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2016年7月の記事

2016年7月31日 (日)

りんくう花火

生まれ故郷は、大阪府泉佐野市というところです。

90年代半ばに関空ができました。

 

海を挟んで関空と向き合っている地域を、

「りんくう」っていいます。

 

「りんくう花火」はある時期まで毎年行われていましたが、

事情によりなくなってしまったんです。

 

ですが、市民のみなさんの力で復活しました。

 

りんくうには「りんくうタウン」という駅があって、

アウトレットモールなどの商業施設や、

商用ビル、ホテルなどが立ち並んでいます。

海岸沿いは公園になっていて、近隣の人の憩いの場所になっています。

 

花火を打ち上げるにも、観覧するにも絶好の場所なのですが、

大人の事情で取りやめを余儀なくされていました。

 

数年間、夏になってもりんくうに花火が打ちあがらない年がありました。

 

ですが、それは寂しく、もったいないと感じ、

またりんくうでの花火を通じて街を元気にしたいという想いを抱いた人たちが、

なんとなんと花火大会を復活させてしまったんです。

 

自治体が主導しているわけでは決してなく、

市民団体が知恵を出し合い、力を集めて実現させました。

 

2012年9月、復活して初めてのりんくう花火を開催。

募金や協賛金を資金とし、

盛大な花火大会が行われたんです。

 

2016年も、8月27日に開催が決定しています。

 

花火大会という壮大なテーマでも、

たくさんの人の想いが重なることで形にできる、

という実例がハッキリと示されています。

 

毎日のお仕事や仲間との活動において、

良い刺激とさせていただいていることは間違いありません。

 

今年もりんくうに花火が打ちあがって、

たくさんの人が楽しい気持ちになれますよう。

 

りんくう花火について、

実行団体のみなさんの活動についてはこちらをどうぞ。

ENJOY!りんくう

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月30日 (土)

夏と秋

セミは連日わんわんと大合唱しているし、

入道雲はどでかいし、

稲は日に日に天へ向かって伸びていくし、

夏、夏、夏です。

夏以外の何物でもない。

暑いですね。

 

この情熱的な季節にどっぷりと浸かり続けていたいとも思いますが、

時には先の事も考えなければなりません。

もうすぐ8月、その次には秋が来ます。

 

過ごしやすくなるこの時期、

お参りに、茶久楽へお食事に来られる方に、

どんな風に過ごしていただくことができるだろうかと、

秋のことを考え始めています。

 

前年までにない動きとなるかどうかはわかりませんが、

境内で過ごしていただく時間も実りの多いものとなるよう、

できることをやっていきたいと思います。

 

さて、夏も折り返しと言っていいかもしれませんが、

たっぷり楽しみたいですね。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月29日 (金)

三豊の海

昨日の海水浴による日焼けが、すごく痛いです。

シャツを着てても、布が皮膚に擦れるだけでヒリヒリと。

昨日はたくさん、直射日光を浴び続けましたからねえ。

 

「名部戸(なぶと)海水浴場」へは初めて行きましたが、

とても過ごしやすい場所でした。

いい感じの海の家もあって、駐車場もしっかりあります。

 

全国的に有名な砂浜ほど大きくはないかもしれませんけど、

こじんまりとしてて、岬や島がほどよく景観を形作っていて。

瀬戸内の真ん中ですから波も穏やかで、

子どもさん連れでも安心だと思います。

 

透明度も高いんじゃないかなあ。

他所と比べてどう、ということはわかりませんが、

かなり透き通っているんじゃないかと思いますよ。

 

海の透明感と言えば、この名部戸だけにかかわらず、

三豊市の海岸沿いではキレイな色をした海景色が見られます。

 

仁尾や詫間の海水浴場、

また三野町の津嶋神社さんのあたりでも、

淡い水色をした海面を望むことができます。

 

ひと昔前に比べるとお客さんが

かなり少なくなってしまったそうですが、

三豊の海を楽しむ方々はたくさんいらっしゃいます。

 

水や砂浜はキレイだし、雰囲気は穏やかだし、

これからもみんなに親しまれる海で

ありつづけてくれるんだろうと思っています。

 

実はもっと注目されてもおかしくはないんじゃないのか、

とさえ思いますよ、三豊の海は。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月28日 (木)

散らす

今日はオフでした。

子どもが夏休みということもあって、

朝から海水浴してきましたよ。

 

名部戸(なぶと)という、荘内半島に入ってすぐのビーチです。

海の家があって、うどんとかカキ氷とかの値段もお手頃で、

駐車場代も高くなくて。

 

平日ということもあってか、

ビーチに遊びにきていた人もほどよくまばらな感じで、

かといって寂しいというわけではなくて、

非常に心地よい数時間を過ごさせていただいたのです。

 

昨日から背中が痛くて、

また慢性的な肩こりにも悩まされていたんですけど、

海で泳いだからかけっこう軽くなりました。

 

詳しいところはよく知りませんが、

コリって偏った体の使い方を続けた時なんかに起きるものでしょう。

だから、浮力を得て海でプカプカ過ごすことによって、

いつの間にかコリが体全体に散らばっていったんだと思います。

 

偏り、滞りは痛みや病につながるんでしょうから、

できるだけそうならないように気をつけないといけませんね。

 

心の面でもそうで、偏り、淀み、滞りがあるなと思ったなら

「散らす」といいのかもしれません。

そこばっかり見ない、その考え方ばかりしない、

地上から海へ行くみたいに、

普段と全然違うところを見たり考えたりするとか。

 

うまく散らせれば、痛みや病にならずに済むのかもしれません。

 

だけどまあ、体にしても心にしても、

なかなか難しいですね。

「自分はこうだ」というものも大事だと思うし、

何もかも万遍なくできるというのも、

人間らしさに欠けるという見方ができそうです。

 

偏りや、時には淀みや滞りも、

個性と呼ぶべき美点だという見方ができてしまいます。

 

散らせばいい、とはわかっているけど、

なかなかそれができやしない、

だから人の世の中はドラマだらけなのかなあ。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

三豊市にある名部戸海水浴場は本当におススメです。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月27日 (水)

電話

電話は、あまり得意ではないです。

相手の顔も、その時の状況もわからないので、

できるだけ用件だけで、手短に済ませようとしてしまいます。

それがいい時もあれば、

相手に物足りなさや味気なさを感じさせてしまうことがあるかもしれませんん。

 

そんな僕は、

セールスの電話とかは本当に好きじゃありません。

見ず知らずの人から「いいですよ、いかがですか」

と言われても、「はい」とはならないです。

 

ならないんですが、

固定電話にかかってくるその手の電話に出ることがよくあって、

その時にはできるだけギリギリのところまで話を聞くようにしています。

 

もちろん時間に余裕がない時は別ですけど、

相手がどんな風に語ってくるのか興味があるからです。

なるべく丁寧な姿勢で、できる限り話だけは聞く、

ということを普段からやってると、

業者さんの電話口の語り方が上手になっているように思えてきます。

 

とてもうまく話を進めていかれる、

その技術は確実に向上していると感じますね。

相手さまが勧めているサービスを受けるつもりは全くないですが、

話を聞いてると言葉の使い方についての発見が時々あります。

 

相手にどう口を挟ませないかとか、

どこをハッキリ押し出してどの部分をうやむやに流そうとしているのかとか、

見えるときがあり、勉強になります。

 

それはいいんですけど、

だけどやっぱりそういった電話はかけてきてほしくないですね。

用があったらこちらから掛けるし、

知らない人よりも知っている人に優先して相談します。

 

今日はちょっと、ぼやいてみました

 

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月26日 (火)

暑さ

明日は火曜日のお護摩焚きです。

毎週、14時から行っています。

 

この時期は、正直なところとても暑いです。

エアコンを利かせているわけでもなく、

扇風機も使えません。

お護摩の火が風に揺れないようにするためです。

 

我慢を強いられる、と言うべき状況かもしれませんが、

お護摩の間は汗の流れるままに任せていただくしかありません。

 

終わりまでの時間は限られていますから、

気持ちを集中させていただいて、

お護摩の火に向かってご祈願下さい。

 

暑い中で行うお護摩もまた、趣があるとも思います。

暑いものはどうしようもないのだと割り切って、

護摩行に意識を注ぎきれるのではないでしょうか。

 

ご都合のつく方はお気軽にお越しくださいませ。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月25日 (月)

セミ

今日は朝から少し早めに動いて、

少しの時間ですが外に出かけてきました。

 

公園のようなところ歩いたんですが、

たくさんのセミが鳴いていました。

並木道の両脇から、わんわんと競い合うようなセミの声。

 

今は、はちきれんばかりの夏なんだなあと感じずにはいられませんでした。

 

木々に止まって鳴いているセミは、

一週間しか命がないんだよという話はよく聞きます。

地上に出て、体いっぱいで鳴いてはいるものの、

終わりの時は目前に迫っているのだから、

なんとも儚いものだと言われもしますね。

 

真っ盛りの開放的な夏も、

セミの命とともにやがて終わるのかと思うと、

やはり儚さを感じざるを得ません。

 

だけど、あらためて思ったんです。

これだけたくさんのセミが鳴いてるということは、

この木々の下には単純に考えて地上の6倍のセミの幼虫が居る、

ということなんですね。

 

今年、地上で鳴いているセミが7年生だとすれば、

1年生から6年生までが地下にいるということになります。

 

いったい地下はどうなってるんだと思ってしまいます。

実はセミの予備軍だらけなのか?

 

6年生までが地下だなんて小学校みたいだとも思えて、

晴れて卒業した先輩セミたちが、

小学生とは違う姿かたちで堂々と鳴いているということも、

なんだかおもしろいというか、趣があるような気がしました。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月24日 (日)

熱気球

空を気球で飛んでいると、

高さによって色んな風が吹いていることがわかる、

と、ある本に書いていました。

 

陸地では大抵の場合、一方向からの風を受け止めることになりますが、

熱気球に乗って高度の上げ下げをしていると、

階層ごとに様々な方向の風が吹いていて、

進路を保つためには立体的な視野が必要になる、

ということが書いてあったように思います。

 

風向きが立体的であるということは、

運勢なんかもそう言えるんじゃないかなと思うのです。

よく「順風満帆」などと言うけれど、

思い通りに物事が進んでいるようでも、

そのさらに上や下では逆風が吹いていて、

見えていない範囲を荒らしているかもしれない。

 

荒らされてしまった結果を受け止めるのは、先の話。

順調に進めているようでも、

自分を取り巻く環境は360℃変化し続けています。

 

逆もまた言えるでしょうね。

うまくいかない時期が続いて苦しんでいたとしても、

目の届かないところで少しずつ好調の波は押し寄せているかもしれません。

 

結局のところ思うのは、

好調の裏にある危険は予知しにくいし、

ピンチの後にチャンスありだし、

人生最後まで何が起きるかわからないということです。

 

言葉で言うのは簡単だけど、

人生は思い通りに進んではいかないものなのでしょうね。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月23日 (土)

日本初の店

日本で初めての「店」って、いつ、どこで誕生したのだろう。

なんていうことを想像しながら、

こないだ車を運転していました。

 

邪馬台国とか大和とか、

国というものができる前なのか後なのか。

九州にできたか、近畿にあったか、

それとも他の場所?

 

「市」が先にできたのか、

それとも一軒の「店」が先か。

 

物々交換が目的の場所かもしれないし、

一時的に開いていただけかもしれないから、

何をもって「最初の店」と呼べるのか、

線引きは曖昧なものなんでしょうね。

 

日本初の店。

日本初の店長。

日本初の買い物客。

日本初の「いらっしゃいませ」。

 

どこでどんな風に生まれたのかなと、

遠い過去をあてもなく想像してみただけのことです。

 

それというのも、今日び、

高速道路のSAでもコンビニはあるし、

日本国中どこでも「お店」だらけじゃないですか。

 

お金というものがあって、

お店というところに入って目的のものを買う、

っていう行為が、とてつもなく当たり前になっているけれど、

ここまで「店」が日常的になったのって、

じつはごく最近なのかもしれないと思いました。

 

何十年かさかのぼっただけでも、

地方の小さな町や村には限られたお店しかなかったのでしょう。

デパートなどは、少し背伸びしていくような感じがあったわけで。

 

買い物って今よりもっと特別だったんだろうなと、

そんなことも思い出しました。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月22日 (金)

1500万年前

石鎚山は1500万年前にできた山だそうです。

火山活動によってできた山で、

今も「休火山」として区分されています。

 

1500万年前から、その場所を動かずに、

ずっと存在し続けてきたなんて、

お山はすごいなあと思わざるを得ません。

 

人間の営みはそのうちの何万年かに過ぎないわけですから、

お山にすればごく最近の出来事なのでしょうね。

 

西日本一高い場所から、

人が四国に移り住んできたり、

けものや木の実を採集したりする姿を見てきたわけです。

 

その後、村や街ができて、

やがて汽車や車、飛行機が行き交うようになった様子も、

どっしりとした姿で見守り続けてくれていたんだと思います。

 

そしてこれから人間の営みがどんな風に変化していくのかわかりませんが、

ずっとずっと地球のその場所で存在し続けるのでしょう。

 

大きな大きなその存在を思うと、

自分の存在などちっぽけなもののように思えます。

 

限られた時間を一生懸命使わなくてはと、

そう思えますね。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月21日 (木)

ポケモンGO

「ポケモンGO」がリリースされます。

アプリを利用して、

現実世界の風景にポケモンが映りこみ、

それをつかまえたりできるものだそうです。

 

賛否両論あるようですが、

高度な通信技術と「ゲーム」との組み合わせの、

ひとつの新しい形だと言えるでしょう。

 

ポケモンGOのことを知った時に、

無理やりかもしれませんが、

やおよろずの神さまのことを思いました。

 

日本では古くから、

あらゆるものには神さまが宿っているという教えがあります。

 

普段は目に見えないポケモンが、

最新技術を通じて目に見えるようになるという形が、

自然界の精霊や神さまの存在というものに

重なる部分があるように思えてしまいます。

 

大昔の人びとが自然に対して感じてきたものと、

今の人びとが機械を使ってポケモンを見ることは、

全く対局のものでありながら、

どこかで共通する部分がかすかにあるように思えるんです。

 

ポケモンGOの登場で、

今のわれわれも、やっぱり、

「見えないものを見たい」と望んでいるんだとわかった気がします。

 

だけどしかし、もちろんポケモンは神さまや精霊じゃなくて、

人間が作ったものです。

自然の風景と人工のものの境がなくなって、

「うやまい」や「おそれ」の気持ちが

失わなければいいなと思います。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月20日 (水)

平易な言葉で

毎日更新していく上で気をつけていることと言えば、

たったひとつだと言っていいかもしれません。

「わかりにくい言葉を使わない」

ということです。

 

文字数も決めていないし、

投稿時刻も定めていないし。

テーマもその日その日の思いつきで、バラバラです。

 

そんな中、ルールらしいルールと言えば、

難解な言葉や熟語や横文字を使わない、

この一点だけでしょうね。

 

神さま仏さまをおまつりしている場所からの発信ですから、

形のない物事について書くこともしばしばあって、

時にはイメージしづらい文章になってしまいますが、

その際もあくまで「わかりやすい言葉で」を意識してはいます。

 

 

どんな人に読んでもらいたいのか、

と言えば、それは「子供からお年寄りまで」ですから。

どんな人にでも読んでもらえるような文章に、

できるだけしていきたいと思っています。

 

ターゲットとか、マーケティングとか、

そういったことは一切考えずの更新です。

 

特定の人に効率よく届けたいわけではなくて、

老若男女、どんな層の人にも気軽に読んでもらいたい。

ご近所さんにいつもの道で会って、

「こんちは」と声をかけ合うくらいの気軽さがありがたいですね。

 

毎日の更新ですから、

いつもそこにあるものとして、

気が向いた時や何かの拍子に思い出した時に、

いつでも来てもらえるようなページでありたいと思います。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

学生さんたちは、もうすぐ楽しい夏休み。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月19日 (火)

能動的に

ここ数日はとても目まぐるしい日々でした。

たくさん動いたし、

考えたし、感じもしました。

 

そして、

もっともっと能動的にならなければいけない、

そう思いました。

 

自分の方から周りに関わっていこう、

おせっかいかもどんどん焼いて、

交流していこうと思えています。

 

なぜそう思うのかと言えば、

自分がそうしてもらっていて本当に安心できたし、

心強かったのだと気が付いたからです。

 

自分に関心を持ってくれて、

話しに耳を傾けてくれて、

進んでアドバイスをくれる、

そんな存在がいかに得難く、

嬉しいものなのかがわかったからです。

 

簡単なことではないかもしれませんが、

自分が誰かにとってそんな人でいられたならいいなと思います。

 

そうなるためにはもっと広い視野や深い思慮が必要でしょうし、

胆力、体力、気力なんかも必要でしょう。

 

錆びないように自分を磨いて、

淀まないように自分を動かして、

前に進んでいかなければならない、そう思います。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月18日 (月)

受け容れる

世の中が生きにくいのだとして、

もし少しでも生きやすくしたいと望むのであれば、

自分が変わればいいのかもしれません。

 

社会に適応できるように、

流れにうまくついていけるように、

まずできることは、

自分が変わるということだと言えるでしょう。

 

だけど、じゃあ必ずしもその手段しかないのかと言えば、

そうじゃないと思います。

自分を曲げるのではなく、

世の中の方が受け入れてあげるという手段があると思います。

 

しかしそこに頼り過ぎると、

その姿勢は「甘え」とか「身勝手」「自分本位」

とだと見なされて、あまり受け入れられないのかな。

 

世の中は厳しいし、世間とは世知辛いものなのかもしれないけど、

だけどもし叶うのなら、

「自分を変えろ」という方だけでなく、

「受け入れる」の幅を広げる方向に進んでいってほしいです。

 

今の物質的な豊かさの裏には、

非常にシビアな競争やルールがあるからこそ

成り立っているという事実があるのでしょうが、

やっぱり物の豊かさが心の広さになるような世の中であってほしいです。

 

「当たり前」からはみ出てしまうような人も受け止めることができる、

そんな思いやりが広がってほしい。

そして、ささやかでもその一助となりたいです。

 

人に心地よく集まっていただく場所づくりを目指す上で、

新たなテーマができました。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月17日 (日)

気付き

今日は香川を離れて、少し旅をしてきました。

朝早く出て、夜また帰ってきました。

 

現実は小説よりも奇なりと言うけれど、

それは本当だと思いました。

 

経験こそ消えない財産だと感じました。

 

自分のことを気にかけてくれる誰かの存在は、

本当にありがたいものなのだと気が付きました。

 

純粋さと、仲間を大事にする気持ちを大切にしようと決心しました。

 

忘れられない旅となりました。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月16日 (土)

コラージュ

今ある自分はたくさんの人の影響を受けているから、

コラージュみたいなもんだと、

その人は言いました。

 

確かに、人と人との関係の中に常に身を置きながら、

大なり小なり刺激を受け合ってぼくたちは生きています。

変わりながら、進んでいきます。

 

たくさんのピースを

パッチワークのように張り合わせた作品がコラージュだとして、

そのピースひとつひとつが平等に同じ大きさだとは限りません。

 

ちょっとだけ関わり合っている人もいれば、

その作品全体の中の大きな割合を占めている、

と言える人もいます。

 

大きな影響を与えてくれた人というのは、

その存在そのものがなかったなら、

あるいはかけてくれた言葉や、

見せてくれた行動がなかったなら、

今の自分はなかっただろうと思えるほどの人です。

 

苦しい時に支えてくれ、

嬉しい時に一緒に笑ってくれたその人は、

コラージュの中でも大きく、重要な位置に居続けてくれました。

そしてこれからも居続けてくれるでしょう。

 

心から感謝します。

 

ありがとう。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月15日 (金)

昔話

子どもの頃から今にいたるまで、

ずっとお世話になり続けている人や、

とても久しぶりに訪ねてきてくれた人などから、

昔話を聞くのは好きです。

 

祖父だったりひいおばあさんだったりの、

自分が知らない顔のことを教えてくれたりします。

 

孫、ひ孫として近くにいたものの、

身内として見る姿と、

周りの人たちが仕事などを通じて見る姿とでは

違っていますから、

「へえ、そんなことがあったんですか」

ということが少なくありません。

 

そういった方々が語ってくれる色んなエピソードや思い出話を、

大人になった今この時に耳にできるということに、

何かご縁というか、

意味のようなものを感じることもあります。

 

今は亡くなった先人から直接語られることはないものの、

周りの人たちから語られる話に、

気づきがあったり、

謎が解けたりすることがとてもよくあります。

 

やはり血縁のある身内の話ですから、

何か自分のアイデンティティーを刺激するような感じもあって、

進路を修正したり、

物の見方を変えたりというキッカケになってもいます。

 

明治や昭和といった時代を生きた人たちの感性には、

今の生活に慣れた自分には到底重ねることが

できない部分が大きいと思います。

 

平成を生きる自分は、

後の人たちにどんな風に見られ、

感じられるのだろう。

 

今、自分たちが「あの人は昭和ひとケタだから」とか

「明治生まれだからね」とか言うように、

 

昭和の終わり生まれの自分は、

「あの人は平成の人だからねえ」

と言われたりするのかもしれませんけど、

さて「平成生まれ」とは後の人たちにとって

どんな響きのある言葉になるのでしょうか。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月14日 (木)

野性

聞いたのだか、読んだのだか忘れましたが、

昔の(今もなのかもしれませんが)武道の達人は

準備運動なんてしなかったそうですね。

 

それは、いついかなる時に敵が襲ってくるかわからないからです。

いついつの何時から試合、

と決まっているわけではなくて、

敵と出会ったその時から命の取り合いですから、

24時間365日が臨戦態勢なのでしょう。

 

ストレッチしたり、ウォーミングアップなどせずに、

いつでも最高の体の動かし方ができる、

そんな風に鍛錬を積んでいたんだそうです。

 

それは多分、

野生の動物にも同じことが言えそうですね。

 

狩りをする肉食動物、

逃げる草食動物、

あるいは鳥、虫、魚など、

準備運動なんて多分してないんだと思います。

 

動物たちも、

その時々が常に臨戦態勢でしょうから、

瞬時に全力を出せるかどうかは死活問題です。

 

そうやって思えば、

準備運動をするのは人間だけなのか、

ということになります。

 

たぶん、ですけど、

体だけじゃなく心や頭も、

人間は「準備してから動く」ということになりがちなんだと思います。

 

ひょっとしたらですが、

体も頭も心も、準備なしで本能的に動かせた時、

すごい力を発揮できるんだろうと予感しています。

 

だけど、達人ではないぼくたちは、

日常生活の中でなかなか理性のタガを外すことはできなくて、

みんなそれぞれが持っている潜在的な力を使えずにいるんじゃないでしょうか。

 

それを引き出すのは難しいだろうし、

引き出せたとしても社会の中で活かしていくのもこれまた難しいかもしれず、

なかなか動物のように本能的にはなれないですね。

 

だけど少なくとも、

人間の中にだって「野性」があるということだけは、

どこかで覚えていたいものです。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月13日 (水)

流れる

家相にしても運勢にしても、

「流れ」というものといかに向き合うのか、

を見極めていくためのものだと思うのです。

 

大げさな話になるかもしれませんが、

人として生まれて、その人生を進んでいくということは、

さまざまな物事の「流れ」の中に身を置いて、

自分もまた流れていくというものなのだと思います。

 

「万物は流転する」っていいますし、

「諸行無常」だともいいます。

自分を含めて何もかも全部が、流れるし、

移り変わっていきます。

 

家相を観るのは、

土地における気の流れがどうなっているのか、

そしてそこに建物を建てることでどんな気の流れが起きるのか、

を観ることだと言えます。

 

運勢を観ることは、

星の巡りとその人との関係がどうなってるのか、

運気の流れの中でその人はどんな風に流れようとすればいいのか、

を見つめていくことなのでしょう。

 

今こうしている間にも、

時間というものが絶えず流れている中で、

あらゆるものは流れています。

自分も含めてです。

何もかもが、です。

 

だからね、つくづく、

あらゆるものと対話していなくちゃならないと思うんです。

自分が立っている土地、

そこに流れてる空気、

風に雲に空、

虫に鳥に小動物、

におい、音、

それに加えて目に見えないもの、

実態のないものにも。

 

もちろん、なかなかそれがむつかしいのであります。

だけど、この世でこの地球で、

みんなと同じこの時間の流れの中で生きていくということは、

あらゆるものと何らかの関係を持っているということだと思います。

そして、一緒に流れていきます。

 

見方によっては十分ばかばかしいことだと思いますが、

心のどっかにその意識はいつも持っていたいです。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

 

2016年7月12日 (火)

大阪

出張で大阪に来ています。

行く先々でみなさんにお世話になり、

有意義な時間を過ごさせていただいています。

 

「真田丸」を見ているわけじゃないんですが、

河内、堺のあたりを車で通ってると、

ここいらがかつての古戦場なのかと、

感慨深いです。

 

最近はどの土地に行っても、

そこにある山や海、谷や川の間で、

昔の人たちがどんな暮らしかたをし、

どんな人の行き来があったのか、

想像しながら過ごすことが増えました。

 

人は、人だけじゃなく、

土地土地とも関係を持ちながら動いてるんだよなあなどと、

想像するのは楽しいです。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月10日 (日)

説得力

言葉の説得力って、

その人の経験がどれほどのものかによって、

かなり変わりますね。

 

深い知識を元に語られる理屈であっても、

受け取る側にぜんぜん響かないことがあります。

 

反対に、何でもない当たり前の話しも、

人生経験が豊富なお年寄りから聞くと感慨深かったり。

 

「昔はとても不便だったけど、

みんなでこんな風に協力し合ってたよ」

みたいな事なんかは、

偉い学者さんから聞くよりもそれを経験したお年寄りから聞く方が、

リアリティがあるし、説得力があります。

 

言葉はみんなが使える共通の道具ですけど、

その軽さ重さというものは確かにあって、

同じ言葉を発しても誰が、どんな人が言うのかで

印象は変わるもんだと思います。

 

だから、夢とか目標とかを誰かに伝えたり、

理解してもらおうとするのはなおさら大変ですね。

 

「こうしたい」という、

これからの未来のことを語るわけです。

つまり、まだ経験していないことを語ります。

 

その時に聞き手の人が「うんうん」とうなづけるかどうかは、

どれだけ理論として成り立っているのかというよりも、

語っている人が今までどんな経験をしてきたのか、

というところが大きかったりするんじゃないかなと思います。

 

経験だけが全てというわけじゃないにしても、

放つ言葉には実際の経験が上乗せされて相手に届く、

そういうもんだと感じています。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月 9日 (土)

奥之院大祭

奥之院・夏山大祭のため、石鎚山に行ってきました。

大分や広島の方々も例年同様に来て下さって、

今年も一緒におまつりができました。

 

正直なところを書くと、

夏山は年々お参りの人数が減って、

寂しくなっています。

それでも土日は賑やかになりますが、

平日となると人通りが少ないのが現状です。

 

たとえば20年、30年前なら、

10日間にわたって早朝から夜までひっきりなしに登拝の方々の姿がありましたが、

今はその何分の一なんでしょうか。

 

「昔は6月ごろになると石鎚山のお山開きの話題が

色んなところで自然に聞こえたのにね」

とか言われたりもするように、

夏山開きを身近に感じる方が少なくなっているんだと思います。

 

時間やお金の使い方、家族や近隣の人とのつながりなんかが、

昔と変わってきたことも大きな原因でしょう。

また、神さま仏さまとか、

お参りとかお加持とかお陰とかいったものについて、

価値観も変化したんでしょう。

 

世の流れのせいにだけしてもいけませんから、

そんな中で自分たちは何をどうするべきなのか、

考えなければならないと思います。

 

遠い昔から伝えられてきた石鎚信仰を、

どんな形でまた先の人たちに伝えていけばいいのか、

軸を保ちつつ時代に合わせて考えていかなければいけないのかもしれません。

 

そして、数が減っていることが寂しく感じられるものであっても、

お参りが多ければ良くて少なければ悪い、

ということでもないはずです。

 

たくさんあったものが減ったらつい悪く思ってしまいそうですが、

数だけで良し悪しを判断するべきものでもないと感じます。

 

なかなか答えは出ませんが、

寂しくなりつつある今こそ、

お山信仰の本質を考えるべき時期なのかもしれないと思っています。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月 8日 (金)

奥之院

今年も石鎚山のお山開きは10日まで行われています。

明日、8日は例年通り石鎚教奥之院(ロープウェー駅下)の

夏山大祭です。

 

詫間の境内も緑に包まれていますが、

奥之院の空気はもうひとつ違うように思えます。

 

晴れれば暑いには変わりありませんが、

少し陰りでもすれば涼しい風が吹きますし、

その風には山の湿度が込められています。

 

また、その風は川の流れる音を運んでくれます。

 

あるいは、お山の上を目指して歩く人たちの声や、

邪気を祓うために荷物に結わえつけた鈴の音を運んでくれます。

 

はたまた、お参りの方が灯した

お線香の香りを届けてくれるのです。

 

そんな場所で、毎年7月の8日には、

神事と護摩供養を行い、

諸願成就を祈願しています。

 

奥之院がある場所の標高は、

約400メートルというところでしょうか。

 

石鎚山の最も高い場所は1,982mですから、

奥之院はそう高所であるとも言えないかもしれません。

 

ですが、きっと街とは違う空気、

山の息吹のようなものを感じていただけるかと思います。

 

では明日、奥之院に行って参ります。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月 7日 (木)

古武術・開講

30代も半分以上を過ぎて、

体力のことを考えることが以前より増えてきました。

 

20代や10代の頃よりも、

疲れやすかったり、鈍くなっていると感じます。

スポーツはそう得意な方ではないですが、

フットサルだけは時々やってるんです。

ほんとに時々ですが。

 

だけど、走ったり蹴ったり、

できない部分が増えていって、

思い切り楽しむことができなくなるんだろうなあ、

とか寂しいことを考えたりもします。

 

だからこそ、やれるうちにやっておこうと思うんですね。

また、年齢を重ねたなら重ねたなりのスポーツがあるんだとも思うので、

40とか50になってから何かを始めたりするのかもしれません。

 

年を取っ人でもたくさんの人が続けているものに、

「武術」は十分当てはまるように思います。

 

肉体的な部分だけでなく、

精神的なものも重要なのでしょうから、

自分自身と向き合い続けるものが武術なのかもしれないですね。

 

いろんな武術がある中、

このたびご縁があって、

境内の建物で「古武術」の教室が開かれることになりました。

 

柔術や古流空手を取り入れたもので、

力に頼らない技の習得を目指されています。

ご興味のある方はお気軽にお問い合わせ下さい。

 

◇律芯館香川支部 一般の部・木曜クラス◇

場所:石鎚神宮境内(入り口近くにある建物)
時間:19時~21時
会費:3000円

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月 6日 (水)

暑い夏のお護摩焚き

今日は火曜日。

14時より、週に一度のお護摩焚きを行いました。

 

護摩堂の窓は朝から開けており、

カーテンで日差しを防いでもいたのですが、

今日はやっぱりかなり暑かったです。

 

お護摩の最中は締め切っており、

そこへ火を焚くのですから、

室温はとても高かったのではないかと思います。

 

これからしばらくの間は、

暑さの中でのお護摩焚きになりそうです。

 

だけど、過酷には違いありませんが、

その季節にしか感じられない温度だとも言え、

全身でその暑さを受けておきたいとも思います。

 

お護摩の火が上がっているだけの一時的なものだし、

終わって窓を開ければ、

室内に流れる夏の風さえ涼しく感じられますし。

 

昔は扇風機もエアコンもなかったわけで、

夏の涼しさは日陰しかなかったんですもんね。

 

これから暑さ厳しい季節となりますが、

お護摩焚きに参加される際には、

タオルなどご持参いただいた方がいいかと思います。

 

あと、うちわとか扇子とか、

ご自身をあおぐためのものは使っていただいて結構ですよ。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月 5日 (火)

入道雲

しとしと雨が続く6月から一転、

7月に入って夏らしい暑さが続いています。

 

積乱雲っていうんですか、

入道雲ですか、夏の雲が空に浮かんでいます。

 

何年も前、テレビに出てた気象予報士の人が、

「入道雲は高いところにあるんだから、

浮かんでるその場所にもし実際行ったなら、

とても寒いんだ」

と言ってたのを、夏ごとに思い出します。

 

さらに、

「だから入道雲は『でっかいカキ氷』だと思えばいいんだよ」

とも言ってました。

 

そう思うだけで暑い夏もちょっと涼しくなる、って。

 

ほんのちょっとでも涼しくなるんなら、

想像するだけなら労力も要らないんだし、

ほんとに暑い時には雲を見て

でっかいカキ氷をイメージしたりしています。

 

イメージと言えば、落語の「不動坊」でしたか、

雪の降る寒い日の場面が出てくる話があります。

 

その話を昔の名人がやったところ、

空調もない暑い寄席であるにもかかわらず、

お客さんが思わず上着を羽織ったというじゃあありませんか。

 

名人の話に引き込まれて、

暑いのに寒いとさえ感じてしまったんだって。

 

頭や心と体は、やっぱり連動してんだなと思います。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月 4日 (月)

もうすぐ半年

暑い暑い。

暑い日曜日ですね。

 

今日は朝から消防団の訓練に参加してきました。

それから税理士さんと打ち合わせなどあって、

夕方は近所の会合に出かけます。

 

本日、シャムショより。を書き始めてもうすぐ半年。

時々、短い文面になってしまったり、

更新する時刻が日付けの変わるギリギリになってしまったりもしますが、

どうにか続いています。

 

過去に自分の書いたものを読み返すことは

全くと言っていいほど無いんですが、

毎日ひとつずつ蓄積されていくものがあるということは、

何となく楽しいなと感じています。

 

その日その日の書き込みがそう大したものでなく、

あまり変わりばえのしないものであったとしても、

1年とか10年とか長い期間で見ていけば、

きっと面白い発見があるんだろうと想像しています。

 

世の中の動きは早いけど、

自分が勝手にそう感じているだけなのかもしれない。

 

木の成長とか季節の移り変わりは自然のままですし。

 

これからも一歩ずつ一歩ずつ、

更新していきたいと思います。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月 3日 (日)

情報が結ぶ縁

いなか、地方になぜ旅行客が来ないのか、

その理由にとして「情報が少ない」ということが挙げられます。

と、いう話を以前聞きました。

 

そこがどんな場所なのか、

何がおいしくてどこが風光明媚なのか、

情報が整理されていないために、

「よし、行ってみよう」とならないんです。

 

その場所に元々大きな魅力があったとしても、

その存在を外部の人がちゃんとキャッチできなければ、

旅の目的地として選ばれないということ。

 

今ぼくは地域の観光をキーワードに、

有志のメンバーと一緒に情報発信をしようとしていますが、

今ある地域の魅力をきちんと外部の人の手元に届くように、

丁寧な発信をしていかないといけないんだなと感じています。

 

そして情報ってのはもちろん観光に関してだけ大事なのではなくて、

色んなものごとに同じことが当てはまります。

 

いくら魅力的な品物や、人の才能なんかがあったとしても、

それを求めている人に情報が届かなければ、

活かされる機会に恵まれずに終わってしまうかもしれないです。

 

それはとてももったいないことだし、

現実にそうやって陽の目を見ないもの、

本来の力を発揮できないままの人、

というものも、たくさんたくさんあるんだと思います。

 

それはとてももったいないことです。

そして、もしそれらをつなげることができるんなら、

とても面白いし、有意義なことだと思います。

 

必要としている者と、必要とされるべき者、

それらをつなぐことは、

すなわち縁を結ぶことだと思います。

 

地域の観光にまつわる活動や、

石鎚神宮での日々を通じて、

そんな縁結びができればなと思っています。

 

でも一方で、以前書いたような、

「ここだけのヒミツ。」

というものも、大事だと思ってますよ。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月 2日 (土)

情報発信

今、三豊市は市外からたくさんの方に来てもらおうとしています。

どうすれば市内での観光を楽しんでもらえるのか、

いろんな団体、グループ、または個人が、

考えたり、実際に形にしたりしています。

 

ぼくは「みとよ100年観光会議

というチームの仲間に入れてもらっていて、

みなさんと一緒に観光の活性化に取り組もうとしています。

 

まだ「取り組んでいます」ではないのは、

参加してそんなに時間が経っていないからです。

 

まずは、住んでいる三豊のことをさらに知ったり、

色んな方とお話したりしながら、

この地域の魅力って何なのかを深く見つめていきたいです。

 

そして、見つけたものを広く、

多くの人に知ってもらうために、

情報を発信していければなあと思ってます。

 

そんなことを思ってたら、

「みとよ100年観光会議」の中で情報発信のチームができて、

その中でメンバーのみなさんと実際に発信していくことになりました。

この7月からです。

 

おいしいものもあるし、豊かな自然もあるし、

穏やかで柔らかい三豊という場所に、

じゃあどんな風にすれば「そこ行きたい」と思ってもらえるのか、

みんなで考えていきたいと思います。

 

気持ちとしては、みんなでやる文化祭みたいなワクワクですが、

「ぜひ来て下さい」というからには

情報を受け取る方にとって有意義なものでないといけないと思いますので、

やっぱり大人として丁寧にお届けしていきたいという気持ちでもあります。

 

住んでる街にお客さんが来てくれることで、

明るく楽しくあたたかい場所になればいなあ。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年7月 1日 (金)

山開き

いよいよ明日からはお山開きです。

10日までの期間中は、

白装束に身を包んだ方々が、

それぞれの目的地を目指してお山に入られます。

 

夜明け前、まだ真っ暗なうちに宿を出発される方もあり、

ロープウェー下の奥之院付近でも

早い時間から「チリン、チリン」という鈴の音が響きます。

 

ひと昔前に比べるとお参りの方の数も少なくなってきてはいますが、

今でも大事に受け継がれている夏のお山の風景です。

 

頂上までの道のりは整備されており、

とても歩きやすくなっているとは言え、

急な坂や鎖場などではやはり体力を消耗することになります。

 

一歩ずつ足を踏ん張り、

深く呼吸をしながら、

上へ上へと歩みを進めていきます。

 

汗や呼気とともに体力が抜けていく、

それが心身に良い作用となるのかもしれません。

 

息を吐き、力を外に向けて出すことで、

内面がからっぽに近づいていきます。

そして、体と心の中いっぱいに「お山の気」を

取り込めるのではないでしょうか。

 

上へと進んでいく中で、

知らず知らずのうちに、

日常で抱えてしまう雑念を捨てたり、

体内に溜めこんでいた無駄なものを捨てて、

代わりに清々しいお山の気をいただけるのかもしれません。

 

身も心も身軽になることで、

諸願成就が叶うのかもしれないですね。

 

明日からのお山開き、

登拝の祭にはくれぐれも安全面に気をつけていただき、

有意義なお参りとなりますよう。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

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