 

たくさんの方に関わっていただくことが、

境内の記憶として蓄積されていくと思うのです。

染み込んでいく、という感じかもしれません。

 

みなさんそれぞれの想いがあつまって、

この場所はきっと少し成長できるんだと思います。

 

そんな大祭準備のため、

明日は茶久楽もお休みをいただきます。

明後日は定休日ですので、2連休します。

 

関係者一同、体を休めて、頭や心の中を整理して、

ゴールデンウィークと大祭を迎えるための態勢を整えた方がいいとの判断です。

 

 

春ごろから今までを、何だかダーッと駆け抜けてきました。

予定していたこと、突発的なこと、いろいろあって、

あっという間にひと月、ふた月と過ぎていった感じがあります。

 

ここでひとつ深呼吸して、楽しい新緑の季節を迎えたいと思っています。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

○毎週火曜日のお護摩焚き(14時~)は、

 明日も予定通り行っております。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月25日 (月)

山の神さま2

今日は住んでいる地域の行事、

『山の神さま』の日でした。

 

小さなお社のある場所に行くと、

町内の役員さんはじめ、

おやっさん方やおばさんたちがゴザを敷いて集まっていました。

 

儀式としては、

お不動さんの真言をくり返し唱えるというもので、

長い時間はかかりません。

 

前に出て太鼓のすぐ横で唱える先導さんの役に

今年もぼくを指名していただき、

3年続けてのお役目となりました。

 

お天気も回復したし、

和気あいあいとした雰囲気に包まれていて、

いい時間を過ごさせていただきました。

 

自治会全体が坂になってるし、

みんな車での移動が中心ですから、

近くてもなかなか顔を合わしたりしないものです。

 

だからこそ、行事ごとで集まる機会があるというのは、

面倒でもあるけど、やっぱりいいもんだと思います。

 

近い場所にいる人とのつながりを感じられると、

安心できます。

 

地域のみなさんの心がけもあって、

「山の神さま」に集まる人も増えてきているようで、

子どもさんの姿も見られるようになって、

とてもいい感じだなと思います。

 

これからも地域に根付いた行事であり続けてほしいです。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

うちの子もお菓子もらいました。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月24日 (日)

山の神さま

明日は、住んでいる地域の行事があります。

『山の神さま』と言われるおまつりです。

近隣のひとたちが山の神さまのお社の前に集まって、

みんなでお参りします。

 

お参り自体はごく短い時間で終わりますが、

その後で直会(なおらい)があり、

御神酒やおさがりなどをみんなでいただきます。

 

ビールやおつまみも出て、

おやっさんたちの顔は少しずつ赤らんでいくのであります。

 

山の神さまのお社はほんとに小さなもので、

日頃はそこを訪れる人はほとんどいないんじゃないでしょうか。

 

雑木に囲まれた場所にありますから、

そこにお社があること自体を知らない人も、

地域にはたくさんいらっしゃると思います。

 

ぼくも何年か前までは知らなかったんですが、

ある年からは毎年お参りしています。

 

小さなお社の前にゴザを敷いて、

みんなでノボリを立てたり小太鼓を打ったりして、

そんな雰囲気が好きなので、

明日もお参りが楽しみです。

 

準備や片付け、また日頃の予定を調整したりすることは

面倒かもしれないけど、

ずっと昔から受け継がれてきた行事を

守っていかなければという気持ちとか、

みんなでわいわいと集まることの楽しさとかがあるから、

今までも続いてきたし、

これからも続いていってほしいと思います。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

山の神さまをおまつりするところは全国各地にあって、

豊穣をお祈りしたり、

山の恵みに感謝したりする行事として伝えられています。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月23日 (土)

もののけ

その昔、もののけというものはもっと身近にあるものだったそうです。

京都などは、夕刻になると辻々に不思議なものが現れたといいます。

各地に残っている昔話などにも、

たくさんのもののけが登場します。

 

そう大昔ではなく、昭和のころでさえ、

もののけの話しは今よりうんとたくさん、

現実のすぐ隣にあったようです。

 

「電気」の普及と共にいなくなったんだという話を聞いたこともありますし、

現代的な人間生活の広まりにともなって、

もののけの生息する場所も狭まっていったのでしょうか。

 

にんげんの開発によって自然の動植物が減ったように、

もののけもまた人間社会によって生息エリアを失っていったんでしょうかね。

 

電気や機械をたずさえたにんげんに追われたもののけは、

いったいどこへ行ってしまったんでしょう。

消えてしまったのか、狭い場所にひしめいているのか、

違う次元のようなところへ去ってしまったのかな。

 

もののけのことを考えると、

いったいこの地球にもののけはいつからいたのかな、

と素朴な疑問が浮かびました。

 

にんげんの姿形をしたようなものは、

やっぱりにんげんの歴史とともに歩んできたんじゃないでしょうか。

 

動植物に似た姿のものや、

大地そのものに宿るもの、

それらの中にはにんげんの歴史よりもっと古いものがたくさんあるでしょう。

 

いつから地球にもののけはいるんだろう。

ひょっとしたら地球の誕生と同時にもののけの歴史は始まっていたのかもしれない。

目に見えるものの歴史、

それは、目に見えないものの歴史と常に併走していたんじゃないか、

そんなことを考えたいちにちでした。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月22日 (金)

みとよ100年観光会議

『みとよ100年観光会議』のミーティングに出席してきました。

三豊市を元気で楽しい地域にしよう、

たくさんの人が訪れてもらえる地域にしていこう、

そんなチームです。

 

 

自然や食材などたくさんの魅力があるものの、

知名度や利便性が低くって、

観光としての目的地にはなかなかなれていない現状です。

 

だけどメンバーのみんなが経験やアイデア、

情熱や体力といったエネルギーを持ち寄って、

じわじわと前進を始めています。

 

100年後の未来に、

三豊という場所を目指して多くの人が訪れてくれてるかな。

そうなるように、みんなでできることを一つずつやっています。

 

今を生きている人は100年後の姿を見れないでしょう。

現役のメンバーの子どもたちも、難しいかもしれないですね。

その孫たちがお年寄りになっていて、

そのまた次の世代、あるいはさらにその次の世代が現役で…

 

そんな100年後の人たちから今を振り返った時、

今のメンバーの活動について、

『むかしむかしの話やけどな……」

と語られるのかもしれません。

 

今作ってるポスターとか、

議事録とか、あるいはウェブ上の記事とかが、

100年後の人たちにとっての「古い資料」になるんでしょうね。

 

千里の道も一歩から。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月21日 (木)

便利な機械

今日は便利な機械類をたくさん見せていただきました。

機械を目的に合わせてうまく使えば、

効率よく作業できて、体力も消耗しません。

 

女性の社会進出は、

やっぱり力仕事を機械でできるようになったってことが大きのかな、

などと思った……

 

なんていうことを書きかけたんですが、

やめました。

今も昔も、女性だって男性だって活躍しているように思えたからです。

 

「女性が社会進出するようになった」

という言い方ではなくて、

「男女の仕事内容の差が昔に比べて少なくなった」

ということの方がしっくりくるような気がします。

 

これは男性しかできない、

これは女性でないと、

ということが、便利な世の中になって減っていったとは言えそうです。

 

男尊女尊、そんな世の中になればいいと思うし、

どんな社会になっていくのか楽しみではあります。

 

だけどただ、機械やルールに追われて、

せかせか焦ってばかりということにはならないように、

自分たちはお手伝いできるようになれればいいなと思います。

 

便利になっていろんな面で時間を短縮できる分、

体を使わなくてよくなった分、

自然や目に見えないものとのつながりが薄らいでしまうなら、

それは寂しいことだと思うので。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

便利さと仲良く。大地に足をつけながら。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月20日 (水)

お護摩焚き

義援金や物資を送るということが、

今の段階では最も効果的な支援なのかもしれません。

 

それに比べれば、

「無事をお祈りする」ということは、

直接的な力にはならないでしょう。

 

そのことを承知した上で、

今日のお護摩焚きでは九州地方に早く平穏が訪れるようにと

お祈りしました。

 

やっぱりお祈りすることがまず自分たちにできることだし、

するべきことだと思ったからです。

 

お祈りすることは、

食糧や生活必需品の不足という目の前の問題を

何ら解消するものではないかもしれませんが、

ともかくも、

立ち上がる護摩の炎に祈りをこめました。

 

壊れた建物が元に戻るとか、

ケガをされた方があっという間に回復するとか、

奇跡のような出来事が次々に起きることを期待するのではありません。

 

ただただ、被害が拡大されないこと、

効果的に物資が行きわたることなど、

被災された方の不安が少しでもやわらいでいきますよう。

 

それにはやはり、膨大な人の手、人の力、

人の気持ちが必要であり、

しかるべき時間がかかるのだと思います。

 

望むのは突発的な奇跡よりも、

一歩一歩の現実です。

 

そして一日も早く普段通りの日常に戻ることができますように。

 

現地では、避難や救助に先の震災の教訓が活かされている一方で、

交通や物資の過不足などで混乱している部分もあるそうです。

 

情報を整理して、状況を判断して、

できることがあればただちに行動するべきなのでしょう。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月19日 (火)

平常心

ここでもしばしばお伝えしてきたように、

5月5日は大祭が行われます。

気付けばあと2週間ほどに迫っています。

 

年度の変わり目にはちょっとバタバタしてしまいましたが、

これからはゴールデンウィークと大祭に照準を合わせて、

準備を整えていきたいと思います。

 

予期しない問題に見舞われることもそりゃあありますけど、

そんな時こそ平常心。

 

できることをやる、これしかないし、

順調に進んでいることだっていっぱいありますから。

 

大祭については、

今年はいくつかの新しい試みができます。

それもこれも、アイデアや想いを添えて下さる方々がいてくれるからです。

みんなの手で、一緒にいいお祭りにしたいと思います。

 

当日はもちろん一生懸命に行事をこなしていくつもりです。

それだけでなく、たくさんの人と話したいです。

 

お越し下さる方にも、

たくさんの良いご縁があるといいですね。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月18日 (月)

地震のこと

ネットやテレビなどのおかげで、

遠くの出来事についてもリアルタイムで知ることができます。

 

熊本を中心とする九州一帯での地震について、

その影響がひっきりなしに報道されており、

まるですぐ近くで起きていることのように思えもします。

 

 

まだ余震が頻発している中、

ライフラインが分断されたままになっている地域も多く、

予断を許さない状況です。

 

このたびの大型地震に遭われた方々に、

あらためてお見舞い申し上げます。

 

また、現地住民のみなさま、

救助活動、復旧作業にあたられている方々のご無事をお祈りします。

 

このような大変な状況で、

何のお力にもなれない現実にもどかしさを感じずにはいられません。

 

ただただ、これ以上の被害の拡大がないこと、

被災された方々が一日も早く日常に戻られることを、

お祈りするばかりです。

 

そして、せめてお祈りすることが、

自分たちにできることであって、

すべきことだと思っています。

 

被災地から離れた自分たちは、

まず目の前の日常と向き合いながら、

それぞれがその時にできることをするしかありませんから。

 

熊本市ホームページでは、

『地震に関する支援物資の搬送について』

という項目が設けられています。

 

 

「物資を送るという形での支援ができる」という方、

ぜひご覧下さい。

 

 

【必要物資】
長期の避難生活に必要なもの
・飲料水
・アルファー米(断水のため炊飯ができません)

・カップめんなど保存ができる食料品

・ウェットティッシュ
・おしりふき
・生理用品
・紙おむつ(大人用、子ども用)
・トレットペーパー
・粉ミルク
など

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月17日 (日)

九州の地震

日々、ささやかにではありますが、

世の中の平穏無事を願っています。

 

あらゆるものは絶えず変化しているわけで、

その歴史のさきっぽが現在です。

だから、「平穏」で「無事」などというものは

ありえないのかもしれません。

 

形あるものは滅んでいく、

それが世の中のしくみですけど、

できることなら無理なつぶし合いなどはせずに、

限りなく自然のままの姿で共生できるような、

そんな世の中であってほしいと思います。

だから、繁栄よりも、まず平穏無事を願いたいんです。

 

争いや貧困や自然破壊といった、

人が原因となった問題ならば、

また人の手で解消できるのかもしれません。

 

だけど、自然の力は途方もなく大きく、

完全に避けたり防いだりするのは難しいのだと

痛感することがあります。

 

この度も、九州で起きている地震、

そのあまりに大きなエネルギーは、

広い範囲に住む方々の日常的な風景を一変させてしまいました。

 

現地のみなさま、

救助にあたられている方々のご無事を、

また少しでも早く再び平穏な日々が戻ることを、

海を隔てた四国よりお祈りいたします。

 

余震、二次災害にも十分お気をつけ下さい。

 

先の東日本大震災での教訓が活かされ、

人の知恵と力によって、

被害が最小限となりますよう。 

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

人の世はいつどんな時も、

優しくも厳しい自然の懐の中にあります。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月16日 (土)

一日の終わりに

今日は昨日の続きだし、明日は今日の続きだと思っています。

 

だから、「今日を終える時に一度我が身は死んで、

明日目覚めた時に新たな自分になる」

というような言葉がありますけど、

あまりそうは思えないです。

 

眠っていて夢を見ている時間も、

ずっと生まれてからの延長線上だと思いたいです。

 

当たり前の日々の繰り返しは、

同時に毎日が特別です。

 

一日の終わりに、そんなことを思います。

続きを読む "一日の終わりに" »

2016年4月15日 (金)

タイムマシン

もしタイムマシンに乗れるなら、

1000年後とか、1000年前とかに行ってみたい。

 

あまり過去や未来の自分を見たいとは思わないので、

10年や20年の移動はべつにいらないです。

 

1000年後の人はどんな暮らしをしてるんでしょう。

それを予想するのは難しいです。

 

1000年前の平安時代の人が、

2016年の今の人々の暮しを

どこまで想像できていたかを考えると、

今から1000年後を想像することは

かなり難しいように思えます。

 

平安時代の人はやっぱり、

自動で走る車や飛行機、

テレビや冷蔵庫などが

日常に溢れている未来なんて、

これっぽっちも予想できていなかったのかな。

 

たとえ「1000年後はそうなるぞ」という人がいたとしても、

その人がみんなから変人扱いされただけだったかもしれません。

まあ、1000年後どうなっているかなんて、

生活していく上であえて考えなくても

いいのかもしれないですしね。

 

平安時代から見た平成、ということを考えると、

じゃあ平成の今から1000年後を見た時に、

今とは全く違う感覚でみんなが生活していても

決しておかしくはないはずです。

 

もし今から1000年後を予想できる人がいたとして、

その人の話を聞けたとしても、

「変な人が変なことを言ってるぞ」

「そんなバカなことがあるわけない」

と、その人を変人扱いして終わりなのかも。

 

それくらい、今から見た1000年後は

突拍子もない世界になっているかもしれないですね。

 

タイムマシンがあれば、ですが、

その突拍子もない世界、ちょっと見てみたいです。

 

もしその時代の人々の生活を見れたら、どんな印象を受けるだろうか。

 

希望をいっぱいもらえるのか、

はたまた大いに落ち込んでしまうのか……

 

ロマンは楽しいですね。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

1000年後の子孫たちも、

白ご飯と味噌汁を食べているだろうか。

 

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月14日 (木)

亀笠島

今日も◎せとうちフォト◎に乗せましたが、

境内からまっすぐ海の方に向かうと見える島は、

亀笠島(きがさじま)といいます。

 

小さな無人島で、

三豊市のお隣の多度津町ということになるそうです。

 

毎日見ていますし、

ここでもしょっちゅう写真を載せてます。

ホームページでご紹介している以上の枚数を撮っています。

亀笠島のこと、こんなにカメラで撮ってるのは

ぼくが一番なんじゃないかと思います。

 

時には詫間港と一緒に、

時にはズームして向き合ってみたりするうち、

だんだん愛着が湧いてきます。

 

向こうもこっちを見てるんじゃないかという気がしたり。

島の名前にもあるように、

亀の背みたいにも見えるから、

ひとつの生き物のようにも感じられます。

 

「そこにある」というよりも、

「浮かんでる」というか、

「今日も亀笠島はそこにいる」というような、

意思を持っている存在のように思えることがあります。

 

そして親しみを抱くようになると、

ちょっと行ってみたいなとさえ

思うようになってくるもんです。

 

定期便は当然出てませんが、

近所のおじさんは友達の船で渡ったことがあるんですって。

岩場ばっかりだったと言ってました。

あと、岩の上に時計を忘れたんだと言って笑ってました。

 

いつか渡ってみようか。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

瀬戸内国際芸術祭、

春会期はついに行けそうにないなあ。

秋には必ず。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月13日 (水)

古武術

古武術から学べることはたくさんあるように思えます。

 

ぼくは武術なんてからっきしできませんし、

経験も全くありませんが、

ときどき武術家の先生の本を読んだり映像を見たりして、

いろいろと参考にさせていただいています。

一度だけ、身体の使い方の講習も受けてみたことがあります・

 

古武術の視点からすると、

現代のスポーツをはじめ、

今の人の体の使い方には不自然なところが

たくさんあるのだそうです。

 

心や思考は体とつながっています。

 

自然な体の使い方をすることが、

気持ちや考えを変えてくれるかもしれません。

 

古武術の考え方には、

ものごとを広くというか、

自然のままに見られるヒントがいっぱいあります。

体に限らず、気の持ちようや考え方を変えてみたいと思う方、

おすすめしますよ。

 

宮本武蔵の五輪の書とかも、

現代生活に行かせるような考え方いっぱいですもんね。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月12日 (火)

竹は節があるおかげで強く、軽く、

しなやかでいられるんだそうです。

強い風にも折れず、雨の重さにも耐えられます。

 

また、竹は節ごとに成長点を持っているため、

他の植物より早く伸びるんですってね。

他の木々の成長点は、幹や枝にしかないんだそうです。

 

それに、節があるおかげで病原菌の侵入を

はばむことができるのだとも言われてます。

 

竹取物語で「よろずのことに使いけり」と書かれているように、

昔から生活に密着した素材でした。

 

などと、竹のことを一通り調べてみたのは、

最近いろんな方からタケノコをもらって、

おいしくいただいているからに他なりません。

旬のおいしさを楽しませていただいています。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月11日 (月)

仁淀川

今日は高知県仁淀川町にある、

石鎚教高知教会 の大祭が行われました。

 

例年、春と秋との大祭には出席させていただいていますが、

この度は行くことができませんでした。

 

高知教会は豊かな山に囲まれ、

清らかな川のそばにあり、

お集まりの方々もみんなあたたかい人たちばかりで、

行くたびにこころが穏やかになります。

 

秋の大祭はもちろん、

それまでにも機会を設けてお参りしたいと思っています。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月 9日 (土)

自信

自信を持つことは大事なことだと思います。

 

自信過剰はいけませんけど、

自信があると気持ちが落ち着くし、

本来の力が出せるだろうし、

周りの人を惹きつけることができるんだと思うんです。

 

自信がないと批判しがちになる、

という話を聞いたことがあります。

 

そして自分にも、

極端に批判しがちな時期があったように思うので、

 

その理屈がよくわかるつもりです。

 

 

ぼくが何でも批判しがちだったのは、

今住んでいるところに移り住んできて、

人とのつながりが希薄だったということも

大いにあると思います。

 

批判して「自分はわかっている」という顔をすることで、

自信のない部分を埋めていたんです。

 

だけど、友だちと話したり、

近所の人にお世話になったり、

いろんな人と交流するようになると、

批判グセがいくらか和らいでいったように感じます。

 

自分が何か実績を残して

自信になったというわけではありません。

 

周りの人との交わりによって、

自分はここにいてもいいんだな、

大丈夫なんだなと安心できるようになったからです。

 

人とのつながりを実感できるにつれ、

自信がついていきました。

 

あれは違う、これはダメ、

と批判ばかりしていた時よりも色んなことを

幅広く受け止められるようになったと思うし、

伸び伸び行動できるようになったことは間違いありません。

 

もーちろんもちろん、

まだまだ未熟で青臭いところがたっくさんありますので、

精進精進。

自信過剰はいけない。

 

ともあれ、自信って人からももらえるんだと感じています。

だから、できるんなら、ちょっとかもしれないけど、

自分も他の人にあげたいなと思います。

 

甘えやなぐさめなどではなく。

また、自信を奪ったりしないように気をつけていきたいです。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月 8日 (金)

一期一会

まれに秋などにひとつふたつと花の咲くことがあるにしても、

やはり桜は年に一度、春に咲き誇ります。

今まで30と数回の春を経験してきたぼくは、

30と数回の桜の季節を過ごしてきたことになります。

 

さあ寿命はいつまであるのかわかりませんが、

これから桜の季節を迎えるのは多くても50回とか60回とかで、

100回なんてことはまずないでしょう。

 

いつか桜を見られなくなるということを思うと、

やっぱり寂しい気がしますし、

今日の雨によって本格的に花びら落としている様子を見ても、

もっとしっかりと見ておけばよかった、

なんて思ってしまうもんです。

 

その年の春、その年の桜との縁も、

一期一会なのだとしみじみ感じます。

 

また、同じ桜の樹でも、その年の春に誰と見たのか、

何を話しながら眺めていたのかなんて考えると、

桜が一年ごとに刻んでいく年輪の中に、

自分を含めたいろんな人の思い出なんかも

一緒に刻まれているんじゃないかなんて思うのです。

 

嬉しいことも苦しいことも生きてる以上はいろいろあるけれど、

来年もその先も、

何度でもきれいな桜が見たいと思えるということは、

なんだかんだ、おかげさまで幸せな日々を

過ごせているということなのでしょう。

 

明日からもさらに花は散りゆきますけれど、

また来年を楽しみに。

色んなご縁をたいせつにしながら一年を過ごして、

次の春もきれいな花を眺めたいと思います。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

桜はいつも、閉じていた幕を開けて、鮮やかに去っていきます。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月 7日 (木)

スピードアップ

最近、ちょっとあわただしい日常を過ごしています。

 

新年度のはじめということや、

大祭が近いこと、

桜の見ごろを迎えて、

おかげさまでお参りの方や茶久楽のお客様が

たくさんお越し下さることなど、

いろんなことが重なっているからかなと思っています。

 

今日は祖父の十七回忌の法要もあったりと、

日々あれこれしています。

 

いつもよりちょっとずつ、

何もかもをスピードアップさせているような感じがあって、

一日があっという間に過ぎていきます。

 

たくさんの作業をするから充実感があるには違いないんですが、

細かいことを見落としたり、忘れたりしがちなので気をつけたいです。

 

以前何度か書きましたが、

「忙」と「忘」という漢字はどちらも「心を亡くす」と書きますから、

たとえスピードアップしてても

「心を亡くす」にはならないようにしたいものです。

 

ここで書く文章なんかでもそうで、

日常で感じたり見つけたりした何でもない出来事を書きたいのですが、

スピードアップしていると、

こむずかしいことをつい書こうとしがちなのです。

 

急いでいる時などは、

こむずかしいことの方が手軽に書きやすくて、

自然体の速度で感じたり見たりしている何でもないことの方が、

案外書きにくいものですね。

 

スピードアップしている時であっても、

仕事や人との接し方において、

当たり前の何でもない失敗や間違いをしないようにしたいし、

また、日常の何でもない風景を見逃したくはないものです。

 

武術の先生が言ってた、

全力を込めるよりもゆるやかに動く方が難しい、

ということが何となくわかるし、

どんな時も余計な力を入れずにできるだけ自然体でありたいと思います。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月 6日 (水)

人口が減る

この先、日本の人口は減少していくそうです。

戦乱などが起きた時をのぞいて、

過去の日本は人口減少というものを経験したことはなくって、

ずっと右肩上がりに増え続けてきたのだといいます。

 

これから少なくとも数十年の間は

人口が減るという見通しだということですが、

そうなることによって世の中が

大きく変わっていくことになるのでしょう。

 

 

今ではもう男尊女卑という考えがは

なはだしく時代遅れになっていますが、

すこし年代をさかのぼれば

暮らしの中で当たり前にあった概念でした。

 

だけど、富を得るための仕事というものが変わって、

ものをたくさん作ったり、大きなものを動かしたりといった、

体力を必要とする作業の割合が減っています。

 

機械やネットワークが発達したことによって、

女性の社会進出の受け皿が大きくなって。

 

たぶんですけど、

日本という国ができあがり、

それ以来ずっと人口を右肩上がりに

増やし続けてきた歴史においては、

建て前としてでしかないかもしれませんが、

「男性を女性が支える」という形式であり続けていたんでしょう。

 

だけど、「人口が減っていく」これからは、

「女性を男性が支える」というものに

なっていくのかもしれない。

 

生産技術の向上よりも、

サービスの質の向上や、

システムの管理力が重視される世の中になるのかな。

 

そしてそのさらに先には、

アートや趣味嗜好といったものが

さらに生活に密着したものになっているかも、

なんて想像してしまいます。

 

技術の向上を競い合う、

陣取りゲームのような社会が行き止まりになって、

モノ以上に感性を追い求める世の中を、

女性がリードする社会が形作っていくようになるんじゃないか。

 

そんな甘い見通しが現実になるはずない、

と叱られるかもしれませんけど、

なにせ日本が過去に経験したことのないほどの転換期ですから。

 

需要を作るために大きな戦争が起きるより

よっぽどいいんじゃないかと思うし、

勝手に予想してみました。

そういう時代がもう始まっているし、

心の準備も必要だなと思って。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月 5日 (火)

清明

今日は24節気の「清明(せいめい)」です。

草が芽を出し、花が咲き、

鳥が行き交う、清らかで明るい季節です。

 

燕が南から帰ってくるのも、

この清明の時期だそうですよ。

日本では桜が咲いて、

各地でお花見を楽しめますが、

中国では「清明節」の時期にあたり、

日本における盆のように

ご先祖さまをみんなでおまつりします。

 

24節気のことを調べてると、

その時期に行う習俗のことなんかが

いろいろ紹介されてたりしますが、

清明についてはあまり日本の風習について

書かれていないですね。

 

中国の清明節のことと、

沖縄の「清明祭」のことについて、

よく触れられています。

沖縄の方言では「シーミー」と言って、

一族にぎやかにお墓参りするのだそうです。

やはり中国の風習から大きな影響を受けているのでしょうか。

 

 

清明節もシーミーも、

どちらも一年のうちでとても大きな行事なんだそうですが、

ぼくたちの住んでいる地域では、

ちょうど今週、入園、入学式がおこなわれます。

このままお天気が持ってくれれば、

咲き誇る桜に迎えられて晴れやかな行事となるんですけど…

 

“清らかで明るい季節”ですから、

新生活のスタートにはやっぱりふさわしいですね。

 

キラッとピカッと清明からスタート、

やっぱりいいじゃないですか。

「夏至」とか「霜降」とかだと、

「始まり」っていうイメージにそぐわないですよねえ。

 

みなさまの今日が平穏無事でありますように。

 

○明日14時からはお護摩焚きを行います。

 毎週火曜日に行っておりますので、

 ご都合のつく方はぜひお気軽にご参加下さい。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月 4日 (月)

桜満開

境内の桜は、まるではじめから照準を合わせていたかのように、

この土日がちょうど見ごろとなりました。

 

今日は、こどもたちもたくさんお花見に来てくれると

うかがってましたので、

お天気が持ってくれてほんとによかったです。

 

桜の花が満開に咲いて、

そのまわりを駆け回る子供たちの声が響いており。

本格的な春の訪れを体感できる一日だったように思います。

 

こどもたちの賑やかなはしゃぎ声に誘われたように、

今日は鳥たちのさえずりがいちだんと近くに、

また大きく感じられました。

 

境内にはすべり台もブランコもないですけど、

お子さんたちにはぜひ体いっぱい遊んでもらいたいですね。

かけっこや鬼ごっこ、どんどんして下さい。

車には気をつけて、

危ないところや建物の中とかには行かないでね。

 

茶久楽の玄関先にはフラフープが5つあるから、

使ってください。

大人の方もぜひぜひ、健康促進に。

 

草花や虫や動物たちが春になったら目を覚ますように、

にんげんの体も内側で春を知っていて、

感じ取っていて、反応しているんでしょうから、

新しいはじまりの季節を目いっぱい前向きに過ごしたいものです。

 

元気に走り回る子供たちや、

大きくなろうとする草木、

活発に飛びまわる生き物たちの姿を見てると、

なおさらそう思います。

 

年が変わるお正月の時もそうかもしれないけれど、

年度が変わって、

職場や学校といった環境も大きく変わったりする4月にも、

抱負を立てたり目標を立てたりしたっていいのかも。

 

そういえばこの正月、新年の抱負って立てたっけ……

特に立てていないような気がするので、

4月になったことだし、こっそり立ててみようかな。

 

みなさまの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月 3日 (日)

植樹会

ご先祖さまから脈々と遺伝子を受け継いで、

21世紀のわれわれは生きてます。

で、にんげん誰しも寿命を迎えて、

この世を去ることになります。

 

平均寿命は昔にくらべて格段に伸びたといっても、

自然界にはもっと長いいのちを生きるものがたくさんありますね。

にんげんの一生はそういったものたちに比べればとても短いと言えますし、

ましてや「生きたぞ」という証のようなものって、

そうたくさん残せるものではないのかもしれないです。

 

5月15日、日曜日、石鎚神宮にたくさん樹を植える会があります。

それは日本古来の自然林を形成していた、常緑樹です。

植樹会では、1000株ほどの樹の苗が植えられます。

そしてこの地で、

小さいながらも古代日本のような森を形成していくことでしょう。

 

今植えた株は、ぼくたちがこの世を去ってもその場に残り続けます。

後の世代の人びととも一緒に過ごしていくことになるんです。

その森には鳥や虫、小動物が憩うでしょうし、

もしかすると土砂崩れや暴風雨を防いでくれるかもしれません。

 

1000年続く森を、一緒に作りませんか?

その樹々は、きっとぼくたちが「生きたぞ」という証になってくれます。

主催は菅生会(すがおかい)さまで、

植樹にはどなたでもご参加いただけます。

 

樹を植えた後、おいしい手打ちうどんのお接待がありますよ。

ご興味のある方、お気軽にご参加下さい。

特に予約などしなくても大丈夫です。

お問い合わせは、石鎚神宮にメールでどうぞ。

 

植樹会

主催:菅生会(すがおかい)

場所:石鎚神宮駐車場周辺

日時:5月15日

 (9時か10時開始になりそうです。1時間程度の作業のあと、おうどんをどうぞ)

○小さなおこさまから大人まで、どなたでも参加できます。

 

みなさまの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月 2日 (土)

みずみずしい感情

いや、じつは昨日の書き込みは消化不良だったんです。

当たり前のことをわざわざ文章に書くの、

難しいんですね。

くどくど書かずに簡潔にまとめようとして、

とても曖昧なものになってしまったなと反省してます。

 

と言いつつ、

今日も続きみたいな内容を書くことになりそうです。

 

「大人」になるにつれて、

モノやサービスの裏側を見ようとするようになってしまっています。

 

食べものを食べたり、

音楽や映画などを聴いたり観たりした時も、

「それがどうやって出来上がっているのか」

を見てしまうところがあるんです。

 

原価だとか、ギャラだとか、

流行をどう取り入れているかとか、

どんな風に宣伝広告してるのかな、とか。

どうしても現実的な部分を見てしまいます。

 

もしそれらにお金や時間などの対価を支払うなら、

「それに見合う価値があるのかどうか」

という見方を、やっぱりしてしまいます。

 

大人になるということは、

そういうことなのかもしれません。

だけど、ちょっとつまらないような気がします。

もっと純粋に「目の前にあるモノ」

に感動したいなと思うんです。

 

子どもの時はきっと、

外食したり、何かを買ってもらったりした際に、

それが高いかどうかとか、

時間をかけてまでやることなのかどうかとか、

計算してたわけではないですよね。

 

…いや、待てよ。

物心つくくらいから、

「今はこれをもらっていいのかな?」などと、

やっぱり少しずつ周りの雰囲気なんかを

見回すようになっているのかもしれない。

 

だけどやっぱり、

子どもは大人と比べればよっぽど純粋でしょう。

嬉しい時は嬉しい、おいしい時はおいしい、

嫌な時はイヤ、ですよ。

 

「モノや出来事」と「感情」が直結しているんでしょう。

大人はどうしてもその間に「価値」というものを

噛ましてしまうんでしょうね。

 

もっと純粋に、モノや出来事に感動したいなあと最近思うんです。

大人として「価値」を見極めていくことももちろん大事にしながら、

みずみずしい感情も持ち合わせていたいな、と思います。

 

みんながみずみずしくなれば、

世の中がちょっと平和になるような気さえします。

 

今日もまた、やっぱり曖昧な文章に。

わかりやすく、を心がけて、

明日からも更新していきます。

 

みなさまの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年4月 1日 (金)

人を笑うか、ネタを笑うか

お笑い番組について

「人を笑うか、ネタを笑うか」

という言い方をされることがあるんだと知って、

どう違うんだろう?

面白かったらそれでいいじゃないか?

と思ってましたが、

後になってちょっと納得できたような気がします。

 

そして、お笑いだけじゃなく、

人のやることや作ったものって、

けっこう「人がいいのか、ネタがいいのか」

だったりするんじゃないかなと思えました。

 

音楽だって、

楽曲がいい場合もあれば、

演奏者や歌い手がいいから感動することもあります。

 

いい詞でいいメロディーだから感動する場合もあれば、

まずい楽曲だったとしても

表現する人の技やソウルがすごければ

人の心を震わせられるでしょうし。

 

高性能のカメラがあったとして、

そのカメラそのものにも「すごい」と思うでしょうが、

作った人の技術やアイデアに感嘆してしまうこともないでしょうか。

よそには真似できない性能だ、

と思うような時って、

モノよりもむしろ人を褒めているんでしょうね。

 

食べもの屋さんで、

「ここのメシはうまい!」

と褒めている時も、

食べものそのものだけじゃなく、

作った人を褒めているような。

技術とかアイデアとか気配りとかに称賛しているんでしょう。

 

恥ずかしながら、

「人工のものは全て人が作ったものだ」というごく当たり前のことに、

最近になってようやく気が付きました。

 

法律などのルールだってケータイ電話だって、

道路だって畑の野菜だって、

絵画にもテレビ番組にもその向こうには必ず誰か人がいる。

 

年を取るにつれて、

「よくこんなこと考えつくなあ」と、

「人」に感動する事が多くなってきたように思います。

映画を観ても本を読んでも、

「ここでそのセリフ挟むんか!」

「なるほど、わざとその演出で行ったな!」などと。

 

こんなこと、わざわざ書いてすみません。

当たり前のことをわざわざ書くと、

とてもまわりくどい感じになっちゃいますね。

 

さて、明日1日は月並祭です。

午後2時より神事、その後護摩供養を行います。

ご都合のつく方はぜひご参拝下さい。

 

みなさまの今日が平穏無事でありますように。

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