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2016年6月の記事

2016年6月30日 (木)

夏山

石鎚山ロープウェー下の奥之院に行ってきました。

もうすぐお山開きなので、必要な物をお届けに。

 

今年の夏山期間中、ぼくは詫間でいることになっているので、

今日は奥之院でおつとめもしてきました。

と言っても、8日の大祭にはお山に行きます。

 

 

夏のお山は木々が青々としており、

虫や鳥、小さな生き物も元気に動いていて、

山全体に生命力がみなぎっているように感じられます。

 

 

平野部に比べて気温が低い山頂付近は、

この時期が最も過ごしやすい気候であるかもしれません。

登山道の両脇に、膝丈ほどの笹が生い茂る中を、

風が心地よく吹き抜けていきます。

 

お山開き期間中はまだ梅雨が明けておらず、

雨になることもしばしばですが、

それもまた身を清めてくれるように感じられ、

目的地に達した時にはやはり清々しい気持ちになれていることでしょう。

 

古くより、この夏山開きでは多くの方が登拝し、

様々な願いを抱いてお山を目指しました。

健康や商売繁盛を祈願するためにご家族で登られたり、

豊作や大漁を願って村の代表者の方々がお参りされたりと、

参拝の形はさまざまです。

 

これまで、石鎚山信仰は、

世代を越えて大切に受け継がれてきました。

 

そしてこれからも信仰される方々と一緒に守っていき、

伝えていければと思います。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月29日 (水)

今日は週に一度、火曜日のお護摩焚きを行いました。

護摩壇に木を組み、炎を焚いてお祈りします。

 

諸願成就と、世の中の平穏無事の願いを、

燃え盛る炎に重ねていきます。

どなたでもご参加いただけますので、

ご都合のつく折にはどうぞお越し下さい。

 

火は、人間の生活において切ってもきれないものです。

他の動物にはできませんが、

人間は火を統御することができます。

 

火を起こしたり消したり、

大きくしたり小さくしたりして、

日常生活の様々な場面に活かしてきました。

そして火のおかげで生活が便利に、

どんどん快適で楽になりました。

 

だけど火は恩恵を与えてくれる一方で、

時に恐ろしい存在にもなり得ます。

火災となって大事なものを焼くこともあるし、

人の命や財を破壊する戦も

火というものがあることによって規模が大きくなります。

 

陰陽五行では「木火土金水」の5つの要素が

あらゆるものにおいて影響し合っていると考えますが、

特に現代の人間の暮しの中では「火」の存在が大きいというか、

ちょっと特殊な位置にあるような気がします。

あと、「金」の存在も重いものになっているんじゃないかなあ。

 

話をお護摩焚きに戻せば、

祈願のために主に用いるのは木でも土でも金でも水でもなく、

「火」なんです。

 

便利さと破壊という両面を持つ「火」によって、

祈願するお護摩焚き。

お祈りすることによって、みなさんの心が整えられ、

願いが成就するよう、

この激しい力を持つ火に真っ直ぐ向き合っていきたいと思います。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月28日 (火)

ピダハン

南米のアマゾン川流域に、

「ピダハン」という少数民族が住んでいます。

ピダハンの人々は、

近代化を全面的に拒むでもなく、

かといって科学技術を積極的に取り入れるでもありません。

 

自分たちの昔からの生き方をずっと軸に置きつつ、

ナイフや衣服といった道具を、

あくまで一族の生活スタイルを助ける道具としてのみ取り入れています。

 

ジャングルで猟をし、

昼も夜も問わない不規則な生活をし、

とても曖昧な言語を使いながらコミュニケーションを取る部族で、

現代社会の中では特異なライフスタイルだと言わざるを得ないでしょう。

 

ですが、その人たちはとても鋭い感性を持っているし、

また技術旺盛の世の中で人々が抱えているようなストレスの抱え方を、

彼らはしてはいないそうなんです。

 

近代的な生活をしている外界の人々を見て、

「なぜそんなに窮屈そうに、

自らを追い詰めるような生き方をするのか」と、

理解しようとしなかったり、

時にはあざ笑ったりもしているようです。

 

と、そんなことが何年か前に読んだ「ピダハン」という本に

書かれていました。

けっこう分厚いものでしたが、

興味深かったのでどんどん読み進めてしまいました。

 

彼らもぼくたちも同じ人間ですが、

その生活や価値観を知るうち、

常識や風潮といったものを根本的に疑わなければならないんだな、

と感じました。

幸せのかたちや死生観について、

じっくりと考えさせられます。

ご興味がおありの方、ぜひ読んでみて下さい。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月27日 (月)

家相

人それぞれが顔かたち、 性格などが違うように、

地球のどの場所を切り取っても「全く同じ」というものはないはずです。

 

当方では家相も観させていただきますが、

その土地その土地で個性はどこか違います。

建設地が、そしてその周りがどんな様子なのかによって、

では入口をどちらに向けた方がいいだとか、

寝室やお風呂はどう配置すればいい、

といったことが見えてきます。

 

もちろん、その地形だけでなく、

建物を建てたい人の想いを重ねて、

人と土地との衝突がなく、

いい関係性を結べるような間取りを提案していきます。

 

何といったって人も自然の一部ですから、

そこでの生活やお仕事などの活動を日々続けていくうち、

周りの自然物からの影響を受けることになります。

 

日差し、水の流れ、山や木々などの存在を、

体や心は無意識のうちに感じ取っているんです。

 

本能で動いている虫や動植物。

当たり前のようにエサを見つけ、

地図も見ずに大陸を渡り、

天災を予知し、

日差しを感知します。

まだ科学ではわからない何かを感じ取っているかもしれません。

 

 

人間も動物の一種であって、

身の周りの自然から何かを感じ取り、

意思決定する力を備えてはいるはずなんです。

 

それを日常的に使えているのかどうかは別として、

とにかく人もまた、自然、周囲の環境からの影響を

絶えず受け続けているのだと言えるでしょう。

 

家相を観させていただく時には、

人と土地とができるだけ穏やかに結びつけるようにという気持ちで、

お話をおうかがいしていきます。

 

 

建築時期や、予定地の家相のことでお悩みの方は、

ぜひお気軽にご一報ください。

 

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月26日 (日)

漱石さんの1000円

夏目漱石さんの1000円札を、昨日手にいれました。

野口さんになる前の1000円札です。

 

以前もそうしてたんですが、

また財布の中で特別扱いにして、

いざという時まで使わないでおこうと思ってます。

 

漱石先生が好きなので、

お守り代わりと言ったらおかしいかもしれないけど、

「ここぞ」という時の切り札として、

いつも財布の中にあってほしいと思うんです。

 

ふつうのお札入れとは別のスペースに、

小さく折って入れています。

さてさて、いつこれを使う時が来るでしょうか。

 

前回も同じようにしていて、

何年か漱石さんのお札を財布にひそませていたはずですけど、

最終的には使ってしまうことになりました。

 

それがまた、「特別な場面」というほどでもなくて、

あっけない終わり方だったのを覚えています。

 

昔ながらのお店で買い物をして、

おじいさんが応対してくれました。

ぼくは多分、一万円札で払って、

お釣りをもらおうとしていたんです。

 

だけど、お店の方にお釣りの千円札がないらしく、

おじいさんが「困った、困った」となったわけです。

 

その場面、ぼくがあと1000円札を一枚持っていれば、

お釣りなく清算できるというものでした。

 

財布の中の野口さんの1000円だけでは足りなかったのですが、

漱石さんの1000円を一枚足せば、

おじいさんを悩ませなくて済むことになります。

 

それで、漱石さんの1000円は財布の中からなくなってしまいましたとさ。

ぼくはちゃんと支払い分以上のお金を準備してましたから、

ピンチでも何でもなかったんですが、

「いざ」という時のために取っていたお守り代わりの漱石さんは、

いなくなってしまいました。

 

まあ、そんなもんなんでしょうね。

さて今回はどんな結末が待っているのか…。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月25日 (土)

実体験志向

いいことなのか悪いことなのかわかりませんが、

なるべく何かを否定しないようにと心がけています。

 

それは間違っている、それはダメに決まっている、

ということを、思ったり言ったりしないようにしているつもりです。

 

もちろん、自分が経験として知っていることや、

知識として持っていることがあって、

自信を持って「違うよ」と言える時には言いますが、

そんな場面はあまり多くありません。

 

未来のことはまだわからないし、

人の思考や感情もまた自分にはわからないです。

 

わからないことを、「違う」「ダメだ」とは言い切れないので、

できるだけ、じゃあやってみたら、

そうかもしれないな、というスタンスを取ります。

 

基本的に、やってみないとわからない 、

と考えるタチです。

 

自分もまた、どちらかと言えば、

思いついたことをすぐやってしまいます。

 

前に進みだしたら、

「やる」ありきでしか考えなくなってしまいます。

 

ただ具合の悪いことに、

それが良い結果を招くことは必ずしも多くありません。

 

やってみたけどやっぱり違うな、

と思って、本格的に事が始まる直前でストップをかけたりもします。

 

そのせいで周りの人たちに迷惑をかけたり、

こないだと言ってることが違うぞと思われることも多いかもしれません。

 

あまり計画的に物事を進められなくて、

やってみるけどやっぱりやめた、

ということをしばしば挟むため、

いつも回り道ばかりしているような気がします。

 

だけど、このクセはなかなか治らないかもしれないと思えていて、

またさらに顕著になっていきそうな予感もあります。

 

だって、やってみないとわからないじゃないか、

という実体験志向でもあり、

また、だって自分は知らないんだから、

という謙虚さのつもりでもあります。

 

だけど、みなさんの足を引っ張らないように、

気をつけていきたいとも思ってます。

 

反省することいろいろです。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月24日 (金)

夏の前

梅雨ですね。

ほんとによく降ります。

かと思えば日差しが出て、蒸し蒸しと暑くなります。

 

汗ばんでベタベタするし、

洗濯物は乾かないし

快適な季節だとは言えないでしょう。

薄暗い室内で聞く雨音は心地よいものですが、

連日となると不便を感じるところが多いものです。

 

だけど、ここを越えると夏がやってくる、

ということを知っているんです。

 

空の青が濃くて、育った稲が背比べして、

せわしくセミが鳴いて……

開放的な夏という季節が、すぐ隣に来ていることを知っています。

 

暑いけど、体も心も内側から外に向けて何かを放って、

熱気にぶつけていこうとするような。

 

短い夏という季節、

その時しか楽しめない、味わえないものごとがいっぱいありますもんね。

熱中症には気をつけつつ、

夏を真っ直ぐに受け止めたいと思います。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月23日 (木)

ズケズケと

人さまのやることについて、

ついよく見えているような気になって、

時にはあれこれと勝手な意見を述べてしまいます。

 

実際にその真っ只中にいる人に、

外からは見えない相当な苦労があるかもしれないのに、

まったく無責任なものです。

 

できるだけそういったことをしてしまわないように、

とは思っているのですが、

時々言い過ぎてしまったり、

余計な皮肉っぽい言葉を使ってしまったりします。

気をつけたいところです。

 

では自分自身のことはしっかり見えているのかというと、

全然そんなことはありませんから、

なおさら人さまのことをとやかく言えたものではありません。

 

もちろん、意見を求められたり、

ここは言わなきゃという場面であれば、

ありのままを言葉にしていかなければなりませんけど、

余計なおせっかいをズケズケとするもんではないなと思います。

 

言葉を使ってお話するのが得意なわけではありませんから、

誤解を招くような表現もよくしてしまっていそうだし、

注意していきたいと思ってます。

 

どんな人に対しても、

敬意を持って接していけるようになりたいです。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月22日 (水)

今日は毎週火曜日のお護摩焚きを行いました。

たびたび書いているように、

どんなお願いごとでもお寄せいただいて結構です。

 

石鎚山の神さま仏さまは、

古くから「諸願成就」をもたらしてくれると言われていますので、

思いのままに祈願なさって下さい。

 

もし言葉や文字に表し切れないような

漠然としたお願いごとであったとしても、

どうぞご参拝下さいね。

 

心を鎮めてお護摩の火に向き合うことで、

ご自身の内面にある何かが見えてくるかもしれません。

 

どこに向かって進んでいくべきなのか、

その道のりがぼんやりとでも浮かんでくるかもしれませんし。

 

ヒラメキや気づき、思いつきといったものは、

必ずしも順序立てて、理論通りに起きることではないはずです。

 

「何となく気持ちがスッキリした」、そんな感覚が、

次の大きな一歩につながったりもするものだと思います。

 

いつもながらボンヤリとした話でお伝えしにくいんですが、

形式も大事だけど、

まず何よりも「ご自身の気持ち」が大切だと思いますので、

お参りの際にはできる限り心を軽くして、

ご自身の内側にある「芯」の部分にじっくり向き合ってみて下さい。

 

みなさんそれぞれが、

日常生活の中でそれぞれの役割を担っています。

 

普段、その役割を全うするために、

いくらかは演じてみたり、意地を張ってみたり、

自分で自分を言い聞かせたり、

抑え込んだりしてしまうことがあるかもしれません。

 

だけど、お祈りされている時には、

ぜひ何もかもから解放されてみて下さい。

 

肩書や責任といったものから、

一時的にでも思い切って一旦離れてみれば、

ご自身の「芯」になっているものが見えてくるのではないかと思います。

 

難しくではなく、頑張るではなく、

その反対で、シンプルに、軽く。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月21日 (火)

夏至

明日は、夏至(げし)ですね。

北半球では、一年間でお昼が最も長く、

夜が最も短くなる日です。

 

夏至の日にまつわる風習は、

国内外でいろんなものがあるそうですね。

 

関西地方では、タコを食べるそうです。

「稲の根が、タコの足のように広がるように」

という願いが込められます。

 

また尾張の方では「いちじく田楽」を食べるということです。

焼いたいちじくに味噌を乗せていただくものだそうですが、

どんな味がするんだろう。

 

由来はわからないそうですが、

体調を崩しやすいこの時期を乗り越えるための、

おまじないのような意味もあったのかも、

などと勝手に想像しています。

 

なんにせよ、お日さまが出ている時間が最も長いのがこの時期です。

「秋の夜長」というものがありますが、

梅雨の昼長ともいえそうですね。

 

長い昼の時間をいつも以上に上手に使えるよう、

工夫してみるといいかもしれません。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月20日 (月)

ふるさと寄席

昨日、詫間町にあるマリンウェーブで、

「桂こけ枝 ふるさと寄席」が行われました。

 

桂こけ枝さんは、地元三豊市出身の上方落語家さんで、

大阪を始め全国各地で活動するかたわら、

FM香川のパーソナリティーやテレビ出演、

イベント出演などで県内でもおなじみの方。

 

この日は、

700席以上ある大きなホールにいっぱいのお客さんが

お座りになっていたそうです。

行きたかったけど、ぼくは留守番でした。

 

盛況だったため、

「また来年も」「定期開催を」

との声もあるそう。

ぜひ今後も地元での寄席が開催されればいいなと思います。

 

楽しい落語で、地域を明るく元気にしていただければ嬉しいですね。

 

次の機会にも、ぜひみなさん会場まで足をお運びください。

ぼくも次回は行きたいなあ。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月19日 (日)

古い登山道

もうすぐ石鎚山の夏山開きです。

毎年7月1日から10日までがその期間で、

一年で一番お山が賑やかになります。

 

現在、石鎚山への登拝の主な経路は、

ロープウェーから山頂というルート、

そして土小屋から山頂へというルート、

の二通りだと言えるでしょう。

 

この二つのルートは登山道もしっかりと整備されており、

とても歩きやすくなっています。

 

しかし、石鎚山登山には他にもいくつかのルートがあります。

それらは利用者も少なく、

登山の難易度も高くなりますが、

人の手があまり入っていないお山の原風景に触れやすいと言えます。

 

また、古い時代の登拝ルートでは、

三十六王子社が岩の間や洞穴に設けられていたり、

天柱石と呼ばれる高さ30メートルにも及ぶ巨石が見られたりと、

主要ルートとはまた違う自然の深さを体感できます。

 

所要時間も長くなり、

道も険しいためある程度の体力は必要となりますが、

もし機会があればぜひ古い登山道の方にも挑戦してみて下さい。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月18日 (土)

海水浴

ここ三豊市詫間町にはいくつか海水浴場がありましたが、

閉鎖されてしまいました。

 

ひと昔前には渋滞ができるほどに盛況だったそうですけど、

近年は寂しくなっていく一方だったようです。

 

この付近だけに限らず、

海水浴に出かける人は年々減っているそうですね。

 

遊園地とかショッピングモールなどの人気に押され、

海に出かける人が少なくなっているらしいです。

 

また、シャワーや駐車場や休憩場所といった設備、

食べ物や飲み物の価格などについて、

お客さんの方が満足できなくなっていることも理由の一つなんですって。

 

三豊市の中でも詫間町や仁尾町などは

キレイな海や浜がある地域ですが、

問題点があるのならどうにか改善してもらって、

シーズンには海を目指して遊びに来る人が

増えるようになってくれればいいのに、

などと勝手に思っています。

 

せっかくキレイで穏やかな海や砂浜という天然の遊び場があるのだし、

多くの人に利用してもらいたいです。

海が賑やかだと、なんだか街も活気づくようにも思います。

 

先日、瀬戸内DAYOUT2016という

ステキなアウトドアイベントも行われたわけだし、

もっと三豊の海が注目されて、

愛されるようになっても不思議じゃないなと感じるのです。

 

受け容れる態勢をいかに整えるかで、

楽しい観光資源になるのではないかな、なんて思います。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月17日 (金)

目に見えないもの

あんまりこういうことを書きすぎない方がいいのかもしれませんけど、

目に見えないものをみんなでもっと身近に、

もっと大切にできるようになればいいなと思っています。

 

世の中は、理屈では割り切れないところがたくさんあると思うんですけど、

文明というものが進んでいろいろと便利になると、

理屈でどうにかなってしまうことがたくさん出てきます。

 

「理屈で割り切れるもの」を追いかけ過ぎると、

いつしか人間までも機械のようになってしまうんじゃないか……

大げさかもしれませんが、そんなことを心配したりもしてしまいます。

もちろん、自分も含めてです。

 

今、漠然と思っているのは、

「理屈で割り切れないもの」に触れたり、

それを大事だと思ってもらえるような機会を作れないものか、

ということです。

 

たとえば、「しがらみ」。

面倒くさいですよね。非生産的で。

 

面倒くさいんだけど、

「付き合いだからね」なんていいながら交流しているうちに、

困った時の助け合いができるような関係が築けるんじゃないか。

 

たとえばですが、おまつりに多くの人に関わってもらうことで、

「良いしがらみ」ができるのかも、なんて思いもします。

人間関係が希薄になりつつある中、

少しでも周りの人の体温を感じられるような場を設けられればな、

などと思います。

 

また、直感とか、感性とか、「体が覚えてる」みたいな感覚とかを、

もっと大事に思ってもらえるような機会を作りたいです。

それは行事ごとかもしれないし、

その他の方法で作れるものなのかもしれません。

 

「虫の知らせ」とかはとても大事な本能だと思うし、

勝負や作品制作の際なんかに「無心になる」とか、

「気合いを入れる」なんてところも、

できるとできないとで結果が大きく違うと思います。

 

まだ具体的にはわかりませんけど、

機械的になりがちな日々の中で、

周りの人との心の交流とか、

自分の中の「本能」「野性」といったものとかと、

向き合ってもらえるようになりたいです。

 

 

それが、人生の豊かさというものにつながっていくのではないかと

勝手に考えています。

 

独善的な考えかもしれないから、もう少し熟させていきたいけど、

今日のところは思ったことをそのままに書いてみました。

 

ぼんやりとしていて、なかなかお伝えしにくいところです。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月16日 (木)

おやすみ

今日は一日お休みをいただきました。

 

DVDを観たり、観ながらうたた寝したり、

終始脱力して一日を過ごさせていただきました。

 

先日、体調を崩してしまった名残もあって、

今日は一日何もしないぞ、

と心に決めていました。

 

とは言え、掃除したり、

何軒か電話したり、地元の寄合に顔を出したりはしたものの、

リラックスした時間を過ごすことができ、

体も心も軽くなったように思います。

 

やりたいことは色々あるし、

考えたいこともこれまた色々あるんですが、

時には立ち止まって心身を整えることも必要なのだと思います。

 

今日はおかげさまで、

日頃とは違う視点で物事を見たり考えたりできたような気もするし、

明日以降にいい方向に活かしていければと思っています。

 

安定しないお天気が続きますが、

どうかみなさまもつつがない毎日をお過ごしください。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月15日 (水)

お山開き

あと半月で夏山開きです。

石鎚山に、四国だけでなく、関西、中国、

九州地方からもお参りの方々がいらっしゃいます。

 

今では山道が整備され、

誰でも気軽に登ることができるようになっていますが、

昔はとても険しい山道を通って山頂へ向かったのでしょう。

 

今のように年間を通じてたくさんの人々が登るようになるもっと前、

行者さんたちの修験の山だった頃などは、

ふもとからいったいどのようにして山頂までたどり着いたのだろうかと、

想像するだけでとても真似できないなと思ってしまいます。

 

鎖で有名な石鎚山ですが、

元々は鎖もかけられておらず、

突き出た岩を頼りに命がけで急斜面を這い登っていったのでしょう。

 

ケータイや無線などもちろんないし、

地図だって見ていたかどうか。

 

今とは比べものにならないほどの、

かなり危険な道中だったに違いありません。

 

おそらく、ほぼ身ひとつで山頂までの道に挑んだであろう先人たちに、

敬意を表さずにはいられないです。

気の持ち方、胆力、覚悟、といったものは、

すさまじいものであったでしょう。

 

そんな先人たちが切り拓いてくれ、

後の人たちが少しずつ手を加え、

整えてくれた登山道を、

ぼくたちは安全に歩くことができています。

それはとてもありがたいことです。

 

夏山に登られる際には、

くれぐれもケガのないようお気を付け下さい。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月14日 (火)

ねこ

少し前から野良猫が境内をウロウロしてました。

何匹かいるんですが、そのうちの一匹は、

ちょっと動きの遅いやつでした。

 

やせ気味だし、あんまり身体が元気では

ないんだろうなと思ってました。

先日、こちらが坂道を歩いてると、

その先の方にそいつが歩いていく姿が見えたんです。

 

ぼくはたまたま娘と一緒だったもんだから、

ちょっと呼んでみ、と言って、

「ねこー」と呼んでもらいました。

 

そいつは声にはきがついてこちらをチラッと振り返りましたが、

別に歩みを早めるでもなく、

それまでと変わらず坂道の上の方に行ってしまいました。

 

そんなことがあってから1週間ほど経っていたでしょうか、

朝、廃棄用に置いてあったの段ボールの中に、

猫のなきがらがありました。

 

確かめ切れないけど、

たぶんそいつが自分で入ったんじゃないかと思っています。

 

死に場所をここに選んだのも何かの縁だと思って、

山に埋めてあげました。

 

3年くらい前にも、

境内を最期の場所に選んだ猫を埋めてあげたことがあって、

そのちょっと近くに穴を掘って、

なきがらを入れて、土をかぶせました。

 

そこらへんで野垂れて、

鳥なんかにつつかれるより少しはいいのかもしれません。

 

そいつが何を思って最期に来てくれたのか、

たまたま偶然なのかわかりませんが、

もし何か思ってここを選んでくれたのならば、

ヘンかもしれないけど、

少し嬉しく誇らしい気持ちです。

 

「ねこー」と呼んだだけの関係かもしれないし、

前に「おい、どこ行くねんー」と声をかけたのも

ひょっとするとそいつかもしれない。

別に食べものをあげたわけではありません。

 

そのちょっとしたやりとりで選んでくれたんなら、

そいつは何かを感じたり、思ったりしてくれたのかもしれません。

それも、確かめようのないことです。

 

だけど、言葉を言わない者、

動かないもの、または姿形のないものとも、

やり取りできると信じてはいます。

 

だってわれわれの体や心の中にも、

それらとつながるものがありますから。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月13日 (月)

「ここだけのヒミツ。」

個人でも、情報発信が手軽にできるようになりました。

ぼくにしても、そのおかげでいいお店を知ったり、

興味深いニュースとか、

ものすごい風景など知ることができたりしています。

 

受け取る側も恩恵を受けられるし、

情報発信によってお店や企業や

地域が盛り上がれるのも嬉しいことです。

 

びっしりと広がる情報の海を、

みんなが自由に行き来できます。

だから、「いい」とされるものはどんどん広く知られていきます。

 

そんなかたわらで、

「ここだけのヒミツ。」というやつも、

きっとまだまだあるんだと信じていたいです。

 

限られた人たちだけに愛されてたり、

大事にされてたりする、

お店とか景色とか財産とか。

 

これってすごいんですよ!

と注目されてしまうと、

いっぺんに多くの人が殺到してしまうので、

「ここだけのヒミツ。」にされているようなもの。

 

その場所にいついつ行けば、

その時だけ誰も見たことがない絶景が見られる、とか。

 

観光客さんたちがたくさん来ると落ち着かないから、

ということで常連さんたちに守られている名店とか。

 

素晴らしいものは必ず世間に広く知られるべきだ、

とは限らないでしょうから、

どうか「ここだけのヒミツ。」は

これからもヒミツであり続けていてほしいななどと、

勝手に思ったりしています。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月12日 (日)

瀬戸内DAYOUT2016

三豊市の仁尾町に「蔦島(つたじま)」という島があります。

無人島です。

港から渡船で5分。

 

そのつた島を借り切って行われるイベント、

『瀬戸内DAYOUT2016』が、

今日と明日行われます。

 

島を囲む瀬戸内の穏やかな海、

きれいな砂浜、そして豊かな緑を、

体いっぱいに体感できるイベントです。

 

カヤックなどのウォータースポーツ、

浜辺でのヨガや、

ランニング、木登り、

とにかくいろんなアクティビティが揃っています。

 

また、体を動かすだけではなくて、

自然の中で作ったり学んだりできるワークショップも充実。

 

さらにさらに、

三豊のおいしいものを無人島で楽しむこともできるんです。

当日限定のマルシェが出ており、

三豊の食材を活かした

メニューもたくさん用意されています。

 

内容がたくさんすぎてとても書ききれないので、

詳しくは公式ホームページでもご覧下さいね。

 

ぼくは残念ながら両日とも参加できませんが、

初日の様子が早速あちこちで紹介されていて、

とても楽しそうな雰囲気を感じることができました。

 

三豊には優しい自然がいっぱいあると思いますから、

これからもこんなイベントが

どんどん行われるようになればいいのになあと思っています。

 

『瀬戸内DAYOUT2016』は明日も開催されています。

ぜひぜひ足をお運びください。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月11日 (土)

フィクション

昨日の「人を運ぶドローン」の話ですが、

もうすでに「それはタケコプターじゃないか」

という語り方もされてるんですね。

 

新しい便利な技術を、

どうやら人は拒み続けることはできないのでしょうから、

いつかはみんなが個人的に空を飛ぶという

日が来るんじゃないでしょうか。

 

カメラだって「魂が抜ける」と言ってたのに、

今やみんながポケットに。

車も飛行機も、きちんとルールを作って、

みんなが乗れるようになりましたし。

 

きっといつかみんなは空を通って仕事に行き、

デートをし、買い物や旅行をするようになるんだと思います。

 

そして宇宙にもいくし、

研究とかだけの目的じゃなくて、

そこで定住する人が出てくるかもしれない。

 

宇宙で人口が増えて、

何世代か経った時、

地球で住みつづける人々との価値観の違いから、

侵略だとか解放だとか、

争いだって起きるかもしれない。

 

そこまでいくにはかなり時間がかかりそうですが、

現実に起こり得ることだと十分思えてしまいます。

 

それはもう、いわゆるマンガの世界。

もしくは小説や映画の世界であるかもしれません。

 

ですが、フィクションが未来に現実となるのかもしれないです。

 

マンガや小説などはやはり感性のものだから、

知らずのうちに予言性が潜んでいるものなのかもしれない、

とまで思えますね。

 

現代の人が、昔の壁画などを見るように、

未来の人はマンガや映画を見て、

「昔の人はすでに予知してた」なんて言うのかな。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月10日 (金)

ドローン

ちょっと気になったので、

「人を運ぶドローン」のことを調べてみました。

何だか、既に開発されているんですってね。

 

やがてドローンがカメラや軽い荷物だけではなく、

人を運ぶ日もが訪れるんでしょう。

 

危険性やプライバシーなど様々な問題があろうかと思いますが、

もうその雛形ができているんだし、

その流れは止められないのかもしれないですね。

 

出勤するにも、離島へレジャーに行くにも、

コンビニやスーパーに行くのだって、

ドローンに乗って空から、という時代が来そうです。

しかも、意外とすぐに。

 

そうなると電気自動車どころではないですね。

電車や船の存在価値も下がるかもしれない。

 

今の乗用車のように、

「ひとりに一台、乗用ドローン」

という時代になれば、

空がずいぶん賑やかになりそうです。

 

今はちょっとしたヘリコプターみたいな感じですが、

そのうちどんどんスマート化されて、

携帯可能、軽量化されて。

 

仕事を終えてカバンからシュッと取り出して、

「お疲れさまー」と帰宅する、

という風景が十分想像できます。

 

もうそれは、どらえもんのタケコプター以外の何物でもないと思うのであります。

21世紀は、タケコプターをみんなが当たり前に所有する時代になると、

作者さんは予見していたのかどうか…

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

もしくは、デビルマンのようにバッと羽根が飛び出る、

背中に背負うタイプ。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月 9日 (木)

時々、変な発熱があります。

カーッと高熱が出て、その後下がります。

今回もそれです。

 

まだ万全ではないので、早く寝ることにします。

日頃の体調管理の甘さでしょうねー。

 

「2016年から毎日更新中」という文言をページのトップに掲げていましたが、

ちょっと外しておきましょうね。

書けない時の対策が万全じゃなかったなあ。

反省しております。

 

ではでは、梅雨の時候、みなさまにおかれましても、

お身体にはじゅうぶんお気を付け下さいませ。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月 8日 (水)

おやすみ2

ちょっと体調を崩してしまいました。

 

今日も休養させていただきます。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月 7日 (火)

呼吸

呼吸というのは大切だと思います。

吸ってばっかり、吐いてばっかりだとしんどくなってしまいます。

 

吐いたら吸うという行為は、

「充電」とか、「現在地の確認」とかに

置き換えることができそうです。

 

日々をあわただしく駆け足で過ごしてると、

どっかで息切れしてしまいます。

 

せっかくそれまでの道のりで手にしたものが、

息切れしたことで離れていってしまうかもしれません。

 

「物事がうまく進んでいる時こそ、

足元を確認しなさい」という話を、最近よく聞きます。

 

「好事魔多し」というやつかもしれません。

 

調子にのってスピードを出してると、

なんでもない落とし穴に気付かずにはまってしまう。

 

そうならないように気をつけたい、

と頭では思っていても、

その判断は難しかったり。

 

当事者は、一度ついちまった勢いを、

なかなか自分で制御できなかったりして。

 

そういうもんだからこそバブルがはじけたり、

人間が自分で世の中を住みにくく

してたりするのかもしれませんが、

そこまで大きな規模で考えなくても、

自分の進み加減はコントロールしていかないといけないんだと思います。

 

今日は、ちょっと充電する日にしようかな。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

 

2016年6月 6日 (月)

週刊みとよほんまモンRadio!さんのブログで

週刊みとよほんまモンRadio!さんのブログで、

茶久楽とお護摩焚きのことを紹介して下さいました。

 

キレイな写真つきで、

細かい部分まで丁寧にお伝えいただいています。

 

火曜日のお護摩焚きについては、

このページやFacebookでお知らせする以外には、

特別に宣伝等をしていません。

 

自然なご縁のつながりで、

来ていただける人がたくさんになったらいいなと思っているので、

やみくもに広めるつもりはなかったからなのですが、

こうしてご紹介いただけることはとても嬉しいです。

 

「ほんまモン」さんのブログでも書いていただいているように、

気張らずにお参りにきていただきたいという思いがあって、

火曜日のお護摩焚きを始めました。

 

「いつでもやってるし」という気軽さで受け止めてもらえればと思うし、

30分あれば参加できますから、

「ちょっとお参りに行っとこう」という感じで来ていただいて

ぜんぜん構わないんです。

 

むしろ、「祈願したいことがあるけど、入りにくくて」と遠慮なさって、

お越しになってもらえないことの方が、もったいないと思います。

 

余計な敷居があるのなら、できる限り取り払いたいと思います。

もちろん、お祈りされる際には純粋な気持ちでご参加いただきたいですが、

それさえあればどんな方でも来ていただいていいはずだと思っています。

 

神さま仏さまにお願いするのに、

肩書きも、知識も、特別な経験もいらないはずなんです。

 

毎週やってますので、ご都合のつく時にいつでもいらして下さい。

終わった後は、茶久楽でお茶をご用意しています。

瀬戸内海の景色を見ながら、

どうぞゆっくりお過ごし下さいね。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月 5日 (日)

+おいのり。

手帳に思いついたことをメモします。

 

書いたことすら忘れてることもたくさんあるし、

長いこと頭の中でぐるぐるしているようなこともよくあります。

 

今日、このページを更新するにあたって、

特に何を書こうか思いつかなかったので、

何かいいキーワードがないかとその手帳を気まぐれにめくってみました。

 

そういうことは、ちょいちょいあります。

 

2月の終わりごろに、

「衣・食・住+おいのり。」

とだけ書いてありました。

 

人間の暮しに欠かせない衣食住。

だけど、それさえ揃っていれば全てが満たされているのかと言えば、

そうでもないような気がします。

 

また、衣食住を揃えて、

そしてそれらを維持していくのは大変なことです。

毎日毎日、衣食住を維持していくためにも、

おいのりしたくなるようなことがあるんじゃないか、

そんなことを思って、走り書きしたのでしょう。

 

衣食住のすぐ隣にあるもの、

あるいは衣食住を囲むもの、

包み込むもの、

そんなイメージが、書いた当時にあったように思います。

 

衣食住。

当たり前の毎日を穏やかな気持ちで過ごしていただけるように、

心地よく「おいのり」をしてもらえる場所でありたいと思います。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月 4日 (土)

スイッチ

考えてみれば、

朝から晩までじつに様々な「スイッチ」を

入れたり切ったりしているような気がします。

 

起きて、目覚ましのスイッチを止め。

隣の部屋の蛍光灯のスイッチを入れ。

トイレの室内、また水を流すためのスイッチを。

 

洗濯機のスイッチ。

パソコンやテレビのスイッチをオン。

電子レンジで昨日の冷やゴハンをあたためるために、

スイッチを入れて。

 

スマホを見る時はその都度スイッチをポチリ。

車のエンジンは、キーをひねるとかかります。

ガスコンロはつまみをひねって点火しますが、

IHはボタンを押します。

 

扇風機にエアコンのスイッチ。

ヒゲソリのスイッチ。

水を出す蛇口も、ある意味ではスイッチ。

 

外に出ても、エレベーター、自動ドア、

切符やドリンクの自販機、

たくさんのスイッチがあります。

 

ワンタッチすれば、

ピッとそれに対応する結果が得られる、

とても便利な、「スイッチ」。

 

スイッチ暮らしに慣れてしまったので、

いつの間にかそれらを違和感なく使うようになっていますが、

それはスイッチに囲まれた生活に考え方や感性を合わせているのだ、

ということにもなりそうです。

 

スイッチ旺盛の世の中になったのって、

たぶんここ何十年というところのものでしょう。

それ以前のずっと長い時間は、

「スイッチ」なんて身の周りにほとんどない暮らしだったんですよね。

 

変な言い方ですが、

朝起きてから夜眠るまで、一回も「スイッチ」を押さないわけです。

 

今のぼくたちの生活からは、ちょっと考えられない。

だけど、それが人の暮らしのベースであって、

今のスイッチ社会もその土台の上に成り立っているんでしょう。

 

スイッチは便利ですけど、

すぐに結果が得られるから、

リアリティーに欠けてしまいます。

 

火も明かりもすぐつくし、

遠くの人と話せるし、情報も手に入ります。

 

いつの間にか、そのリアリティーに欠ける動作の連続が

当たり前になってしまってますけど、

そればっかりだとやっぱり窮屈だと思うから、

時々は不便さにも触れて、

人の中に元々ある野性とか本能とかを感じることは

大事なんじゃないかと思います。

 

「リアリティー」を感じてもらえるような機会を、

何かのかたちで作っていきたいなあと思う今日このごろ。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月 3日 (金)

ソロバン

小学生の娘の「そろばんって何?」という質問から、

「やってみるか?」ということになり。

 

昨日、娘のひいおばあさんから譲り受けたソロバンで、

足し算の練習をしてみました。

 

これからどれだけ継続できるのかわかりませんけど、

足し算・引き算くらいは教えられそうなので、

時々娘のソロバンを見てやることになりそうです。

 

昔、ちょこっとだけソロバンを習ってたのが、

今になってこんな形で役に立とうとは。

 

ほんとうに久しぶりにソロバンを使ってみましたが、

つくづく「昔の人はえらいなあ」と思いました。

よくこんなの思いついたなと、感心します。

 

計算の仕方とか思い出しておかないと、

と思ったので、ざっと調べてみると、

その起源についての説はいろいろあるんですってね。

 

今の形にたどり着くまでには、

かなりの時間がかかっているし、

その間に色んな創意工夫がなされてきたようです。

 

電卓やエクセルや、

デジタル旺盛の今だからこそ、

アナログな技術をしっかり教えておきたいなと思いますし、

自分もその感覚を忘れないようにしたいと改めて思います。

 

しかし、ソロバンが日本に来たのって、

500年ほど前だそうです。

その前までって、どんな風な考え方で計算とかしてたんだろう。

数についての感覚ってどんなだったんでしょうか。

 

お侍や商人さんは、ソロバンすらない時代に、

どうやってお金や物を勘定して、

またそのやり方を教えたり学んだりしてたのか。

 

そして、お百姓さんは、「数」とか「計算」について、

どんな感覚を持ってたんだろう。

 

「昔、識字率はとても低くて、多くの人は文字を書けなかった」

というのはもちろん知ってますが、

文字を書かず、ひょっとしたら計算らしい計算をしない暮らしって、

きっとその分だけ「五感」とか「直感」とか「感性」とかが豊かだったり、

鋭かったりしたんだろうと勝手に思っています。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。 

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月 2日 (木)

父母ヶ浜

三豊市の仁尾町というところに、

父母ヶ浜(ちちぶがはま)という浜があります。

潮干狩りや、夏には海水浴が楽しめる浜辺です。

 

ただでさえ穏やかな瀬戸内海。

父母ヶ浜はかなりの遠浅で、

打ち寄せる波がほんとに優しいんです。

 

だから、小さなこどもさんと一緒に

浜遊びするのにも最適だと思います。

もちろん、若い人も、そしてお年寄りだって、

みんなが楽しめるビーチです。

 

父母ヶ浜の魅力は、日中だけではありません。

水平線に沈む夕陽は、

「日本の夕陽百選」にも選ばれています。

 

夕暮れ時には、大きな太陽が海の向こうに沈んでいき、

真っ赤な空と、陰になった島の黒が、

鮮やかなコントラストを生み出してくれます。

 

石鎚神宮にお参りの方で、

もし海遊びや海景色、

心癒される自然を求めていらっしゃる方がいるなら、

ぜひおススメしたい場所のひとつでもあります。

 

三豊方面にお越しの際には、

一度父母ヶ浜まで足を延ばしてみて下さい。

 

潮の満ち引きによって砂浜の広さが大幅に変わりますから、

事前にお調べになっておくといいかもしれません。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

「せとうちフォト」に乗せられる画像を用意できてないのが残念。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年6月 1日 (水)

水無月

明日は午後2時から月並祭です。

月並祭は毎月1日に行っています。

 

月のはじめに行うので、

「よし、今日から○月か」と、

仕切り直しというか、気持ちの入れ替えをしやすいかと思います。

新たな目標を立てたり、

自分自身を見つめ直したり機会にもしていただければうれしいです。

 

大祭は5月5日でしたが、

それから約1か月経とうとしているんですね。

月日の流れはほんとに早いです。

 

6月は昔から「水無月」と呼ばれていました。

もっとも、旧暦の水無月は今の暦の7月上旬から8月上旬です。

 

水無月の由来としては、

「梅雨で空に水がなくなるから」

と言われることもありますが、

本来は梅雨が終わって、

真夏の盛りのひと月を指すようです。

 

ですから、

梅雨が終わり、真夏となって水が不足するために、

 

「水無月」となった、

とも言われています。

 

ですが、「水が無い」とは読まないという説もあります。

「無」という字は「の」という意味で、

「水無月」は「水の月」という意味なんですって。

 

なぜ夏のこの時期を水無月と呼ぶようになったのかは諸説あって、

どれが本当なのかはハッキリわからないそうですね。

 

○田植えのために田んぼに水を張る時期であることから、

「水張り月」が「水無月」になった

 

○田植えをみんなで協力して行ったために、

「皆尽月」が「水無月」になった

 

など、諸説あるようです。

 

ともあれ、今の暦では明日からが水無月。

今年はどんな梅雨になるんでしょうか。

 

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

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