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2016年8月の記事

2016年8月31日 (水)

9月の月並祭

明日で8月が終わります。

夏休みも終わるし、なんだか「夏」がまるごと終わってしまうかのようです。

 

寂しい気もしますが、体の中や心の中にたっぷりと蓄えた熱で、

これからの季節もどんどん前進していきたいと思います。

 

9月1日には、月並祭が行われます。

午後2時より神事、その後お護摩焚きを行い、

諸願成就を祈願いたします。

 

どなたでもお参りしていただけますので、

ご都合のつく方はぜひご参列下さい。

 

月並祭は毎月1日に行われますが、

この日を迎えると心の中も新しく切り替わるような気がします。

一歩ずつ、時間とともに人生が前に進んでいるのだな、

と実感することもできます。

 

月の初めの行事ですから、

クッキリとした節目になってくれるので、

目標を整理したり、

過去を振り返ってやり残したものを確認したりもしやすい機会です。

 

また、季節の移り変わりを測る目安にもなってくれます。

8月の月並祭の時と、9月とでは大きく気候が変わりましたね。

月並祭ごとに、自然の流れの中で生きているんだなあと再確認しています。

 

さて、秋の入り口となりましたね。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月30日 (火)

時間

最近、何かにつけて「時間がない」と思う機会が増えています。

だけどそれは時間の使い方がまずいのだということだと思っています。

 

ちょっといろんなことを整理する必要があるのかもしれないです。

「時間がない」「今それはできない」「残念だけどまたの機会に」

と、大事なことを後回しにするようなことも増えているのかもしれません。

 

また、ずっとあれこれ動いていると気持ちに緩急がつかなくて、

感情も薄くなっているような気がします。

ものごとに感動しなくなって、

日々が淡々と過ぎていくような感じもあります。

 

それはあんまりいいことじゃなさそうだ、

と思うのですが、なかなか抜け出せないですね。

 

うまい時間の使い方、それが今の課題です。

大事なことに絞って時間を使っていかなくては。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月29日 (月)

お山登り

9月に、ご近所のみなさんを中心としたグループでお山参りに行きます。

マイクロバスを一台お借りして、

各自お弁当を持って。

 

その時期はまだ厳しい暑さが残っているでしょうけど、

標高1,000mを超える場所までロープウェーで昇ったなら、

きっと涼しく爽やかな風に迎えられるのではないでしょうか。

 

初めて石鎚山に行かれる方もいらっしゃり、

山道をみんなで声を掛け合いながら、

和やかに登拝できるのではないかと思います。

 

そんな機会がこれから増えていけばいいなと考えるのです。

現在では石鎚山の登山道は整備されており、

お子さんや、体力に自信があるぞというご年配の方も、

たくさん登ってらっしゃいます。

 

みんなでお山参りができる、

そんな企画を年間に何度か立てられるようになればなと思います。

 

お山の清々しい空気の中を一緒に歩き、

気持ちを込めてお参りできれば、

きっと素敵な思い出ができることでしょう。

 

その経験は、日常の生活にも良い作用をもたらしてくれるだろうと思うのです。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月28日 (日)

お山参り

9月、ご近所のみなさんやそのお仲間たちと一緒に、

石鎚山に登ります。

参加者のみなさんの年齢や体力を考えると山頂まではいけませんが、

成就社さんまで登る予定です。

 

初めて登られる方々が大半ですので、

みなさんにとって石鎚登山がいい思い出になればと思います。

 

願わくばいいお天気の中で、

石鎚山やその周辺の山々の風景を楽しみつつ、

お昼をみんなで食べたいなと思っています。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月27日 (土)

借り

「借りを返さないでいると、ツキが落ちる」

と聞いたことがあります。

 

因果応報ということの、わかりやすい例であるかもしれません。

受けた恩に感謝しないと罰が当たっちゃう、

といったことなのかもしれないですね。

 

自分には、返せていない「借り」はないか……

自分の肚の中を探ってみると、たくさんたくさんあります。

もしちょっとした行動を取るだけで返せるものなら、

できるだけ早くそうした方がいいですよね。

 

また、相手からの期待や信頼に応えられていないということも、

もどかしいものです。

やらなきゃいけない、結果を出さなきゃいけない、

それはわかってるんだけども、できないままに月日が流れていく。

とても心苦しく、スッキリしません。

 

なんでこんなことを書くのかというと、

借りを返せるチャンスをもらえたからです。

「やります、がんばります」と宣言しておきながら、

形にできていなかったことがあって、

何となくうやむやにしてしまっていました。

 

だけどこのたび、「もう一回、やらせてほしい」と言えるチャンスがあったのです。

逃しちゃいけないなと思いました。

さて、長い間の借りを返すのだ。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月26日 (金)

間合い

昨日、1時間ばかりですが、

こどもたちと一緒に海水浴をしてきました。

車で10分くらいで行ける、名部戸(なぶと)海水浴場。

 

いい天気で水も透明でしたが、

お盆を過ぎた午後の海ということもあってか、

数組の家族やグループがいただけで、

ゆっくりのんびり泳ぐことができました。

 

シュノーケルをつけて泳ぎながら海の中を見ていると、

3,4mの底の方にキスがいて。

何匹かいるな、と数えているうちに、

けっこういるぞということがわかり、

30匹くらい数えられました。

 

ゆっくり泳いで、キスの群れの真上まで進んでみましたが、

海底のキスたちは特に慌てる様子を見せません。

きっと自分たちの頭上に浮かんでる妙な人間に気が付いていたのでしょうが、

ゆらゆらと集まったまま大人しくしていました。

 

また別の場所で2匹のキスに出会ったのですが、

そいつらは出会いがしらに急いで去っていきましたね。

たぶん、その場所は深さがなかったし、

ぼくとキスの進行方向がちょうどぶつかる感じでしたから、

危機感を抱いたのでしょう。

 

動物には、「間合い」というものがあるんだなと感じました。

底で大人しくしていた30匹も、もしぼくが迫っていったなら、

もちろん逃げ出したでしょう。

 

逃げなかったのは、間合いに入らなかったからです。

何となくおもしろいなと思いました。

 

これを、人に置き換えて考えてみようとも思いました。

自分が人と接する時の間合い。

会話の際に、やりやすいと感じる間合い、やりにくいと感じる間合い。

 

相手にも当然やりやすいとかやりにくいとかがあるでしょう。

あえてこちらが踏みこんでいくのか、ちょっと引いてみるのかなど、

「間合い」も意識していこうかなと、キスのおかげで思いました。

 

どんな動物もきっとやってる、 感覚的なものでしょうから。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月25日 (木)

必要でなかったとしても

世の中はたいへん便利になりました。

モノやサービス、があれば生きられるのです。

お金という代価は必要ですが、

モノを手に入れ、サービスを利用することで生きていくことはできます。

 

だけどそれだけで人生が充足したものになるとは限らないと思います。

人とのつながりとか、自然を感じることとかいったものが、

心の支えであったりもします。

 

神さま仏さまをおまつりしたり、

信仰したりすることも、

やはり心の支えになるのだとぼくは信じています。

 

そういったことをしなくたって生きていくことはできますが、

目に見えないものの存在が心の支えになって、

自信を与えてくれたり、安心を持たせてくれたりもするでしょう。

 

神さま仏さまを拝むことは、

必ずしも必要ではないかもしれないけれど、

それでもやっぱり誰しもの人生は、

自分ではどうにもならないものに

少なからず左右されているのではないでしょうか。

 

出会いとかご縁とか、偶然とか運命とか奇跡とか。

九死に一生、千載一遇、棚からぼた餅。

 

ハッキリと証明できないし、

どういう理屈でかはわからないけど、

大きな大きなものの中で「生かされて」います。

 

そういうものなんだ、ととらえた上で、

神さま仏さまをうやまって、また親しんでいく。

それは、「人は自然の中に生きている」

「人は家族や仲間、その他の人間の中に生きている」

ということと同じなのではないでしょうか。

 

もちろん、必ずそうしなきゃいけない、

というわけではないですけど、

すてきな信仰の形は、毎日を豊かなものにしてくれると思っています。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

必要でなかったとしても

世の中はたいへん便利になりました。

モノやサービス、があれば生きられるのです。

お金という代価は必要ですが、

モノを手に入れ、サービスを利用することで生きていくことはできます。

 

だけどそれだけで人生が充足したものになるとは限らないと思います。

人とのつながりとか、自然を感じることとかいったものが、

心の支えであったりもします。

 

神さま仏さまをおまつりしたり、

信仰したりすることも、

やはり心の支えになるのだとぼくは信じています。

 

そういったことをしなくたって生きていくことはできますが、

目に見えないものの存在が心の支えになって、

自信を与えてくれたり、安心を持たせてくれたりもするでしょう。

 

神さま仏さまを拝むことは、

必ずしも必要ではないかもしれないけれど、

それでもやっぱり誰しもの人生は、

自分ではどうにもならないものに

少なからず左右されているのではないでしょうか。

 

出会いとかご縁とか、偶然とか運命とか奇跡とか。

九死に一生、千載一遇、棚からぼた餅。

 

ハッキリと証明できないし、

どういう理屈でかはわからないけど、

大きな大きなものの中で「生かされて」います。

 

そういうものなんだ、ととらえた上で、

神さま仏さまをうやまって、また親しんでいく。

それは、「人は自然の中に生きている」

「人は家族や仲間、その他の人間の中に生きている」

ということと同じなのではないでしょうか。

 

もちろん、必ずそうしなきゃいけない、

というわけではないですけど、

すてきな信仰の形は、毎日を豊かなものにしてくれると思っています。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月24日 (水)

限界

今日は、滋賀県から友人が来て下さいました。

お会いするのは数年ぶりでしたが、

ゆっくりとお話できて本当によかったです。

 

仕事に対して、また自分というものに対して、

まっすぐに、情熱を絶やさずに向き合われている姿勢から、

よい刺激を受けることができました。

 

人を相手に仕事をしていく上で、

どうして簡単に「限界」を決めてしまうのか、

というお話などは、考えさせられるところが大きかったです。

 

相手がそれを必要としているなら、

それをすることで良い結果になるんなら、

時間の制約とか立場とかを越えてでも行動するべきだろう、

ということなのだと思います。

 

自分もどこかで、「いやいや、そこまでしなくてもいいでしょう」と、

適当に「限界」を作って、ぼやかせていることがよくあるように思います。

 

その行動に意味があるのなら、

面倒くさくても、自分に与えられた役割ではなくても、

「実行する」という選択肢を迷わずに選べるようになりたいです。

 

今日の数時間の会話はとても実りあるものだったと思えています。

ちょうどいいサイズに納まることが正解だとは限らないですね。

 

まどろんでいたところを揺り起こしてもらったような、

そんな刺激を感じることができました。

 

お護摩焚きにもご参加いただけてよかったです。

 

いただいたご縁に心から感謝しています。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月23日 (火)

夏休み

あと10日足らずで、あと一週間と少しで、8月が終わり、夏休みが終わります。

夏休みはだいたい40日くらい。

 

大人たちにとっては単なる「ひと月と少し」でしかないかもしれないけど、

こどもたちにとっては長く楽しい夏休み。

 

いやいや大人だって、この情熱的で開放的で、それでいて少し切ない季節には、

何らかのスイッチが入るものでしょう。

 

40日という期間に、

こどもたちみんなが必ずしも劇的に成長するわけではないかもしれませんが、

きっとそれぞれに何かをつかんだり、

ちょっとだけ階段を上がったりしているんでしょうね。

 

自分に置き換えて振り返ってみても、

小学校から大学まで、いろんな夏休みを経験してきました。

 

毎日プールにいった夏休み、

石鎚山を何度も何度も登ったり下りたりした夏休み。

部活した夏休み、勉強した夏休み、

友達とぶらぶらした夏休み、バイトした夏休み。

 

「この夏休みで人生が変わった」と思えるほどのものはありませんでしたけど、

それでもやはりそれぞれの思い出が大きな存在感を持っていて、

今も胸の中にしっかりと、地層のように積もっているのがわかります。

 

夏休みというものの不思議な安心感や充実感って、何だったんだろう。

 

甲子園も終わり、オリンピックも閉会して、夏が熟していきますね。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月22日 (月)

整理

「日々動きの見えるページに」という言葉を掲げつつ、

そう動きがあるわけでもないような。

 

毎日更新してはいるものの、

正直なところ最近は淡々としてしまっています。

 

ちょっとここいらでもう一度、

なぜ毎日ここに書こうとしているのか、

何を発信していかなきゃならないと自分は思ってるのか、

整理しておいた方がいいのかなと思いました。

 

毎日書くようになって7か月ほどです。

なんでもない世間話も多いです。

 

だけどまあ、何となく振り返ってみると、

「ご縁をつなげていきたいんだ」という気持ちを、

一貫して書いてきているように思います。

 

人が集まって、人と出会って、関わって、つながっていくというご縁。

また、人と、物や情報とのご縁が結ばれていくということ。

そんな場所にしていきたいんだ、って書いてきたんです。

 

そのことをもう一度、自分の中で再確認。

 

神さま仏さまをおまつりする、

お参りしていただく、ということを通じて、

良いご縁が結ばれる場所作りを進めていきます。

 

秋には初めての行事を執り行って、

みなさんに心地よい時間を過ごしていただければと企画中です。

いや、みなさんと一緒に心地よい時間を、ですね。

 

心とか気持ちとか、感情とか想いとか、

形のないものだけど、やり取りはできるはず。

気持ちいい交流がたくさん生まれる場所にしていきます。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月21日 (日)

体質改善

体質改善というか、肉体改造というか、

体のあり方をちょっと変えてみようかと考えています。

 

ぼくは細身でして、太りにくい体質みたいです。

普通に三食食べるし、間食もするし、

アルコールも好きですが、

油断してるとすぐ体重が軽くなります。

 

もともとそんな体質の上に、

年のせいもあるのか、疲れが溜まりやすく抜けにくくなっている気がします。

 

疲れていると、使う言葉や行動の幅が狭くなりますね。

つい簡単な言葉で済まそうとしたり、

やるかどうかの選択の時に「やらない」を選んでしまったり。

 

体力があれば、もっといい感じの言葉の使い方ができたり、

気のまわし方ができたり、力強く行動できるんだろうと思います。

 

だから、ちょっとたくましくなりたいです。

たくさん食べて、できる限り体を動かしていこうかと考えています。

 

元気に動き回ってやろう、そう思っているところです。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月20日 (土)

観光会議

みとよ100年観光会議のミーティングに出席してきました。

 

瀬戸芸の秋会期が迫っており、

会場となる粟島での出店に向けた準備がこれから本格的に進んでいきます。

 

活動に関わらせてもらうようになり、

観光、地域の魅力、というものについて考える機会も増えました。

 

その場所に、実際に足を運んでもらうということは、

なかなか簡単なものじゃないんだなとも感じつつ、

地域が持つ魅力とお客さんの求めているものが合致したなら、

きっと喜んでもらえるんだということも実感できています。

 

最高級の品やサービスをズラリを並べ立てたとして、

必ずしもそれがお客さんの満足につながるかといえば、

そうとは限らないですね。

 

「こんなものがあったらいいな」

「こんなことがしたいな」

という願望にいかに寄り添えるのか。

 

そして、地域が本来もっている魅力と、

お客さんとをどうつなげていくのか。

 

取り組みは大変でもあるけど、

将来性があって面白いし、やりがいがあると感じています。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月19日 (金)

お盆明け

お盆休みを経て、一週間ぶりに更新です。

 

ご先祖さまに手を合わせたり、親戚と語らったり、

安心感に包まれた中で心和やかな時間を過ごさせていだきました。

 

また、色んな方にお会いして、

充実した時間を過ごすことができました。

 

みんなお休み期間中だったということもあるでしょうけど、

どなたとの会話も緊張がほぐれた状態でのものだったと思えます。

 

「お盆のお休み」っていうリラックスした雰囲気の中だっただけに、

おたがいにオープンになって対話できたところもあるんじゃないかな。

 

オープンに向き合えたからこそ受けた刺激というのもあると思います。

みんな考えてるなあ、頑張ってるなあと思えたり。

 

参考にしたいなと感じられるような話もたくさんあったのは、

自分もいつもより少し謙虚になれていたからなのかもしれません。

あるいは、お休みということでちょっとだけ柔軟になれていたのかも。

 

体の面でゆっくり休息できたというだけでなく、

心も頭の切り替えにもなりました。

 

そんなすてきな機会をいただけたのも、

ご先祖さんのおかげです。

 

さて、お盆が明けて、さらに一歩進んでまいりましょう。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月10日 (水)

秋のおまつり

おまつりというものを通して、

ご縁の結びつきが生まれればいいなと思っています。

おまつりは自動化できません。機械化できないものです。

 

にんげんが心をこめて行うものです。

だからその場はおのずと、

なんらかの心の動きが交差するものになるんじゃないでしょうか。

 

おまつりという一つの行事に、

それぞれが様々な形で関わってくれます。

 

儀式を執り行う人、会場を設営する人、

テントコーナーに出店してくれる人、

お参りする人……

関わり方はいろいろかもしれませんが、

みんなそれぞれの想いを抱いて参加してくれます。

 

今、考えているのは、

せっかく心の交流があるその場が、

良いご縁が結びつくものになるようにするために、

どんなことをすればいいのかということです。

 

通りいっぺんのイベントを真似たり、

話題先行の企画を組んだりしたとして、

それがおまつりとして意義のあるものになるのかどうかはわかりません。

 

何だろう、人の心のあったかさを感じてもらえたり、

自信や希望を持ってもらえるような場にしたいですね。

 

そのために何が必要なのか、

一生懸命考えたいし、周りの方々の意見もお聞きしていきたいです。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

○11日から17日まで、「本日シャムショより。」の投稿はお休みいたします。

また、16日火曜日のお護摩焚きはお休みさせていただきます。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月 9日 (火)

秋の行事

「良いご縁がつながる場所にしたい」

ということを、しばしば書いてきました。

これからも書いていくんだと思います。

 

人と人とが会って、話しをしたり、

一緒に何か行動をしたりすると、

化学反応が起きますね。

 

この場所から、充実感を抱けるような人との結びつきがたくさん生まれる、

そんな場所にできればと思っています。

 

神さま仏さまをおまつりする場所として、

ビジネスやお友達同士とのつながりなどとはまた違う、

この場所ならではのご縁のつながりが実現できればうれしいです。

 

その場所づくりの一環として、

秋にひとつの催しを計画しています。

多くの人にお越しいただいて、

何かを感じてもらったり、ご縁をつなげてもらえればと思います。

また、多くの方に関わっていただきたいとも思っています。

ご縁がつながる場所を、みんなで作っていきたいのです。

 

人とのつながりって面倒かもしれないけど、

だから味わい深いんだと思います。

そしてもちろん、あたたかいし、心地いいものです。

 

ぼくたちが今生きている「人の世の中」というものは、

血が通っていて、感情があって、体温がある、

そんなナマの人間がみんなで作っているもんなんだと実感していきたいのです。

 

秋の行事については、詳しいことがさだまり次第ここでもお知らせし、

お誘いしていきますね。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月 8日 (月)

歴史

子どもの頃から、三国志とか、

中国の歴史に興味を持っていました。

 

「史記」なんかにも色んな人物のエピソードが出てきますが、

そこから学べる人生訓はたくさんあるなと感じます。

 

人それぞれのドラマは生まれてから死にゆくまでずっと続いていきます。

途中で休憩、ということはなく、ノンストップです。

そして、一定した右肩上がりとか、

平坦な道ばかりということもないようです。

 

最後の最後までわからないもんだと思います。

良い事も悪い事も、全て因果なんだなとも。

完璧な人生を歩み切ることはほんとうに難しいのでしょうし、

起伏があるからこそ楽しく、希望を持てるんでしょう。

 

子どもの頃に読んだ三国志や史記など(マンガも含めて)には、

いつの時代にも通じる教訓が書いてあったんだなとわかります。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月 7日 (日)

昨日に続き、今日も山を歩いていて思うこと、です。

 

登山道を歩いていると、ほんとうに静かです。

車が走っていないからエンジン音も聞こえません。

街頭のスピーカーから聞こえる音楽もありません。

 

自宅で何もせずにいたとしても、

冷蔵庫の音や外の車の音、遠くの工場などは聞こえますから、

自然の音だけを感じる機会とはあまりないものだと思えます。

 

山の中で聞こえるのは、

風が吹く音や、鳥のさえずり、虫の音などばかりで、

心が落ち着きます。

 

だけど、飛行機の音がするんですね。

山にもよるのかもしれませんが、

空を飛ぶ飛行機の音だけは、

山の上にいても聞こえてきます。

 

自然の静けさの中に身を置いて、

しばし現実を忘れる……

そんな時間があったとしても、

ジェット音は耳に届いて、ハッと我に帰ってしまいます。

 

残念な気持ちにもなりますが、

しょうがないのかなと思っています。

日ごろは、飛行機という存在からも便利さの恩恵を受けているんですもんね。

 

だけど、もし叶うなら、音がしない飛行機が空を飛ぶようになればいいなあ。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月 6日 (土)

山を歩いていると、

「あたたかさ」というものがすぐ周りにあるわけではないことに気づきます。

 

まず火の気がありません。

リュックサックに詰め込んでいる簡易ボンベは別として、

山の中でひとりでに起きている火は、

山火事か火山でもない限りまずないでしょう。

 

ですから、日光のあたたかさはとても貴重なんだなと思えます。

 

また、動物の体にも「熱」があります。

体を動かしながら作り出しているエネルギーです。

動物は食べものを摂取しながら体内で自家発電してるんだなと感じます。

 

火、熱、というものは、

自然の中ではとても得難いものなのだなと、

涼しい山、寒い山を歩いていると感じることがあります。

 

人間はもともと自然の生き物なのだから、

その気になれば火や人工の熱がなくても一生を過ごせるのだろうとも思えますが、

現代的な生活に慣れてしまうとなかなか難しそうだなと思わざるを得ないです。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月 5日 (金)

同級生

高校時代の同級生が香川に出張に来ているというので、

会いました。

 

一緒に夕食しながら、近況を報告し合ったり、

懐かしい思い出話に花を咲かせたり。

 

今では会う機会は年間に何度か、

という程度になってしまいましたが、

顔を合わせて話しをすると時間の隔たりは全く感じられません。

 

10代という時期を一緒に過ごした存在というのは、

自分にとって特別な位置にいるのだと実感します。

新しく作ろうと思っても、そんな存在は作れないですからね。

 

近々、また会おうという事になったので、

再会できる時が楽しみです。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月 4日 (木)

恐怖

クリエイティブなお仕事を第一線で続けられている方の、

インタビューとか著作などを見ていると、

「恐怖」が原動力になっているというお話が

よく出てくるように思えます。

 

何らかの作品を制作する人、

全てがそうではないかもしれないし、

他のジャンルのお仕事をしている方にも

当てはまることなのかもしれません。

 

だけど少なくとも、

「この人すごいなあ」という人のお話の中に、

恐怖によって前へ進めているという言葉が出てきました。

 

ちょっとでも油断したら、手を抜いたら、

自分はすぐに崩れていくのだろう、

あっという間に突き落とされてしまうのだろう、

そんな恐怖です。

 

恐怖と闘って、あるいは逃げて逃げて、

がむしゃらに進んできた結果として今がある、

そんなお話です。

 

もちろん、世の中に何かを訴えかけたいとか、

認められたい、あっと驚かせたいという衝動もあるのでしょうし、

自分の内面にあるものを表現したいという欲求もあるに違いありません。

 

だけど、「原動力は恐怖なんだ」とおっしゃいます。

危機感、という言葉に置き換えられるのかもしれません。

 

クリエイティブという、生身の人間をそのまま形にするようなお仕事でさえ、

後ろから追いかけてくる恐怖が強い力になるんですね。

 

ではでは、今の自分の中にどんな恐怖が、

どれだけの恐怖があるのか……

内面を見直す必要があるのかもしれないと感じています。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

恐怖

クリエイティブなお仕事を第一線で続けられている方の、

インタビューとか著作などを見ていると、

「恐怖」が原動力になっているというお話が

よく出てくるように思えます。

 

何らかの作品を制作する人、

全てがそうではないかもしれないし、

他のジャンルのお仕事をしている方にも

当てはまることなのかもしれません。

 

だけど少なくとも、

「この人すごいなあ」という人のお話の中に、

恐怖によって前へ進めているという言葉が出てきました。

 

ちょっとでも油断したら、手を抜いたら、

自分はすぐに崩れていくのだろう、

あっという間に突き落とされてしまうのだろう、

そんな恐怖です。

 

恐怖と闘って、あるいは逃げて逃げて、

がむしゃらに進んできた結果として今がある、

そんなお話です。

 

もちろん、世の中に何かを訴えかけたいとか、

認められたい、あっと驚かせたいという衝動もあるのでしょうし、

自分の内面にあるものを表現したいという欲求もあるに違いありません。

 

だけど、「原動力は恐怖なんだ」とおっしゃいます。

危機感、という言葉に置き換えられるのかもしれません。

 

クリエイティブという、生身の人間をそのまま形にするようなお仕事でさえ、

後ろから追いかけてくる恐怖が強い力になるんですね。

 

ではでは、今の自分の中にどんな恐怖が、

どれだけの恐怖があるのか……

内面を見直す必要があるのかもしれないと感じています。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月 3日 (水)

願望

毎週火曜日はお護摩焚きを行っています。

真夏だって、暑くったって、行っていますとも。

 

お護摩焚きでは、

諸願成就と世の中の平穏無事を祈願しています。

 

人間は業の深い生きものだから、

世の中の平和なんて願っても叶いっこない、

という考え方もできるかもしれません。

 

今でも地球のあちこちで争いごとは絶えず起きていて、

それら全てが止むことなど現実的な考えではないかもしれないです。

 

だけど、まずは望まなきゃ、願わなきゃ、です。

平和にたどり着けるのだとしたらまずそこがスタートなのであって、

勝手にひとりでに平和にはならないでしょうから。

 

日々の目標も、望むこと、願うことは大切だと思います。

神さま仏さまにお祈りするのかどうか、

は別として、「こうありたい」という強い気持ちが、

結果を大きく作用するということはよくあります。

 

勝手にひとりでに良い結果が出ることもあるにはあるでしょうけど、

まずは望んで、願うことが始まりだと思います。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月 2日 (火)

伝統行事

伝統行事の存続が危ぶまれている、

と語られるようになったのは最近ではないのかもしれません。

 

実施できなくなってしまったお祭や行事がたくさんあるでしょうし、

また近い将来そうなると予想されるようなものも数多くあるでしょう。

 

その原因は、担い手の不足や資金不足、

というものなのではないでしょうか。

身近な場所でも、そういった話がちらほらと聞こえています。

 

人がその場所に居ないのならともかく、

居るには居るんだけども「行事に関わる人」がいないために、

続けていけないのなら、なんだか切なく思えます。

 

お金がその場所にないのならともかく、

あるにはあるんだけども「行事のためには集まらない」

のだとしたら、それもなんだか切ないです。

 

そんな「あるにはあるんだけど」といった人の力やお金などは、

ではどこに向いているんだろうかと考えると、

行事ごとやお祭などではないどこかに向いていくのでしょう。

 

時代の流れ、価値観の移り変わりはあるでしょうし、

全てを守り、続けていくことは不可能なのでしょうし、

変わらなければ経済も動かないでしょうから、

一概に「伝統行事を何よりも優先させるべきだ」とは言い切れません。

 

だけど、寂しいものは寂しいです。

また、人間臭くて面倒くさい行事ごとの中で、

人の温かさを感じる機会が失われるならもったいないと思います。

 

いやこれは他人事としてではなくて、

自分の身に置き換えて考えた時にも、

 

地域の行事の関わり方ってこれでいいのかな、

何かできることがあるんじゃないかなと思います。

 

伝統行事が廃っていくのはほんとに歯止めが利かないんでしょうか。

守れるものなら守っていければいいのに。

やめると、過去からの先人たちの想いまでも途絶えてしまう。

 

何らかの形で問題提起したり、

具体的な行動を起こしていきたいです。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

最近、取り組むべきテーマばっかり増やしてる気がする。

 

石鎚神宮 社務所より

2016年8月 1日 (月)

突き抜けた個性

突き抜けた個性というものを持っている人は、

やっぱりいます。

そういった人が、普通では考えられないような表現をして、

世間を驚かせ、喜ばせたりもしてくれます。

 

だけど必ずしもその人が常識人であるとは限らないし、

人付き合いが上手であるとも限りません。

個性が突き抜けているからこそ、

世間と折り合いをつけにくいという苦しみを抱えているかもしれません。

 

そして、強い個性を持っている人はたくさんいらっしゃるでしょうが、

全員が世の中に広く知られるほどの影響力を持つわけでもないでしょう。

全員が有名人になるわけでも、

芸能人になるわけでも、

商売などで大きな成功を収めるわけでもないでしょう。

 

強い個性をそのままに出してしまうとうまく世間に入っていけない、

かといって自分を崩したくはない、

またはどうやっても社会に馴染めるように自分を変えられない、

そんな人はきっとたくさんいるのだと思います。

 

もし世の中がこれから豊かになっていくのだとしたら、

そういった人たちを排除しないものになっていってほしい、

そう切に願います。

物が溢れて便利になって、というところで止まらずに、

個性が尊重され、受け容れられる社会になってほしいです。

 

また、石鎚神宮という場所も、

どんな個性を持つ人でも安心して過ごしてもらえるような、

そんな場所にしていきたいです。

 

壁のない、フラットな場所に。

具体的なやりかたは、これから考えていきます。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮 社務所より

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